貧困と脳/鈴木大介著
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これは良書だ。身体的障害と精神的障害は違うと考えている人が多いかもしれない。
僕は精神的な問題は努力とか根性で改善することは出来ないと思う。
それは個人においては、脳の問題であり、さらに集団としては人間社会の問題である(スピリチュアルな捉え方はや意識がどこにあるのかという哲学的な話しは別として、ここで私が述べているのは物理的な次元での話し)
問題を問題として問題にしているのは、社会的な病理であり、問題ととらえているその社会や国や正常と称する多数派が作り出したものである。
自分は正常という自覚の無い病の集団が、病理を作り出す。
もし平均値を正常と見做すならば、IQという物差しで測った場合、IQの高い人々は異常となるはずであるが、それは高知能と称賛される。
IQテストと人格は全く関係が無い上に、その知能も疑わしいにも関わらず。
そもそも人間を物差しで測り、上か下かを決めること自体が狂っている。
もし人間がただマウントを取りあうだけの生物であるとしたら、それは地球上に存在する生物の中でもっとも凶悪で残酷な生物となる。
僕はそうではないことを信じている。
この本は福祉関係者及び当事者と思われる方はぜひ読むと良いと思います。
著者の鈴木大介氏は今まで言葉にならなかったことを、言葉として表現できています。
病気とか病気ではないとか言う些末な概念を超えて思考を広げてみて下さい。
追記①
僕は計算が出来ない、物を覚えていられない。このことについて物凄く努力したが、全く改善することは無かった。このことによる社会的な苦痛は想像を絶する。圧倒的にバカ扱いされる。自分が悪いのだと自罰に陥り、周囲もそう見なす。どれだけ努力しても、努力が足りないと言われる苦痛が分かるだろうか。例えば先天的にあるいは後天的に目が見えないとか、手が無いとか言う人に、あなたが目が見えないのは努力が足りないからだと言うだろうか、言えるだろうか。何故か心の問題については人間は残酷な程に厳しい。俺が出来て、何でお前に出来ないのだと詰め寄られることになる。さらに出来ることもあったりして、楽しそうにしていると、あいつは嘘をついているとか、都合が良すぎると認識される。身体障害者が笑っているとそれは良いことの様に見られる。この圧倒的差により、絶望感に陥っているのが精神的な問題を抱えている人々であり、さらに精神的弱者であるが故にこのことを説明が出来ないし、理解されないと沈黙してこの世から消えるしか無い状態に置かれる。この厳しさはハンパ無い。僕は4年前に脳の問題で入院して1年間仕事を休んだことから、このことがより具体的に認識できるようになった。著者は10年前に脳梗塞を患い、それが分かったようだ。この本の様に説明が出来るというのは本当に稀有な人であり、これにより精神的な問題を抱えた人を理解することが出来るだろうと思う。自己責任論は弱肉強食の強者の論理であり、現代は強者が支配していることにより、人間は未だに人間になることができていない。だから悲惨な争いが常に展開される。
追記②
このような理不尽に対して僕は徹底的に闘って来たが、それは全く良い結果を生まなかった。単に切れやすい危ない奴に過ぎないが、こちらはそうするしか手段が無いのだ。あまりにも理不尽だし、説明しても理解されることは無いからだ。闘うか、逃げるか絶望して、この世から消え去るかこの選択肢しかなければ、闘うことが自分を守ることになる。今は闘わないという選択肢が取れるが、すでに僕は56歳である。早く自分を認識して、全てが自分の責任と言う社会の病理を認識することが大切である。そうでなければ、犯罪者になるか、この世から消えるしか方法が取れなくなる可能性が高い。社会がこの事を認識することが大切だが、活字中毒の僕も鈴木氏がこのように具体的に説明されるまで認識ができなかった。これからきっと良い社会が訪れると思う。どうか絶望しないようにして下さい。僕は僕個人を考えても、今までこの世から消えること無く、さらに犯罪者にならず良く生きてきたなと思います。
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