日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。
小菊
菊のシーズンである。各地で菊まつりや菊展が開かれている。今年はすこし開花が遅れているようだが、バラと並ぶ一大花祭りである。
菊で思うのは、紋章である。天皇家の由緒ある紋章だが、いっときは一般人が使用するのが禁止されていた。禁止されたのは明治になってからだと思うが日本酒の銘酒に「菊水」というのがある。菊に水の組み合わせる菊水というのは、由緒ある立派な紋章で、普通の人が使えなかったはずである。このお酒はいつから使うようになったのだろうか。今でもラベルに菊水紋章がプリントされている。
ところで、天皇家はいつから菊の紋章を使うようになったのだろうか。伝えられているところでは、鎌倉時代、後鳥羽上皇が菊の花がとても好きで家紋としてさまざまなものに菊の紋を使うようになったのがきっかけだとされている。それまでは「日月紋」(じつげつもん)だとされている。天照大神は日の神だからだそうだ。
菊は匂いが強い花で、丈夫である。栽培も簡単だ。だから地方にいけば、至る所に花がさいている。種類も多い。大きな分類としては、大菊、中菊、小菊と花の大きさで区分けしているようだ。食用もあって菊のお浸しは秋の味覚である。蚊取り線香用の除虫菊というのもある。日本人にはもっとも馴染みのある花なのである。
全国隅々まで威光を伝えたかった天皇家としては、後鳥羽院が菊を選んだのは格好のことだったのかもしれない。
日本のラグビー代表のエンブレムは桜だが、サッカーにもエンブレムを与え、菊を模ってはいかがだろうか。【彬】
先日、母校、上智大学経済学部の同窓会(経鷲会:けいしゅうかい)に参加した。(経は経済学部の経、鷲は、上智のシンボルマークの鷲)
毎年、毎回参加するようにしている。様々な出会いや発見があり大変楽しい。
会は、総会、講演会、懇親会、と進む。
・上智学院 理事長挨拶。
・経済学部長の講話。「経済学部の今」
・同窓会長挨拶。
・講演会:日銀0Bの興味深い話。
・懇親会。
ところで、学部長の話によると、「経済学部の今」は「僕の在籍していた時代」と大きく変わっている。
現在は、
・国内、海外の大学と協力し、また、様々な企業と提携し、学生たちが様々な課題の解決にチャレンジしている。
・今、経済学部の半数近くは、女子学生である。・・・僕らのころは10人に1人くらいだったかな・・・・。
・経済学部の授業は30%が英語でおこなわれる。
など。
さて、いつも楽しいのは、懇親会。準会員の現役学生から、かなり年配の先輩たち、そして、教授たちが、一堂に集まり賑やかな宴席となる。まさに、半世紀以上の人のつながりがあるわけだ。今までは参加者は、ベテラン会員ばかりだったが、今回は、20代の若い人が多い。話があわないかと思いきやそうではない。屈託なく気楽に話せる。・・・同じ釜の飯を食うという感覚があるのかな。
この日は、若い人からおおいにエネルギーをもらった。
絵は、上智大学。同窓会の案内書の写真をスケッチ。
2024年11月20日 岩下賢治
ダリア
民主主義国家が理想としてきた福祉国家を代表する国家、例えばフィンランド、デンマークなどが赤字をかかえて呻吟しているようだ。負担と享受の関係にアンバランスが生じているのである。原因は少子高齢化だとされている。老人の死亡年齢が上がって、福祉を享受する人が増えているのに、これからの時代を担い、支える青年や子供の数が減っているのだ。
日本の社会保障制度も同様の問題をかかえている。今回の総選挙でも健康保険および年金会計の大赤字が最大の課題であったはずなのに、問題があやむやにされ、逆に減税が先走った。
難しい問題である。世界中の誰もが解決案を出すことができずにいる。女性に金銭補助し、出産を促すなど愚の骨頂である。
私自身、後期高齢者で享受する側にいるのだが、どうにか健康を維持し、ささやかな仕事にたずさわっているので、福祉制度の恩恵に直接触れ合う機会はないが、思うところを言ってみたい。
①生産人口の減少はロボットで
失業率はさがり、人手不足が問題とされている。確かに街のコンビニの店員はほとんどが外国人である。土木の現場なども外国人が多いと聞く。
しかし、今後は生産現場での人手は全てロボットが代替するようになるはずだ。ここで問題となるのは、ロボットの生産力を経済上の問題としてどう算出するかということ。昔風に言うなら、ロボットそのものを制作した費用が生産性に組み込まれると考えられる。普通の機械化と同じである。でもロボットの場合はそれでいいのだろうか。ロボットの生産力は、人間の労働と同じように付加価値を生み出すはずだ。だから給与を与えられるべきで、そして生産現場に投入する。ロボットを人口の一人としてみなし、結果として納税を義務づける。
福祉制度の赤字はロボットの生産性で賄う。
②老人医療を一元化すること
赤字は医療費が大きい。医療費は今は部門別になっていて、例えば歯科、内科、外科などと分科されている。しかし高齢者(例えば’70歳以上)の場合は、これを一元化してすべて老人科が引け受ける。これによって高齢者への無駄な重複診療と過剰な医薬品投与がへるはずだ。
老人科はまず看護婦などが第一次的に面接し、対応する。
③老人の職場を増やす
定年という分類を捨て、老人用の職場を作る。例えば環境(公園や道路など)美化、教育施設(学校や保育園)の補助活動、公共機関(図書館や運動場、役所や医療機関)の運営援助などを職業化する。今、これらは老人クラブのボランティアとして機能している側面があるが、これを正式の職業とみとめるのである。
④老人の職業を生産力で評価しない
生産性の向上はロボット社会で追求すればいい。老人の職業は協調性や皆勤性で評価すべきで、年取ったからといって職場から離脱しないようにすることで、健康の維持=医療費の削減がはかられ、補助を受ける生活からの脱却がみこめる。
などと考えた次第。
もっと根本的には、国家の仕組みとしての福祉社会を、社会・経済・思想を含め科学的に追求することである。【彬】
先日、日展(日本美術展覧会)にいってきた。
絵が好きなので、社会人になり給料をもらうようになってから、毎年欠かさず訪れる。
僕が訪れるのは、日本画、と、洋画の展示場。オーソドックスな作品。大きな作品がほとんどだがその中に作家の魂が込められているようで圧倒される。
せっかく都心まで来たのだから、都心の秋を楽しもうと毎回あちこち歩きまわる。
今回は、東京ミッドタウン、そして、六本木の街。
おしゃれな街だが、樹木、歩く人たち服装、表情に、さわやかな秋が感じられる。
秋を楽しむには、自然の中に秋を求めるのもいいが、人々の普通の生活の中に、それらしさを感じられるのもいいものだ。
絵は、日展の会場である国立新美術館のベランダからの眺め。ここが気に入りいつも利用する。
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>2024年11月9日 岩下賢治
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シラカシの実
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駅前の巨大ビル(半ば公共のビジネスビル)のロビーで人待ちをしていた時のこと。ロビーには椅子があって、広々として、天井も高く、穏やかな朝日が差し込んできて、まるで上等なホテルにいるかのよう。3機のエスカレーターでは、多くの男女が出入りして、行き来が絶え間ない。
ところが不思議なことに靴音が聞こえてこない。絨毯が敷かれているわけではない。男女とも皆、ソフトな靴、スニーカーやゴム底のシューズを履いているので、靴音がしないのである。休日にスニカーカーを履くのは、いまや普通のことであるが、ビジネスシーンでも同じなのだろうか。スーツを着てスニーカーというのは私の年代には不釣り合いに感ずるのだが。
履き物というのは、生活シーンを端的に表すものだと思う。お葬式に行く時、スニーカーは履かないと思う。以前に紹介したことがあるが、村上一郎「日本軍隊論序説」によれば、日本の軍隊が近代的な体裁を整える上で、もっとも大事だったのが軍靴だったという。東北地方で入隊した新人は、軍隊に入って初めて靴を履くのである。靴こそ自分の職分を表すものだった。
映画やテレビドラマでも、足音は重要な擬音である。忍足、脱兎の如くの足音、催促する足音、高下駄の音、などなど。私はテレビドラマを観ないが、いまはもう、こうした効果音を使えないのではないかなどと思う。昔の映画などでは靴音が、脇役以上の脇役を果たし、その擬音でドラマの真柏性を上げることは常識だった。
靴は道路と関係する。今時、雨の中、ゴム長を履いている人は見かけない。都会のインハラはジャーナリズムが云々する以上に整っているのだろう。【彬】