日本三景である陸奥松島、安芸厳島(宮島)、丹後天橋立からそれぞれ松島(まつしま)、厳島(いつくしま)、橋立(はしだて)と命名された名を取ったことが三景艦(松島型防護巡洋艦)と呼ばれた所以です。
大国清国との衝突が避けられない時期、清国北洋艦隊の主力である砲塔装甲艦「鎮遠(ちんえん)」、「定遠(ていえん)」の2隻は、東洋最大級の主砲である30.5cm砲を4門も備え、対して24cm砲4門でしかない旧式の装甲艦「扶桑」1隻しかない日本にとって大きな脅威でした。三景艦は、この清国戦艦2隻に対抗するためにフランスから招聘した造船技官エミール・ベルタンの提案により誕生したものである。その主砲はたった1門ながら清国艦を凌駕するカネー社の「32cm(35口径)砲」で、口径では鎮遠、定遠を上回りました。
日清戦争での海上主力対決となった黄海海戦において、三景艦を主力とした連合艦隊が北洋艦隊を破ったことができました。三景艦主砲の32cm砲は全く役に立たなかったが、副砲である速射砲と、高速を出せる艦隊の運動性の高さを生かし、撃沈はできないまでも敵戦艦の攻撃能力をほとんど奪うことができ、続いて威海衛攻撃で北洋艦隊を全滅させ、三景艦は見事に国民の期待に応えることができました。
大国清国との衝突が避けられない時期、清国北洋艦隊の主力である砲塔装甲艦「鎮遠(ちんえん)」、「定遠(ていえん)」の2隻は、東洋最大級の主砲である30.5cm砲を4門も備え、対して24cm砲4門でしかない旧式の装甲艦「扶桑」1隻しかない日本にとって大きな脅威でした。三景艦は、この清国戦艦2隻に対抗するためにフランスから招聘した造船技官エミール・ベルタンの提案により誕生したものである。その主砲はたった1門ながら清国艦を凌駕するカネー社の「32cm(35口径)砲」で、口径では鎮遠、定遠を上回りました。
日清戦争での海上主力対決となった黄海海戦において、三景艦を主力とした連合艦隊が北洋艦隊を破ったことができました。三景艦主砲の32cm砲は全く役に立たなかったが、副砲である速射砲と、高速を出せる艦隊の運動性の高さを生かし、撃沈はできないまでも敵戦艦の攻撃能力をほとんど奪うことができ、続いて威海衛攻撃で北洋艦隊を全滅させ、三景艦は見事に国民の期待に応えることができました。
昨日術科学校の記事を書いたんで、
リンクを張らせて頂きました。
ちゃんと、お詫びに来んといけんかったのに、
また忘れておりました。
ごめんなさいです。
本当はご存知ない方に遺髪や遺書の展示されてるところを見て頂きたいのですが、
あそこは撮影禁止なんですよね。
yoshiさんがずっと術校以外にも、潜水艦とか写されてるのでそういうのも見て頂きたかったんですけど。
でもご存じのお顔が拝見出来て、よかったです。
yoshiさん、ありがとうございました。