山心 花心 湯心 -Part2-

山に登り花や鳥に魅せられて北部九州をうろついています

山友の「Mくん」を悼んで!(ただただ残念!)

2022年02月11日 | ブログ特別編

 

-2月11日-

今週の月曜日、この30年近く何度となく一緒に山に登った「Mくん」が亡くなった。

あまりにも突然の悲報だったので、「え?なんで、ウソやろう!」と思わず言ってしまった。

火曜日のお通夜にも参列し、最後のお顔も拝ませていただいたのだが未だに信じられない。

同じ職場の二つ下の後輩である「Mくん」とは長いつき合いの山友である。

 

思い返すと、私が山登りを再開したのが93年3月の「由布岳」登山がきっかけだった。

学生の時と違って、就職してからはかなり仕事も忙しくて山はほとんど登っていなかった。

それでも、ハイキング程度は行っていたし山登りの自信はかなり残っていた。

それが、どうにか頂上へはたどり着いたが途中で足が動かなくなりバテバテになった。

この時登った十人くらいの中で、一番遅れて大いに迷惑をかけてしまった。

 

あまりにも情けない己の姿に深く反省をし、一念発起!山登りを再開することにした。

それで、この年の夏、久しぶりに「槍ヶ岳」に登ろう!と、誓いを立てた。

そして、この計画に付き合ってくれたのが「Mくん」だった。

なので、その後の30年近くまだ山登りを続けているのは「Mくん」のお陰である。

感謝しても仕切れきれないほどの「山友」だった「Mくん」!

 

心の整理をしようと昔のアルバムを開いていると、あまりにも懐かしいのが数多くあった。

それで、どうにか記録にも残しておきたいと思い、スキャンの仕方から勉強してみた。

その結果、どうにか写真データとして取り込んだ中からいくつかをピックアップして、

「Mくん」との思い出のシーンを中心に紹介して、その在りし日を偲びたい。

 

私の山登り再開のきっかけとなった「由布岳」(93.3.27)

 

夏の北アルプス遠征に向けて、毎月ハードめの鍛錬登山をすることにした。

 

その第1弾が「祖母山」だった(93.4.29)

私が41歳、「Mくん」はまだ30代、とっても若い!

 

そして、第2弾が「市房山~二ツ岩の周回」(93.5.16)

 

さらに、「平治岳~黒岳」(93.6月)

 

今では、こんなロングコースは歩けれないかも?

 

そして、目標の表銀座~槍ヶ岳縦走」へ!(93.7.23~26)

合戦小屋名物のスイカ

 

燕岳を越えて、大天井岳へと向かう

この日は、ヘロヘロになりながら一気に大天井ヒュッテまで足を伸ばした

 

大天井ヒュッテから西岳の途中で、槍が見えてきた!

 

東鎌の途中で雨になったが、肩の小屋に着いて小降りの中、槍ヶ岳登頂!

 

そして、翌日に飛騨沢から下山

 

次の年には、初めて九州一の山と思っている大崩山にも!

 

95年には、再度のアルプス遠征で南アルプスに

 

この時は、「Mくん」のテラノで深夜夜通しで高速を三人で交代しながら登山口の伊那へと向かった

甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳のピストン(下山後は、秘湯めぐりで秋山郷にも)

 

その後も九州を中心に登って、四国遠征にも(00.8.5.~6)

石鎚山

 

瓶が森

 

四国遠征は、その後も何度か行っている(13.11.16)

剣山から次郎笈

 

九州内では、五葉岳周辺には何度も一緒に行った

五葉手前の頭布岳

 

アケボノツツジには心底魅せられてしまった!

 

カメラがとても好きだった「Mくん」、いつも一眼レフとともに!

 

毎年5月5日が「五葉のアケボノツツジ」を見に行く日と決めてもいた

 

性格はとても温厚で寡黙傾向の「Mくん」だったが、酒を飲むと朗らかに!

 

一番多く登ったのは、やはり久住だろう

 

ミヤマキリシマの季節には、二十数年欠かさずに登った!

 

雨の時も花が不作の時にも通った!

 

私たちグループのホームマウンテンは久住かな!

 

秋には紅葉登山で大船や三俣にも通ったもの

 

冬になって、久住に雪が降ればチェーンを用意していそいそと出かけた

 

私たちと登る以外にも、ソロでアルプスや九州の山にもよく登っていたね

 

余りバテた姿を見ることがなかった「Mくん」

 

私の歩きが遅くなると、立ち止まってじっと待っていてくれた「Mくん」

もうあなたと共に山道を歩けないかと思うととても切ない気がします。

多分、今年の五月五日には悪路の日陰林道を走って五葉岳に登ろうと思います。

いつもの山仲間と、ゆっくりあなたのことを山頂で話したいと思います。

確か百名山にもずいぶん近づいていたはずです、登るつもりだったんですか?

海外の山も含めて、まだ登りたい山がたくさんあったことでしょうね。とても残念です!

山がとっても好きだった「Mくん」、心からの感謝の念と哀悼の意を表します。

 

                            合 掌

 

 

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4 コメント

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Unknown (yamabousi)
2022-02-12 15:51:44
残念でしたね、自分は50代の節目を堺に体力維持を目的にとある山の会で始めて知り合い気脈が通じてそれから一緒に山にお付き合いするようになりましたが、10年近くで突然のお別れを経験でした、山歩きするなら山野草も覚えるともっと楽しいよと教えてくれたのも彼でした、それが花に興味もつきっかけでも有りましたよ
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寂しくなります! (山沢周平)
2022-02-12 23:28:48
yamabousiさん、ありがとうございます。
山友が亡くなるということは、こんなにも寂しいことなのですね!
毎回一緒ということではありませんが、何だか櫛の歯が一本かけたような気がしています。
山を一緒に登るということは、強い絆で結ばれるのでしょうね!
彼の分まで、体の続く限り山に登りたいと思っています。
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お悔み申し上げます (風来坊)
2022-02-17 09:37:16
山沢さん、おはようございます。
ご無沙汰していますが、悲しい出来事があったのですね。
私も、1年ちょっと前に以前、よく一緒に登っていた山友さんが山の事故で亡くなり、ショックでした。
山沢さんは、かなり長いお付き合いだったので、私以上に深い悲しみだったことと思います。
五葉岳で、ぜひ、祈りをささげて下さいませ。
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ありがとうございます (山沢周平)
2022-02-18 10:09:55
風来坊さん、おはようございます。
こちらこそご無沙汰です。体調お変わりないですか?
本当に山友を亡くすのは、とてもつらいものがありますね!
これまでに一緒に登った景色が、次々と蘇ってきました。
懐かしさと寂しさが入り交じります。
「もう君はいないのか」という気分です。
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