瞳子はあいかわらず演劇部の活動にいそがしく。きょうも薔薇の館へは寄らなかった。祐巳がそれでも淋しそうにしていないのは、きっとないしょでふたりで落ち合っているからなのだろう。
菜々はといえば一年生ながら剣道部のエースなので、練習に余念がなかった。
薔薇の館へは今朝いちばんにケーキを届けにきて、そのまま朝練。夕刻もすこしだけあいさつに伺って、その足で道場に向かっていた。剣道部に入部しても三年間レギュラーにならなかった由乃は、秋の大会が終わったあとは早々と引退した。菜々とおなじ部に長くいたいとは願ったけれど、彼女の足手まといになってはいけないからだ。由乃の部活動は、体力づくりが目的の基礎トレーニングが中心で、それにつきあってくれていた田沼ちさとは、頭角をあらわして剣道部の主将をつとめていた。へなちょこ由乃の腕前では、すでに段位者の菜々の稽古相手にもなれない。
「でも、いいのかな。こんなにおいしいのに。かってに三人だけで食べて」
「いいの、いいの。また、つくらせちゃうから。ここにいたら、おやつに不自由しないよね~。卒業したら、お茶しに大学から通うかな」
「こらこら。いくらおなじリリアン女子学園だからって、大学生はうかつに高等部にもぐりこんじゃだめでしょ?」
「だいじょうぶよ。十八、十九になろうが、二十歳をすぎようが、こころは乙女。制服着てくれば、ばれないって」
妹の菜々が中学生でフライング入学してしまっただけに、この姉も本気でやりかねない。なにせ、リリアン女子大進学組の卒業生で、待とうが待つまいが、校門ちかくで鉢合わせしない、なんてことはない。その前例が、佐藤聖で、その年に祥子も加わった。
由乃が最終的にリリアンへの進学をきめたのも、菜々の存在がないとはいいきれない。まだのこり二年をひとりで黄薔薇の称号を背負わなくてはならない菜々を心配して、彼女は日参で高等部の周辺をうろつきかねない。すでに来年と再来年の菜々にあたえられる学園祭チケット三枚のうち、二枚は自分と令のぶんだからと予約しておいてあった。
「まさか、本気でやるの?」
「そのときは祐巳さんも付き合ってよね。祐巳さんは私のパスポートなんだから」
そう、なんだかんだ、意見を通すとき、この友人はかならず自分をダシにつかっていたのだった。卒業後のリリアンだって、在校生に人気の祐巳が出入りしてくれたら、由乃も顔パスで通るともくろんでいるのだろう。
祐巳は呆れ顔で、正面の友人の顔をまじまじと眺めつくした。
ケーキを口に放り込もうとした由乃は、なにか言いたげな瞳をした祐巳が、自分の右頬を指でつついているしぐさに気づく。
「祐巳さん、歯でも痛いの? 」
「まさか、江利子さまじゃあるまいし。歯医者にはすぐ行くほうだよ」
「じゃあ、ほっぺたが痒いとか?」
こんな季節外れにうろついた、やぶ蚊に刺されたわけでもあるまいに。
「もう、違うって! 由乃さんはあんがい鈍いんだから」
祐巳のポケットから出されたコンパクトが、かちりと鳴って開く。気の利いたホストがライターを貸してやるように、祐巳は几帳面な手つきで正面へ向けた。
手のひら大ほどの鏡面には、頬に白い泡のついた道化た顔があった。「うわ、なんて顔!」と、由乃はあわてて、ハンカチで頬をぬぐった。
コンパクトミラーが角度を変えたとき、その裏側を夕光が撥ねて、まばゆく煌めいた。乃梨子はふしぎがって、目を凝らして反射の正体を確認した。
「え? …これは?!」