年末、アキシノノミヤ邸では久しぶりにカワシマ夫妻やキコの弟のシュウも
姿を見せ、一家団欒の時を迎えていた。
リビングのテーブルには綺麗な花が飾られ、カワシマ家から持ち込まれた
料理が所狭しと並べられ、マコもカコも大喜びで手を伸ばす。
今日ばかりは宮務官と侍女一人を残して、使用人はみな帰している。
冬一色になった庭には、薔薇が小さく咲いており、ユリオプシスデイジーの
黄色が映え、色とりどりのパンジーが咲き誇っていた。
そして池にはナマズが泳ぎ、天草大王が駆け回り・・・大型犬が玄関で眠っている。
動物園か植物園のような雰囲気が宮邸にはあった。
犬に鶏、トカゲにナマズ、ウサギや亀まで飼っているいる為、エサやりが大変だったが
子供達がよく協力していた。
また、手入れされた庭には、外国から送られた木なども移植され、友好の葉を広げている。
「これだけの生き物の世話、お庭の手入れ、よくやっておられますね」
冬の柔らかい日差しがあたるさまを見つめながら、母は目を細めた。
マコは祖母が焼いたケーキに手を伸ばし、カコもめざとく手を伸ばす。
「私が先よ」
「カコちゃんが先」
言い合う姪っ子達にシュウは「取り分けてあげようね」と優しくナイフをいれる。
「おにいちゃまも召し上がってね」マコがおしゃまに言うので、シュウはちょっと照れた。
「大学の勉強もあるから大変でしょうに」
母の言葉にキコは微笑んで、紅茶のお代わりを入れた。
「殿下が手伝って下さいますから」
「キコはこうみえて頑固ですよ。こうと決めたらやり通す。そういう所はどちらに
似たのでしょうね」
と宮が笑うと、キコはちょっと怒った顔をして「頑固なのは殿下の方です」と言い返した。
「まあ二人ともそうだという事だろうね」
カワシマ教授はゆっくりとたばこをくゆらし、庭に出て行った。
「穏やかな年越しになりそうですね」
母は色鮮やかな紅茶に砂糖を入れながらゆったりと言った。
いつの間にか子供達もシュウと一緒に庭に出て、動物たちと戯れている。
獣医になる予定のシュウは、姪達に動物の育て方を教えているらしい。
そういう話が大好きな宮も一緒に冬枯れの庭に出て行った。
寒さも気にせず、みな声を立てて笑ったりうさぎを追いかけたりしている。
まるで、宮邸だけは現実の日本から遠く離れたヨーロッパの雰囲気をかもしだしていた。
「ええ。東宮家に内親王様が生まれて両陛下もほっと一息ついておられます」
キコもお代わりを入れた。エキゾチックな香りが部屋に広がっていく。
「内親王様がお生まれになったのは大変おめでたい事です。とはいえ・・・」
母はそもそも噂話は嫌いな方だった。
夫が学習院に勤めていれば嫌でも皇族や高官達の話が伝わってくるが
どんな時でも一歩控え、殊更に関わろうとはしなかった。
東宮家に内親王が生まれた。けれど、オワダ夫妻のお通夜のような会見やら
天皇・皇后より先に内親王を抱いた事などはとうに耳に入っていた。
「宮家にも後継ぎが必要でしょうに」
母は、娘が産児制限されている事を知っていた。それについて批判するとか文句を
つけるという事はなかったが、内心では不憫でしかたなかった。
世の中には産みたくても産めない人がいる。
幸いにして娘は宮妃になり二人の娘に恵まれた。
けれど皇統を考えるとどうしても男子出産が望ましい。
子供が大好きなアキシノノミヤ。三人目もぜひ欲しいのだろうと思う。
しかし、今回生まれたのが内親王である以上、次に男子が生まれるまで、
産児制限は続く。なんと理不尽な事ではないかと・・・・母としてはそう思うのだ。
しかし、一方で公務と育児に忙しく人手が足りない状態でもあり、これ以上子供が
増えたらそれはそれで大変だろうとも思う。
特にキコは現在も大学院で修士課程についている。こつこつと続けている勉強を
中断させたくはない。
「お名前はトシノミヤアイコ様とおっしゃるんでしたっけ?随分・・・読みやすい名前ね」
「ええ。両殿下がおつけになったそうですよ。敬天愛人からとったようね」
本当はヒサシがつけたであろう事は、皇室内では周知の秘密だった。
宮内庁職員の中には「普通は両陛下が名前をお決めになる。だが、今回は両殿下が
オワダ家に頼んでつけてもらった。これじゃ皇族じゃないみたいだ」
というものさえいる。
アイコという漢字は、過去に天皇の生母で側室にその名の人がいて、かぶっては
いけないと考えるのが普通ではないか・・・などという意見もあったが。
結果的には皇太子が「単純な名前がいい」と判断して決まった。
名前すらそんな風に決められた事にノリノミヤなどは憤慨し、随分愚痴ていた
ようだが、それはそのまま天皇と皇后の気持ちの表れのような気がした。
「最初は女の子がいいわね。私もそうだったけど。男の子はやっぱり体が弱かったり
するし、最初では大変ですものね」
「男の子の子育てが大変というのは両陛下からお聞きした事があるし、ミヤサノミヤ
妃殿下からも色々とお話をお聞きしました。私みたいにぼんやりとした母親には
ちょっと大変ね。そういう意味ではうちはマコとカコでよかったわ」
「まあ。これでたとえ女帝問題が出ても、トシノミヤ様がなるかならないかという話になって
マコ様やカコ様には関係のない事でしょうけど」
「お母様。皇統は男系の男子と決まっているのよ。皇太子殿下にはアキシノノミヤという
立派な弟君がいらっしゃる。女帝だなんて」
「じゃあ、東宮家に二人目が生まれるのを待つのですか?こちらの宮家にも男子はいないのに」
「そうなの。殿下はそれを憂えておられるの。お母様にだけお話しするけれど
両陛下も殿下も将来の皇統の断絶をとても心配されているのよ。皇太子妃殿下の流産も
悲しい出来事だったし、なかなかお子に恵まれない現実をとても心配されて。でも
皇太子妃殿下はとても傷つきやすい方だから、もし私達に男子が生まれたらとても
苦しまれるだろうと・・・・」
「何て不憫なんでしょう。妃殿下は十分に頑張っていられるのに。どうしてそこまで気を
遣わなくてはならないのかしら。今度ばかりは私も納得できないわ」
母はちょっと声を荒げた。
「皇太子妃殿下に気を遣って両陛下が何も言えない状態だなんておかしいもの。
学習院にも噂は広がっているのよ。皇太子殿下は妃殿下のご出産まで毎月病院に
付添い、生まれてからは片時も離れず、公務を制限するようになったと。それもこれも
子育てに慣れない妃殿下を支える為だと。聞こえはいいけど、庶民ならいざ知らず
回りに50人も御付がいる東宮家でこのありさまとは」
「ああ・・・お母様。そんな噂が?」
「本当なの?」
「本当です。男女平等な皇室を表現する為に、皇太子殿下は育児に励んでいるとか。
それが新しい皇室の在り方であると・・うちの宮様に力説なさったのですって。
宮様は「育児なら私の方が得意ですよ」と言い返したそうですけど。宮様は
表だってそういう事をおっしゃったりなさったりしないだけで、十分にやっておられるのに。
何だか私達が旧弊であるかのようなイメージがついているの。その事に宮様も
悩まれて」
「まあ」
「それに皇太子殿下は内親王様を将来の皇太子になさりたいというお考えとか」
「じゃあ、やっぱり女帝に?」
「ええ。男女平等な世の中だから皇室もそうあるべきだとおっしゃるんですって。宮様は
男女平等と皇統の伝統は違うとおっしゃったけど、聞き入れなさらないとか。
今は内親王殿下がお可愛らしくてそのようにおっしゃるんででしょうけど、2000年に渡って
男系男子が継いできた歴史を軽々と破ろうとされる皇太子殿下に宮様も絶句されていたわ。
私も落ち込んでいらっしゃる宮様を見るのがつらくて」
キコは庭先を見た。
庭では時々遠い目をする宮がいた。
「家禽の研究は進んでおいでですか」
教授の問いに宮は「ええ。でもなかなか・・・またタイに行きたいのですが」と答えた。
「変な噂を流されたらそれも困りますし。子供達がもう少し大きくなったら旅行に
行きたいなと思いますが。それまではもっぱら本を読み、書くしかないでしょうね」
「人間にはそういう時期も必要です」
教授は寒空を見上げた。
「21世紀。私は政治の事はわかりません。でも21世紀は民族紛争の時代だといいます。
それぞれの国の民族がそのイデオロギーを主張して戦争を起こす。東西冷戦など
遠い昔の出来事になり、またも領土の奪い合いが始まるのかもしれない」
「ええ」
「日本における精神の柱は皇室です。皇室があればこそ日本人は日本人として
誇りを持って生きていけるのです。どんなに世間が倫理崩壊を起こしても。
たとえ侵略の憂き目を見ても。最終的には皇室と言う柱にすがり、自分は何者であるか
知るのです。殿下はそのような場所にお生まれになった。だから、どんな時にも
取り乱したりせず、悠々となさってください。時を無駄にせず、今やるべきことを
なさっていればいつか必ず報われる日が来るでしょう」
教授の低い声は宮の心にしみわたっていく。
「皆様、お部屋にお入りくださいな。温かいお茶を入れましてよ」
キコの優しい声が響いた。
「ちょっと寒くなってきましたしね。入りましょうか。シュウ、姫宮達を」
子供達は頬を真っ赤にして走りこんでくる。おいかけるシュウの髪も冷たくなっていた。
そうか・・・と宮は思った。
こんな風景を当たり前に見る事が出来る自分は幸せであると。
この小さな幸せを大切にしないといけないのだと。