今年ももう7日、今日までは松の内なので正月にふさわしい朱塗りの神社のご紹介です。昨年10月に信濃の旅で立ち寄りました。
長野県上田市にある生島足島(いくしまたるしま)神社は、万物に生命力を与える「生島大神」と、万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られています。
社伝では、建御名方神(たけみなかたのかみ・諏訪大社の祭神)が諏訪の地に下降する際、この地に留まり二柱の大神に米粥を献じられたと伝わり、今でもその儀式が御籠祭として執り行われています。
名神大社(みょうじんたいしゃ)とは、日本の律令制下において、名神祭の対象となる神々(名神)を祀る神社である。古代における社格の1つとされ、その全てが大社(官幣大社・国幣大社)に列していることから「名神大社」と呼ばれる。ウィキペディア(Wikipedia)
古くは大同元年(806)に平城天皇の寄進、建治年間(1275~1278)には北条国時が社殿を営繕し、真田昌幸、信之の武将、代々の上田城主も神領を寄進し社殿の修築も行っています。
本殿は神池に囲まれた神島の中の大樹の下に建っています。
神池の中の本殿に神橋を渡ってお参りする…この形式を「出雲式池心宮園」といわれ日本でも最古の形式の一つだそうです。
本殿の扉の奥に内殿の建物があり、本殿が覆屋となっています。この内殿には床がなく、大地そのものがご神体として祀られています。
北面して鎮座する本殿と向かい合わせに建っている摂社の諏訪社は、諏訪神を祭神とし、その本殿は棟札に慶長15年(1610)上田藩主真田信之が建てたと記されています。
両社の間には、諏訪神が本殿に遷座する時のみ開かれる御神橋がかかっています。
東手水舎です、東西に鳥居があるので両方に手水舎があります。
創建に諏訪神社の神様と縁があり、諏訪大社との由緒により、諏訪と同じく、申年と寅年に御柱大祭が行われています。使われた御柱が本社と諏訪神社全体を取り囲むように四方に建てられています。
また、武田家臣団が信玄への忠誠を誓った起請文や信玄が川中島での戦の前に戦勝を祈念した願文、真田昌幸の朱印状など94通の貴重な「生島足島神社文書」が保存されおり国の重要文化財に指定されています。
朱漆塗の社殿の塗装は、近年の塗り替えによるものですが、建設当時もこのように塗装されていたと考えられるそうです。極彩色であまりにもきれいなので古さを感じられませんが、1200年以上もの歴史をもつ古社でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます