陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

名ばかり欲しがり、その実さっぱりのパクリ絵師の末路(後)

2019-04-07 | 芸術・文化・科学・歴史

ネット上の炎上は、いたいけな女学生をいたぶる個人攻撃であるとも映るかもしれません。
しかし、今回の一件で義憤に駆られるのは、過去に企業案件などで自作を無碍に扱われたことの多いクリエイターさんが多いからではないでしょうか。何回もリテイクされたラフ画や草稿を返却してくれないまま企画が没になったはずなのに、いつのまにか、それが改変されたり、別名義で発表されていたり、というひどい話もよく聞きます。

相手がわりあい知名度のあるイラストレイターさんで、国内外に理解者が多かったから良いものの、もし剽窃した対象が無名の才あるひとの未発表作や、個人サイトなど目につかない場所にあるものだったらどうでしょうか。企業がバックについていて、マスコミに出ている高学歴女学生の勢力に負けて、泣き寝入りせざるを得ないかもしれません。芸能人プロデュースのグッズのプリント絵が、ネット上の絵師のイラストの無断使用だったのに、開き直りされたなんて話もありましたね。だから、みんな、この件に対し憤慨しているのです。

猫将軍さん向けに、女学生絵師本人がメールを送ったものの、かねてからインスパイアは受けていたが、「試行錯誤の末、たまたま構図が似てしまった」と主張。
本人のツイッターでも騒がせたことへの謝罪はあったものの、盗作は認めていません。またスポンサーでもある大正製薬もツイッター上で声明を発表していますが、このどちらも姑息な申し開き(検索結果に残らないように画像での謝罪文)に、ネット民の憎悪を燃やしてしまっています。

盗作であるとは現段階で断定できないものの、これは模写とかパロディとは異なりますよね。引用先も明示してないので、オマージュですらありません。仕事として報酬も得ている絵が、有名なイラストレイターから無断借用とは。他にも、女学生絵師がSNS発表した過去作にも盗作偽悪が検証されていて、すでに海外からもクレームが届いています。自分で想像して描いたと主張した個展の絵(しかもTシャツにして販売されている)まで、海外の写実に巧みな画家デビッド・カッソン氏の絵と酷似しており、これまで確信犯だった可能性がありますね。ほかにも漫画家・松本大洋氏の画を巧妙にまねて、展示会に出したとか。あくまでも習作として模写する分には構わないんですけれどね。写真や実物を写すだけの才能ならば日曜画家でも上手い人たくさんいますし、似顔絵も描けちゃう美人モデルという自己プロモでいいのでは。芸大生だからって、芸術家にならないといけない理屈なんてないのに。

もともと、銭湯の壁画は陶器の絵付けや着物の柄みたいなもので、職人仕事ですから、想像力を売りにするアーティスト紛いとして売り出すのには無理があったのではないでしょうか。ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画もそうですが、図版で見れば、かなり人物がゆがんでいたりしますが、それがのちのマニエリスムを呼び込むわけです。大壁画ならではのスケール感や描きあげたあとの昂揚感で知らなかったのでしょうが、小さな画像にして確認すると、今回のように絵の粗雑さがどんどん発見されてしまうわけです。雲の描き方も毛並みも縞も変化がなくて、判で押したよう。全体的に運筆に勢いが乏しい。水墨画みたいな和筆で描くものは、画の神髄は生気躍動、線の強さと濃淡がいのちなのに、ほんとにベタ塗りペンキ絵っぽいんですよね、この人。余白のとり方もおかしくて、二匹の虎が窮屈。塗りだけ上手い人なのかな。カラー絵はモノクロにしたら、すごくデッサン狂いがわかってしまうんですよね…。銭湯絵師としてのみ精進していれば良かったのに。この人を弟子に迎えた師匠さんも不祥事のとばっちりで、かわいそうですね。

その銭湯絵師への弟子入りも、さらに兼業でモデルをおこなっていることも、稀少性を求めただけの売名行為ではないかと叩かれているわけです。かつてお笑い芸人で画家になった人いましたが、アフリカ絵画を模してるだけでどこがいいのか、私にはわかりませんでした。絵の技術や教養を磨かずに、自己ブランディングするために絵師を名乗っているかのようなひと、いますよね。さらには、いま、他人が苦心惨憺して生み出したコンテンツを、自分が目立つためのフリー素材として利用していいという風潮もあります。芸術はパクるのが当たり前とかいいますが、今回のように著作権に引っかかりそうで、しかも企業が関わっているのはまずいのでは…。広告代理店がわざと世間知らずな女学生絵師に、下絵あたえて描かせたという陰謀論もありますが。

すこし脱線しますが。
失礼ながら学歴ロンダ組の方々には、私も痛い経験があります。他大学での卒業研究時に手ほどきを受けなかったのか、研究の基礎がわかっていない。他人の研究室のコピー機を無断使用したり、資料を勝手に借りていったり。最後には、研究誌に載せる前の私の修論の校正ゲラを参考にするので先に読ませろ、公開前なら問題ないだろと言われたりもしました。テーマが似ているから、奪おうとしたのですよね。私の指導教官に相談して、無事掲載してもらえましたけど。芸術のみならず、学術研究でも不正摘発が絶えないのですよね。

ほんとうに自分の技が未熟だと自覚している人は、もっと謙虚なはずですが。東京藝大は何年も浪人して進学したデッサンの天才児がゴロゴロいるのに、学校のブランドを傷つけた罪も重いです。この女子院生、せめて修士号は辞退すべきではないですか。不名誉に学籍剥奪されるより、自主退学したほうがいいのでは。

その後、現在は銭湯アイドル兼漫画家なる女性が、兄弟子だったのにこの女学生絵師のために破門させられたとか、銭湯研究者の裏工作で弟子入りしていた事実すらなかったことにするように脅迫されたとか、そんな驚き証言も飛び出してきました。このあたりは、真偽不明なのですが…。まあ弟子を育てるのが難しいのでしょうね。

塗料には労働安全衛生法に規定されているような有害物も含まれていて、中毒性もある恐れもありますので。人手不足の塗装業界に絵が好きな若い女性が集まっているという話も聞きますが、妊娠出産を考えたら、あまり長く続けられる仕事とは思えないんですけどね。最近は、看板でも車体の塗装でも、印刷された特殊シートを貼るだけになっていたりするので、撥水技術がすすめば、銭湯もそのうちそうなるのでは。

もともと銭湯絵師は現在日本に3人しかおらず、くだんの女学生絵師師匠の弟弟子にあたる方に師事して10年近くして、2013年にやっと独立した、本邦初女性銭湯絵師なる田中みずきさんという人もいます(参照「銭湯絵師という仕事-田中みずき | nippon.com」)。この方はもともと銭湯絵を美術研究されていたうちに、職人として文化を受け継ぎたくて飛び込んだという。銭湯文化の広報活動をかなり実直にされていて、旦那さんにも手伝ってもらって、海外の自動車広告とコラボするなど実績もかなりあるようですね。銭湯絵とはペンキ職人の絵で、個人の創作性の高い絵画とはまた違った、とても泥くさい汚れ仕事なので、アートイベントとして呼びものにしないと脚光を浴びない、という。しかし、女性絵師とか、稀少価値とかがもはや独り歩きしているふうにも感じられます。

ちなみに銭湯絵はもともと関東圏の限られた地域の文化。
田中みずきさんは地方旅館や英国の私邸の浴場の壁画も描いた経験があるそうですが、経営難でやはり縮小気味です。注目されたのは、ここ近年。私は西日本在住者なので、まったく知りませんでした。大阪の銭湯に入ったことあるけれど、タイル絵でしたね。

この女学生さんは医師の娘で育ちがいいので、あまり銭湯みたいな下町文化にはふさわしくないとかいう意見もあるけれど。酒井抱一みたく、藩主の息子ながら一介の絵師(狩野派に師事したエリートだが、のちに出家して浮世絵師に学び、光琳に傾倒してその画風を復活させた)になったひともいますからね…。まだ修行中らしいし、後継者も少ない世界でしょうから、みんな真面目そうで若い彼女に期待していたのだと思いますよ。今回の盗作が免責されるわけではないけれど、素直に謝罪して、今後地道に銭湯絵師としてその仕事で見返せば、批判の声も変わってくるかもしれませんね…。

東京五輪のエンブレム(「美のクーリエたちの誤算」)といい、昨年の芥川賞候補作といい、隣国に負けず劣らず日本でも剽窃が多いとなると、国の文化の信頼性にも関わりますよね。こういうのを絶賛する人、目が節穴なのか。この女学生絵師がモデルなり、テレビやインタビューなりでちやほやされているあいだにも、日々画業に精進している若者はいるわけで、熟達者たちもしのぎを削っているわけです。一部の見る目のゆがんだひとが持ち上げるだけで、ほんとうに評価されねばならないクリエイターや作品が埋もれていくのはファンにとっては悔しいもの。

努力した結果は作品にかならず現れます。
ある程度のひとはそれを見る目を養っているのに。自作の欠点が見えないのは、美を預かる者としては致命的ではないでしょうか。傑作を見てうちのめされたことがないのでしょうね。

自己利益のために他人の作品を蔑ろにする者に、芸術家の端くれを名乗る資格があるのでしょうか。
技能を磨かず、絵画の神髄を求めず、既存の名作にも敬意を表さず、ただハリボテの栄誉ばかりを欲しがる絵師は、すべての芸術を志す者の魂を侮辱しているのではないのだろうか──そう責められてもしかたがない事態ではありますね。

それにしても、今回わかったのは。
畏敬の念を抱くほどの圧巻の絵と凡庸な絵とを並べておくと、悲しいほどの比較ができてしまうということですね。そして、その引き合いに出される「傑作」は、見るものの頭のなかに沁みついている場合もある。作者が誰だろうが、その絵にいくらの評価の数字がついてこようが、これはまったくごまかせないということです。それなのに、作品の価値と値段とはまた別ものであるというのが、芸術の世界の皮肉さでもありますよね。立ち回りが上手い人ではなく、いい作品を生み出そうと努めている人を私は評価したいですね。


【掲載画像】
尾形光琳『風神雷神図』(1711年頃、東京国立博物館)
とうしょ、狩野派に学んだ光琳は宗達画に私淑した。本作は、忠実な模写であることを明らかにしたうえで、視線の絡みや表情の卑俗化などのアレンジをあえて行った。この模写の構図を流用して、のちに光琳の最高傑作たる、リズミカルな視線を招く『燕子花図屏風』や『紅白梅図屏風』が生み出された。一世紀のちには、江戸琳派の祖となる酒井抱一にも模写された出光美術館所蔵の屛風画があり、さらには抱一の弟子・鈴木其一の「風神雷神図襖」があり、安田靫彦ら明治後期の画家たちにも近代的な解釈をくわえて愛されたという。まさに図像の転生である。



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