陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

過去の意識高い自分に殴られる

2024-06-09 | 自然・暮らし・天候・行事

ブログを続けて十数年以上になりますが、私は過去の記事、とくに自分のプライベートに関するものはほとんど振り返らないほうです。

開設当初はその当時の勤め先の悪口などもけっこう書き連ねていたのですが。
記事を消したり、隠したり。最近は私生活上もそうですが、レビュー記事であってもニュースバリューが高くなくてもいいようなものは、ほぼほぼ予約投稿にしています。ブログを毎日書き続けることが難しく、まとめて記事を書きあげることが多いからです。

以前から自分は飽き性で、かなりの気まぐれ屋だという自覚はありましたので。
そもそもこのブログが十年以上も続いたことでさえ、自分のなかでは奇跡に近いことでした。自分が書き続けたくとも、媒体自体がなくなってしまうこともありますので、運営を継続してくださっているgooブログサービスにも大感謝ですね。

企画したシリーズものや二次創作の連載を何か月も中断したり、放置したことも再々あります。下書きはできあがっているのですが、表に出すことにためらいがあり、完成させてはいるのに十年近くパソコンのなかで眠っていたりするのもあります。途中までで消したものもあります。

ブログで発表した記事のなかで、数年経って、出したことを後悔したものもあります。
とくに著作権があるもののレビューや公式スタッフさんにまつわる評価がそれです。制作者のなかにはすでに鬼籍に入られた方もいらっしゃいます。万が一、生前の創作が苦しい時期に、うっかり失礼なレビューをご覧になられていたら…今考えるだに恐ろしいことです。

私は過去の日記を自分から好んでは読みませんが。
たまに何かの検索で引っかかったのか、読まれている記事一覧にピックアップされてしまうことがあります。

心身が健康だったり、仕事がうまくいっていて、人間関係も良好だった時期に書いた、とても意識高めな記事。そういった記事に、年降りて、気持ちもからだも思うままにならなくなったこの頃、殴られている。そんなことが多くあります。

幸せの絶頂にあるときは奢りやすく、周囲の困りごとが見えない。無駄な万能感に浸ってしまう。しかし、いざ、つまづいてしまったときには、ブーメランのように言葉が突き刺さる。自己責任論に身もだえしてしまう。人生はそんなことの繰り返しなのですね。



(2024.06.05)





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