○平井委員
皇室は、御承知の通りわれわれ国民と実は違うのでありまして、
これは昔なら天皇学でございますが、今日の教育係というものの教育は、
われわれ国民と違った立場においてされなければならぬと思うのであります。
これはわれわれのようにちょっと代議士に立ちたいとか、金がほしいとか、名誉がほしいということ、
全く教育に要らぬのであります。
ほんとうに欲も得もない、ほんとうに人間の象徴としていかれればいいのでありますから、
その教育は今あなたがおっしゃるように、あまり何もかにも押えるということではなく、
民族の象徴にふさわしい教育、それを小泉さんはちょっとはき違えておりはしませんか。
国民らしく育てるということが小泉さんの教育の方針では困る。
これは事実欲も得も要らない、選挙の必要もなければ何も要らぬのですから、
その点の教育はあなたが小泉さんに教えてやって、
皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。
昔なら上御一人といわれたのです。
一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。
われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。
そういう教育を教えない限り――ただ昔と違って自由である、
自由に教育をするのであるという行き方もありましょう。
自由主義者の中にはありましょうけれども、そこは一つあなたが小泉さんあたりに教えてやって、
一般の生徒とは違う立場においての昔なら天皇学、今日なら皇太子殿下の教育というものをされなければ、
これは象徴として国民が崇拝するかどうかわからなくなってしまう。
早い話が、皇太子殿下が銀座へ遊びに行かれる、
友だちと一ぱい飲みたい、
そういうことになったら、これは民族の象徴ということは
絶対に言えない。
天皇は常に大自然とともにあらねばならぬ。そうしなければ英国の国体と同じになるのですよ。
日本の天皇というものは、常にもう大自然、
どこから見ても富士山の姿のように拝まなければならぬというぐらいのあり方でなければ、
国民は崇拝しませんよ。
そういう点から見て、いま少し厳格な教育をされたらどうですか。
昔、北畠親房などはこれはもうけ飛ばしおったという話です。
たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、
あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。
そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。
自分の将来民族の象徴としての感覚が狂ってくる。どうもこのごろは
われわれが考えても――われわれは子供のときから天皇一本で育ってきた、
教育を受けてきた者でも、ちっとおかしいではないか。
まして終戦後の教育を受けた青少年は、全くそういうことがなくなってしまう。
そこで議題にありますところの皇居の造営ということになれば、
これは非常にむずかしい。あなた方の教育いかんにより、天皇のあり方いかんによって、
造営ができるかできぬかになるのです。お互いが天皇制護持者だから、
何でもかんでも皇居を作れというふうなわけにはいかぬようになっておるのです。
それを一つ長官は十分考えていただきたい。
もしも教育があまり芳ばしくないというなら、小泉さんあたり入れかえたらどうですか。
そんなことこそ民主主義だ。いつまでも、勤まっても勤まらぬでも、こ
の人間をそこにつけておくということが一番封建的ですよ。
もし皇太子殿下の教育係でも、これはちょっとあなたが悪いと思ったら、
あなた方が入れかえたらいいじゃないですか。
それが今日のあり方でございます。
昔ならばかでも何でも一ぺんひっついたら、宮内省におればやめさせられなくなっておった。
今日ではどんどんやっていいのですから、そういう新体制に切りかえていって、
よりよく皇太子を教育するというふうにされなければ、天皇陛下は何もおっしゃらぬのですから、
あなたがそういうふうに判断をしなければ、今後の、遠き将来というか近き将来というか、
日本に変動が起った場合には、あのときの長官は宇佐美さんであったということになれば、
あなたの人格はりっぱであるけれども、やはり時にぶつかればあなたの責任になりますから、
その点、あなたが十分研究をされ、努力をされて、やはり皇室の尊厳を残していくというふうに
努力をされなければならぬと私は思いますし、また皇太子殿下においても、
これはあなたが直接進言できるのかどうかわかりませんけれども、
十分そこを自覚されて、やはり国民の崇拝するに足る人間になってもらいたい。
これは人間というか、昔は神様だったのです。
御承知の通り明治憲法のもとにおいては、神聖にして侵すべからず。
今日人間になったというだけで、やはり象徴ですから、
象徴ということについての私の解釈が合うかどうか知りませんけれども、
私は民族の象徴ということになれば、天皇は国民が貧しければ貧しいものを食べ、
国民の政治、経済に伴って生活をしていかれる、ああ陛下は銀座にも
行かれぬし、映画も見られぬ、これはわれわれは
ひとしく崇拝しなければならぬという気持に
なっていくと思うのでありまして、
民族の象徴というのはただ看板だけで、
あとはわれわれ国民と同じ行動をとってよろしいので
あるというふうに考えたならば、
象徴とは言えないと私は思いますが、
あなたは象徴ということをどう解釈されますか。
(天皇という存在は私達一般国民とは存在自体が違います。本当に私利私欲のない
象徴という存在であって、そこに一般と同じ感情を持ってはいけないのです。
そこらへん小泉信三氏などははきちがえていませんか?
国民らしく育てるのは違うでしょう。
時代が変わったんだから、自由にやればいいという話もあるが、違う。
皇太子殿下が銀座を歩きたい、一杯飲みたい・・・という欲を持ったらそれはもう
象徴ではないでしょう。
天皇とは富士山のようであらねばならないのです。
その点、自由にされすぎているのではないのか。
そうなったら宇佐美長官、あなたのせいですよ)
10月4日、当代の皇太子殿下は今月二度目のオペラ鑑賞です(笑)
平井さーん、天国で見ておられますか?
あなた様の危惧がそのまま形になってしまいましたよ。
でも、父親が父親ですから(銀ブラしてましたよね)息子がああなってもしょうがないっか。
昭和天皇は東宮に意見したくてもできなかったのかもしれません。
「時代が違う」と側近に言われたらもう黙るしか・・・
今の両陛下が何も言えないというのとは違います。
確かに当時は「開かれた皇室」が最大限に宣伝されて、それが正しいという空気は
あったろうと思いますから。
○宇佐美説明員
終戦後今まで皇室に対する一般的ないろいろな批判が行われて参りましたが、こ
の大きな流れというものは、やはり一言で言われるような民主化、
もっと自由にしてあげなければいけないのじゃないか、
あるいは今おっしゃったような、銀座にもおいでになればいいし、
喫茶店にもおいで願えばいいじゃないか、そういう議論が割合に多かったと思います。
しかし私は決してそうは思っておりません。
やはりすべて普通の国民と同じ生活をするということでは、ほんとうの象徴としての国民の尊敬を集め、
親愛を得られることにはならない。それは、ある意味において自由が一部ないともいえます。
しかしそれはやはり国民の中心となって、象徴としてお過ごしになるには当然負われるべき御責任であり、
御義務であると思います。
そういうことでなければ、何らわれわれと差がなくなってしまう、
私は常にそう思うわけであります。最初に申し上げたような意見はいろいろございますし、
いわゆる雲の上に上る行き過ぎた行き方は、
もちろん直していくベき点があれば直さなければならぬのでございますけれども、
やはりそこにはきぜんとしたことがなければ、秩序は保たれませんし、
また尊敬や親愛というものも生まれてこないと私は常に考えております。
そういう御修養もなさらなければなりませんし、
そういう義務ということもしっかりとお持ちを願わなければならぬと私は考えております。
しかしそういう点は御幼少のときからおそばの者が、
そういういろいろな進言に対しては気持よく胸を開いてお受けになることをほんとうによく申し上げ、
われわれが、あるいはそばの者が申し上げることは、
よく御反省になる方だと私は思っております。もとよりまだお年もお若いことですし、
御修養願うべきことは多々あるわけであります。小泉博士は、
常に皇室の将来を最も心配しておられる一人だと私は考えております。
しかし具体的にどういうことをということについては御相談もございますし、
私も遠慮なく意見を申し上げておるわけであります。
今後においても、そういったことについては最善を尽したい。
今回のことにつきまして、大きなことを申すと仰せになるかもしれませんが、
私が責任をとって済む事態ではない、それ以上の大きな事態であるというふうに考えて
参ったつもりでございます。
不敏でございますけれども、この覚悟だけはいたしておるつもりであります。
(私も全て自由でいいとは思っておりません。小泉さんはその点はきちんと
されているのではないか。
私も間違いがあれば指摘していくつもりですし)
要するに諸悪の根源は「小泉信三」という話で。保守の間ではそう思われていたのかも。
キリスト教信者であったこと、正田美智子嬢を推したこと、何よりも自由闊達に
皇太子を育てたこと。思想の中に「憲法遵守」とか「人権」の意味を教え込んだのかもしれません。
○平井委員
最後にお尋ねなりお願いをして終りたいと思いますが、
御結婚式も近いのでありますから、今の長官の御説明で私は納得いたしましたが、
なお宮内庁から国民が納得するようにしていただきたいと思うのと、
これは長官に幾らわれわれが質問してもしようがないが、
皇太子殿下並びに宮様のおつきの人は、悪ければ取りかえなければ教育というものはよくなりません。
あなたが見はからつて、これはあまりよくないと思われる人はどんどん取りかえられて、
そうしてりっぱな教育をされる方をお入れになって――今の人がいいか悪いか知りません。
悪いと言う人もあり、いいと言う人もあるが、取りかえて教育をなさらぬと、
将来非常に大きな問題が起るのではないか。
天皇制のあり方ということは、日本の政治、経済あるいは世界の動静に従って
あらなければならぬと私は思うのであります。
従って皇居造営の問題におきましても、まだ審議会はできないのでありますけれども、
もしも審議会ができましたならば、時代に即応して、
かつて三井、三菱の大財閥が十万坪の屋敷に住んでおったのが、
今日一万坪の住居におるということを参考にして
今日の皇居のあり方はどういうふうでなければならないかというふうに、
率先宮内庁は研究をされていかなければ、これまた非常な難関に到達すると思うのでありますから、
日本の情勢、世界の情勢、東南アジア未開地のところにクーデターがあり、
いろいろある世界の動向をよくながめて、ひとり日本だけが昔の風習ではいかれない、
日本の皇室はこうあらなければならないという見地から、
まず率先してあなたの方で案を立てられなければ、将来禍根を残すと私は思うのであります。
どうか皇居の造営の問題につきましても、あなたの方で十分考えられて、
先手を打つといってはおかしいのでありますけれども、
この程度でよかろうとか、あるいはこうした方が今の日本の皇室にふさわしいのであるということを
十分考えられてお作りにならなければ、将来禍根を残す。
東宮御所の御造築のごときも、間組が一万円で引き受けた、
こういう崇拝組も日本にはあります。また家がなくて困っておる国民もある。
私は間さんに言いたい。そういう金があるならば、住宅のない人に建ててやったらどうかと間さんに言いたいが、
あまり私は懇意でないから言うておりません。
そういうお方もあるが、それが全部でないことも考えなければならない。
そういう人もおります。いなかの年寄りの八十、九十の人は、
日本が戦争に負けたことも知らないという人もおりますから、
そういうことを十分考えて、あなたの方で考慮されて、
現在の世の中にふさわしい皇居の造営を計画していただきたい。
同時に今後の皇室の尊厳並びに天皇制のあり方を十分研究されなければ、
日本の将来にいかなる変動が起るかわからぬということを肝に銘記して、
今後長官としてりっぱに職責を全うされるようにあなたにお願いを申し上げて、私の質問を終ります。
(皇太子の教育について間違った進言をするものはどんどん
取り替えていくべきではないかと思います。
ご結婚も近いのですから、経緯についてもっと国民にわかりやすく説明し
納得させるべきだと思います。
皇居の造営についても世情を鑑み、財閥が3万坪の家に住んでいたのが
今は1万坪になった・・・というくらいの感覚は必要でしょう。
皇太子の御所の造営に関して、間組が1万円で請け負ったという話も
聞いています。立派だけど、それをするならいまだに家がない人達の為に
無料で家を建ててやったらいいじゃないかという意見もあります。
十分に考えて頂きたい)
平井さーん。今上が即位したとき、56億円かけて新しく建て直したんです。
しかも皇居の森を全部切っちゃって。
赤坂の東宮御所ねーーあれなんかも当代の皇太子が結婚して3回くらい
リフォームしてるんです。
さらにいうなら、どうもそこに皇太子妃の両親が住んでるという疑惑まで
東宮家の内親王は御用邸のことを「私達の別荘」とおっしゃるそうですよ。
全ての危惧がその通りになっている今、どうなってしまうんでしょうね。