はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

平安時代の屋敷は寒かった?

2024年12月15日 | 雑感
2024/12/15


大河ドラマ「光る君へ」が
今日で終わります。

見ていると平安時代の暮らしについて
いろいろ疑問が浮かんでくるのです。

NHKラジオ深夜便(14日、午前4時)
で聴いた鳥居本幸代さん
(京都ノートルダム女子大学名誉教授)の
お話が興味深かったです。

ドラマを見ていて何が疑問だったかというと
いつの季節も寝殿造りの広い屋敷が
開け放たれてます。

庭が見えていて
みんな渡り廊下を歩いたりして
ずいぶん風通しがいいのです。

冬でもそうだったのかしら?
これでは寒いはず。

昔は暖房など手元にしかなかったであろうに
どうやって暮らしていたのだろうか。

これは平安時代だけでなく
鎌倉殿の十三人を見ていたときにも
感じたのでした。

それが鳥居本さんのお話で
疑問が解けました。

昔は窓ガラスというものがなかった!

部屋に外光を取り入れなければ
暗かったのです。
だから開け放っていたのだと。

夜になれば板戸のようなものをつけて
休みますが
昼間からそれをすると暗くて
灯りが必要になってきます。

油は高価で昼から灯りをつけていることは
なかったのだそうです。

木の家だから、火事の心配もあるかもね。

でもそれでは
寒かったのではないかしら。

あの頃の屋敷は天井というものがなく
(屋根だけ)
床は板敷きで寒かったそうです。

そのためにたくさん着込んでいたのだそうです。

十二単というのは単なる着飾りでは
なかったのです。

たくさん着込む必要があったのですね。

貴族の女性は動いて働く必要もなかったし。
なるほどなあと思いました。


寝殿造りの屋敷には風呂場もないので
渡り廊下のところなどに
衝立をぐるっとまわして
盥のようなものを置いて行水をしたそうです。

髪の毛が長いので洗うのも大変で
陰陽道で占って、良き日に洗うというのです。

ドライヤーもないから
乾かすのも大変ですね。

冬場など風邪をひいてしまいそう。
たまにしか洗わなかったのですね。

お化粧は昔からしていて
奈良時代に鉱物性の原料を使う化粧が伝わって
水銀、鉛など、毒性のあるものを
顔に塗っていたそうです。

当時の女性の寿命は30代だったけれど
その化粧も関係していたのではと
鳥居本さんは話していました。

貴族の男性も薄化粧をしていたそうですよ。



ラジオ深夜便 午後4時台「明日への言葉」
12月22日(日)午前まで聴けます。





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