よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

力道山を知ってますか?

2006年08月31日 | いろいろ
戦後のヒーローって誰かと聞かれれば迷わず「力道山」。”戦後”という言葉が最早風化、若者に”戦後”と言ってもピンと来ないのは道理だが、戦争に負け、いじけていた日本人にその後の活力を注入してくれたのは、紛れも無く力道山。角界という伝統に凝り固まった世界を駆け抜け、プロレスという新しきものを日本人に見せてくれた天下のヒーロー。

小学校の頃、近くのパン屋がテレビを買い、通りから中のテレビが見えるので番組が始まるとあっという間の人だかり。一番人気はもちろんプロレスで、伝家の宝刀空手チョップが最後に炸裂、それに皆酔いしれる。

よし坊に敗戦の実感はないが、当時の大人達にはそれこそ敗戦はトラウマで、そのトラウマ症候群の大人達を前に、ヒーローは、憎き大男のアメリカ人をバッタバッタとなぎ倒す、その快感はいかばかりか。

日本人が、この半島から来た金信洛、後の力道山によって大いに勇気づけられたことに唯唯感謝するのみ。

最近日韓合作映画「力道山」を見たが、やはり実像に迫るには、リー・スンイル著の「もう一人の力道山」がおススメ。

異国文化との狭間で

2006年08月29日 | いろいろ
海外に住み、働くということは大変なことで、異国文化の狭間で悲喜こもごも。単に言葉だけの問題でなく、目に見えない文化的民族的背景が分からないから厄介この上ない。

身近な韓国へのパイロット(案内人)役は、呉 善花女史の「スカートの嵐」から始まる一連の書が面白い。折に触れて読み直し、その都度参考にしている。昨今の日韓の接近・文化交流で昔あった垣根は低くなりつつあるが、接近がドンドン進行すればする程、逆に違いの認識をキチンとしないとかえって変な事になりかねない。

仕事柄、日本や日系企業で働こうとするアメリカ人に薦めている本や映画がある。本は、ロバート・ホワイティングの「菊とバット」や「和をもって日本となす」。特に「菊とバット」はアメリカの野球選手が日本へ行く時に読むバイブル的存在としてつとに有名で、野球という場を借りて日米の文化の違いを鮮やかに描いている。野球だけでなくビジネス、暮らしの場面でも大いに参考になる。両方とも英語本も出ているのでアメリカ人必見の書であると同時にアメリカに行こうとする日本人にとっても大いに参考になる。

映画でアメリカ人に薦めているのが2つある。アメリカに進出した日本の自動車メーカーを扱った「Gung Ho]と野球を扱った「Mr.Baseball」。
「Gung-Ho」とは、元々中国の小さな共同体組織の工和(共に一生懸命目的に向かって働く)から来た言葉らしく、アメリカの軍人がその精神を自分の隊のモットーにしたのが英語表現になったようで、gung-ho career womanと言えば、バリバリのキャリアウーマンを、gung-ho company manと言えば会社一筋人間を指すらしい。映画の「Gung Ho」は、日本人の描き方に若干雑な面があるが、製作当時の日本人に対する認識程度からするとやむを得まい。

こんなことを書きながら、同じ文化圏の自分のヨメさんとの垣根はどうなのか考えると、たまに相手のことがよく分からんこともあり(向こうもそう思っているだろう)、更に自分自身どれくらい分かっているのかも定かでないことにたどり着き、よし坊の頭は、一瞬止り、次の言葉が出てこない。

チゲ鍋とラーメン

2006年08月25日 | いろいろ
鍋物と言えば冬と相場が決まっているが、我が家では通年、しかも週一食卓を飾る。ちゃんこ、うどんすき、水炊きと併せてのローテーションだが、何故かチゲ鍋が多くなる。若かりし頃、仕事での韓国との付き合いは我が家に焼肉とキムチ文化を定着させ、韓国かぶれよろしく、焼肉の友にはチンロ(真露)の韓国焼酎を、となる。

日本にいる時は気軽に出来なかったチゲ鍋、アメリカでは韓国スーパーで粉状のチゲ鍋の素が手に入るので、至極便利にして、献立に困った時など、「じゃ、チゲ鍋にすっか」で一件落着。

問題は中に入れるインスタントラーメン。いろいろ試したが、我が家のイチオシはウォルマートで売っている袋麺のマルちゃんラーメン。一個13セントで安い、そして美味い。日本で売っている俗に言う美味しいインスタントラーメンを入れてみたが、どうも味がずれてると言うか、しっくり来ない。私だけかと思ったら娘もワイフも同意見。

因みに、我が家の鍋の日は毎週土曜日と決まっている。

新・燃ゆる時

2006年08月23日 | いろいろ
よし坊は、読書といえばノンフィクション物を好んで読み、企業人の端くれとして企業小説をよく読む。
とりわけ高杉 良の小説は面白く、小説とは言うものの、実際に近いと思われるプロットの提供は外野席の我々に内幕を垣間見させる。

最近読んだ「新・燃ゆる時」は、アメリカでのビジネスに携わる者、とりわけ、これから駐在員として派遣される諸君への格好の入門書にして、安くて最適な贈り物。アメリカ、或いは海外(欧米)を舞台にした企業小説はあまり例が無いはずで、貴重な作品。

日本とアメリカ、会社環境は相当違うが、その違いの何たるやを知らずに現地法人勤務を命ぜられ、餞別の言葉がせいぜい「セクハラだけは気をつけろ」程度で来る駐在員が圧倒的に多い現実。運が悪けりゃトンデモナイ事になるが、運の一言で片付けていいものか。

人間、身は一つだから、経験には限りがある。小説は擬似体験という形で、コノ経験を増やしてくれる絶好の手段。日本株式会社の人事部長の諸氏、この「新・燃ゆる時」一冊で日頃抜けてる重要な仕事が済むのだから、こんな朗報はないと思うが。








イッツ JAZZーSOMETHIN' ELSE

2006年08月21日 | Jazz
好きな音楽はと聞かれても、これというもの無く、なんとは無しの音楽であり、強いて言えば60年代はレイモン・ルフェーブルやポール・モーリアといったフレンチポップスで、がなるようなロックやジャズは嫌悪感の対象で聴くのも嫌。だった、会社に入るまでは。

出会いというのは不思議にしてオソロシく、会社の帰り、電車の中で独身寮の主(ヌシ)にバッタリ。(主)が突然「ちょっと付き合え」で途中下車、向かったところはレコードショップ。(主)、レコードを数枚購入したところで、やおら「ジャズ好き?これ聴かへんか」。恐れ多き(主)のお言葉、顔を見れば無言のプレッシャー、断われるはずもなく、「SOMTHIN' ELSE」が我が手の中へ。

帰りの道中、(主)はジャズの薀蓄独演会で、我が方は上の空。漸く寮にたどり着き、自室へ直行するはずが、「俺の部屋へ来い」の(主)の追い討ちで、コレも縁かと部屋に入って仰天。壁じゅう、床から天井まで、千数百枚に及ぶレコードの山。

(主)は、独身を長く謳歌する寮の長老であり、それ故に数少ない大部屋を与えられ、ジャズ三昧の生活。保険も生命保険か車の保険と思いきや、レコードに保険を掛けてると聞くに及び、話もそこそこに退散。

買ったからには聴かにゃ損と早速ステレオコンポでプレイスタート。最初の曲は「枯葉」、マイルスのトランペットで幕開き、それをキャノンボールのサックスが引き取り・・・・そしてこの一曲で我がジャズへの嫌悪は一挙にぶっ飛びとなった。

その時以来、(主)と話を交わした記憶なく、あっという間の幾星霜、今頃どこに居られるや。(主)にカムサハムニダである。

よし坊のジャズィーな話、乞うご期待。

映画三昧ーかくも長き不在

2006年08月18日 | 映画
遊びに来た娘が突然「オトン、コノ映画知ってる?男と女がダンスをしてて、男の頭に傷があって、最後死ぬねん」。キーワード満載のコノ言葉は我が脳を瞬時に駆け巡り、頭の中で「えっ?何でこの映画知ってんねん」。アレしかないと思いつつ、おもむろに「カフェで歳いった男と女主人がダンスをしている。記憶を呼び戻そうとするが戻らない。男の後頭部に傷を見つけ愕然とする。ソレか?」娘「ソレやソレや」。我が娘もついに観たか、と訳の分からない感激を胸に一人悦に入る。
深夜のテレビで観たらしく、これを放映した局はなんと見識の高い局であろうかと、独断の評価。

コノ映画、「かくも長き不在」原題名Une Aussi Longue Absence(仏)を観たのは高校の時、所は新宿アートシアター。当時アートシアターは東京でも2館位しか無く、掛かるのも大衆受けしない問題作秀作佳作の類、余程映画が好きでなければ行くまい。多感な高校時代のやたらのアートシアター通い、今となれば贅沢の域。

戦争の悲劇傷跡を取り上げた秀作にして、数少ない心に残る作品か。女主人役のアリダ・バリ。あの名作の誉れ高き「第三の男」の窓から見える横顔のハッとするような美しさが我が脳裏に焼き付かねば、この作品との出会いも無し。

もう何年も前からこの作品を今一度観たいと、ビデオDVDを探しているが、インターネットで調べても何も出てこないのはマイナーな故の悲しさか。フランスに行けば手に入ろうが、よし坊フランス語はペケ(X)である。いつの日か、DVD化されんことを唯唯願うのみの今日この頃である。

旅行記ーイタリアン・ジョブ

2006年08月16日 | 旅行
イタリアン・ジョブという痛快な映画があったが、イタリアを旅行するととんでもないジョブに出くわす。

イタリアはジプシーが多い。そして、彼らのイタリアン・ジョブに悩まされるのだ。要するに引ったくりである。それも公衆の面前で堂々とやるから、こちらもつい油断する。その手口も様々。背中に何か付いていると注意を逸らした隙に引ったくる。赤ちゃんを連れて近づいてくればこちらも油断する。人ごみで新聞紙をターゲット(人)の胸元でおっ広げれば、胸から下の視界も遮断され「え、何?」と一瞬の隙。挙句の果てにはポケットに手をつっこんできたり。油断も隙もない。

以前、上司と仕事でイタリアに出張、休日が入ったので、一日バス観光。降りたところでひと騒動。まず、我々の前に降りたアメリカ人にジプシーが殺到、引ったくらんとしたところで、そのアメリカ人が一喝、パッと引いた。と思ったら、次なるターゲットが我々。危ういところで、「コノヤロー」。事なきを得た。

我が家族旅行では、この経験が功を奏し、ワイフも子供もジプシーと見たら、全身身構え、目をそらさず隙を作らず、近寄らず。と思ったら肝心の拙者が危うくやられそうに。

ミラノの通りを歩いていると、反対側の通りをジプシーの女性がキャスター付き旅行バッグを引っ張りながら全力疾走、その後ろをビジネススーツの男性が追いかけている。と「待て、このヤロー」の声が。そのニッポン人が追いついた途端、女はカバンから手を離し一目散。周りの人はただ見ているだけ。日常茶飯事でニュースにもならないイタリアか。

イタリア旅行はくれぐれもご用心。

映画三昧ーキクとイサム

2006年08月09日 | 映画
自称映画少年(その後中年、今老年)の”よし坊”、何故か突然、昔見た「キクとイサム」を思い出し、思い出したら一刻も早く見たいと、オンラインでDVDを買い求め、45ねんぶりの再上映と相成った。1959年の作品となっているので、見たのは小6くらいか。なぜこの映画を覚えているのか。恐らく、人種差別という題材を初めて私に突きつけてくれたのがこの映画だからだろう。

改めて見ると、北林谷栄がいい。歳不相応のその昔から、老け役をやらせたら右に出る者なしの役者で、最近画面でみたのは、「阿弥陀堂だより」だったか。もう、御歳90を越えているはず。

主演のキクを演じた高橋恵美子、自身も混血ということで、その後も苦労したと思うが、ジャズを中心に、演歌も歌えばなんでも歌う肝っ玉シンガーとして活躍していると聞いて、思わず喝采。

団塊世代の第一期生、ひとり静かに感動。それにしても、最近やけに涙腺がユルユルなのである。

落し蓋

2006年08月07日 | いろいろ
芸能人が料理を競って作る番組があるが、これが中々面白い。芸能人が出ているから面白いのではなく、意外な人が料理が上手かったりして、ひょっとして、日頃料理をしない人がこれを見て、やって見ようかと思う人が増えたりしないかと期待するのである。

世の中、共稼ぎやら女性の自立やらで、お勤め忙しく、その分 料理をする時間が減少、デパ地下のお惣菜が手ごろで美味しく、これにレンジでチンの商品が加われば、主婦のみならず、独身にも朗報で、益々料理しない派が増えるのみ。

落し蓋というのがある。煮物料理につきもので、煮崩れ、煮踊り、煮昇りを防いで味を均一に仕上げる技というか道具である。鍋の蓋で煮物材料の上に直接置く。あるTV番組で町を通る若い女性に実物の鍋と蓋を見せて「落し蓋ってどうするか知っていますか」と質問。いきなり蓋を地面に落とした女子高生にはビックリ。半数以上が知らず、何人かは実際に手に持って見事に落として見せたのである。

マグロってどんな魚か聞かれ、「赤い色の長方形の板状の魚でしょ」と答えた若い子。スーパーで売っている短冊状のマグロの刺身である。これが海で泳いでいると本気で思っていたと言う。

コンビニ天国ニッポン。レンジでチンの時代のなせるワザ。嘆いても始まるまい。「そんなこと知らなくても生きていける」と言われるのがオチか。 沈黙・・・。


セクハラ

2006年08月06日 | アメリカ通信
ついこの間発覚した北米トヨタのセクハラ訴訟が、早くも和解で決着。過去には、かの有名な米国三菱自動車訴訟が記憶にあるが、今回は、日本人が日本人(とその会社)を訴えたことが目新しい。訴訟を好まぬ日本人が起こしたということは、余程のことか。

この事件を聞いた時、数年前のアメリカ全国紙USA Todayのコラム記事が突然脳裏に。若いアメリカ人女性のニッポン会社(東京)労働事始。そこには、日本のセクハラに対する無知、未成熟さへの驚愕が。例えば、会社に雑誌プレイボーイがあり、パソコンでいかがわしいサイトを見ている、上司がニヤついた顔で「もう、ボーイフレンド出来た?」最後に彼女は、日本のセクハラに対する未熟さを訴えてこう結ぶ。Americans’ disgust with sexual harassment has not yet floated across the Pacific.

外国に住むと自分の国がよく分かる。だから、若者よ、外へ出よ、と説く。そこで、世界の常識日本の非常識を学ぶ。

この大企業トップに対するセクハラ訴訟。相手が日本人なら、まさか訴訟はすまい、と甘く見たのか、お粗末の限り。この一件、近年、海外進出著しい日本企業への久しぶりの”警告”とみる。レッドカードで一発退場無きよう、戒め戒め