今年も充分に楽しませてもらった紅葉…いわゆるモミジ類は同じ場所の木でも、紅葉する時期に1か月くらいの差があるのを見かけます。
個体差といってしまえばそれまでですが、同じ種類でも環境から受ける刺激は少しずつ違い、光の当たり具合や水湿、風、土壌などの外的環境と、色素を作り出す酵素系の違いが複雑に絡み合って起こる現象といわれます。
紅葉の仕組みは、秋も深まり気温も低く日照時間も短くなると、葉と枝を結ぶ葉柄に離層ができ、葉で作られた糖類やアミノ酸類の栄養分が木に供給されず葉に蓄積されたところに、光合成によりアントシアニンという赤色の色素が発生するとされます。
また紅葉時期の差は、各個体や同じ個体でもそれぞれの葉の、紅葉に至る老化の進み具合など、植物のもつ個々の生理的状況にも強く影響を受けるとされます。
人間だって同じ種のホモ・サピエンスなのにいろんな人種がうまれ、同じ日本人でもDNAのわずかな違いや環境状況からいろんな差が出てくるのと同じでしょうか。
この紅葉は古来より日本人の心をとらえ、1200年以上前の万葉集でも多く詠まれています。ただ「もみち」と濁らずに記されており、いわゆるモミジではなく色づいた秋の木の葉を広く指す言葉だったようで、黄葉と書かれています。
万葉の時代には赤よりも黄色のほうが人々に好まれたとする説もあります。
奈良山をにほはす黄葉(もみち)手折(たお)り来て 今夜(こよい)かざしつ散らば 散るとも 三手代人名(みてしろのひとな)
春日野に時雨ふる見ゆ明日よりは 黄葉(もみち)挿頭(かざ)さむ高円の山 藤原八束(ふじわらのやつか)
万葉集から約100年後の古今和歌集になると、もみじを紅葉と記すのが普通となり、また紅葉の燃えるような紅の色を強調する歌が多くなりました。
雨降れば笠取山のもみぢ葉は行きかふ人の袖さへぞ照る
壬生忠岑(みぶのただみね)
もみぢ葉の流れてとまるみなとには 紅ふかき波やたつらむ
素性法師(そせいほうし)
いずれにしても散るまでの束の間の輝きを愛おしむ美意識が、1000年以上前の日本人にあったということを不肖な子孫の仙人は、ただただ感心するばかりです。
時期をずらして充分楽しませてくれた紅葉の秋から、モノトーンの冬に向かっていつものように時は過ぎてゆきます。
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