はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

青柳雄介著『袴田事件 神になるしかなかった男の58年』

2024年12月14日 | 
2024/12/14


青柳雄介著の
『袴田事件 神になるしかなかった男の58年』 
を読みました。

袴田事件のドキュメント映画を
 見に行ったあとに
もう少し詳しく知りたくなって
読んだ本でした。

この本は2024年8月20日発行で
無罪判決が出る前に出版されています。

 


NHKスペシャルで
『雪冤の歳月 ひで子と巌 奪われた58年』
も放送されましたね。




本の冒頭に巌さんが実兄に送った手紙が
載っていました。

巌さんは私が思っていたより
ずっと考え深く
もののよくわかった人だったと
感じたのです。


(1973年1月26日、袴田巌から兄・茂治あて書簡より)
〈私も冤罪ながら死刑囚。全身にしみわたって来る悲しみにたえつつ、生きなければならない。そして死刑執行という未知のものに対するはてしない恐怖が、私の心をたとえようもなく冷たくする時がある。そして全身が冬の木枯におそわれた時のように、身をふるわせるのである。自分の五感さえ信じられないほどの恐ろしい瞬間があるのだ。しかし、私は勝つのだ。私は、今日、自分の生活に対する決意と行為が、一つなりとも卵を持って石に投げつけるのに等しい無謀なものだとは思わない。〉


私が袴田事件を詳しく知ったのは
最近のことなので
意思の疎通の難しい巌さんの姿しか
知らなかったのです。


それにしても死刑判決は
袴田家の親族に途方もない苦痛と悲しみを
もたらしました。

1966年6月30日に事件が発生し
49日目の8月18日
袴田さんは逮捕されます。

1968年9月11日、静岡地裁で死刑判決が出ると
その約2か月後の11月17日 
母・ともは68歳で亡くなります。

翌年の4月11日には
後を追うように父・庄一が69歳で
亡くなっています。

これは大きすぎる悲しみやストレスが
2人を死に追いやったといっても
過言ではないと思います。


「あんたが勝ったよ」

ひとこともしゃべらなかったけれど
きっと理解しているであろう巌さん。

無実の罪を晴らすまで58年という長さ。

一生を棒に振ったようなものですが
無罪を勝ち取る日まで
生きてこられたことは唯一の幸運だった
と思えるのです。

こうした冤罪が二度とあってはならないと
思いますし
袴田さんとひで子さんの2人の戦いを
無駄にしてはいけないことだと
痛感しました。


 


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