1969年のル・マン24時間レースに出走した3台のポルシェ917です。
結果からいうとこの年のル・マンはフォードGT40がポルシェ908とのデッドヒートに競り勝って四連覇を成し遂げたのですが、その陰でこの年デビューしたポルシェ917がル・マン制覇を狙って出場した年でもありました。
→ [ガルフカラーのフォードGT40]
この年のポルシェ・チームは熟成されたポルシェ908を擁してル・マンの2週間前のニュルブルクリンク1000kmレースにおいてすでにその年のチャンピオン・タイトルを獲得しており、残すは“悲願”のル・マン初優勝だけでした。
一方ポルシェ917はル・マンが3戦目。緒戦は1週目でリタイヤ、2戦目は8位という成績で、明らかにまだレースへの熟成不足でした。何せ車体が公認されてからまだ一月半のレースカーだったのです。
そんな中でカーナンバー14(#14)のクルマがポール・ポジションを獲得しました。ドライバーはロルフ・シュトメレンとクルト・アーレンスの二人。これまでのコース記録を大幅に(前年の記録より12秒以上も速かったという)書き換えての首位でした。
しかし、#14は序盤首位に立ったもののギアボックスのトラブルで順位を落とし、結局14時間目にリタイヤするという結果に終わってしまいました。
代わって首位に立ったのがカーナンバー12(#12)のポルシェ917。ドライバーは日本でもおなじみのヴィック・エルフォードとリチャード・アトウッドの二人。
予選2位だった#12は一度はポルシェ908に首位を譲ったものの4時間を過ぎるあたりで首位に戻るとそのまま16時間近く首位を守って走ったのです。
しかし#12も残り4時間くらいからクラッチ・トラブルに悩まされるようになり、1時間後に突然リタイヤしてしまいました。
こうしてワークス・ポルシェの2台はともにル・マン初優勝のタイトルをつかむことはできませんでした。ポルシェ917のル・マン初優勝は翌1970年のことです。
残る1台のポルシェ、カーナンバー10(#10)はプライベート参加のジョン・ウルフとヘルベルト・リンゲが運転しました。
プライベート・チームなのでクルマ塗装が他の2台と少し違います。
予選は9位だった#10は悲劇的な結末を迎えます。
スタート良く飛び出したウルフ選手のドライブする#10は「ホワイトハウス」と呼ばれるコーナーにオーバースピードで突っ込みクラッシュ。そこに後続のフェラーリが追突してしまったのです。
スタート直後だったためにたくさん燃料を積んでいた両車は炎上、ウルフ選手は死亡してしまいました。
ジョン・ウルフ、享年不明。「アマチュアに毛の生えたような」という記述も見られることから、怪物マシンの917を乗りこなすことができなかったことも原因のひとつかと思われます。
日本ではトヨタ7とニッサンR382、そして遠来のポルシェ917が激しいバトルを繰り広げた日本グランプリが開催された年でもあった1969年。思い出に残るル・マンの一戦でした。
※モデルは全てエブロ製、1/43スケール。
結果からいうとこの年のル・マンはフォードGT40がポルシェ908とのデッドヒートに競り勝って四連覇を成し遂げたのですが、その陰でこの年デビューしたポルシェ917がル・マン制覇を狙って出場した年でもありました。
→ [ガルフカラーのフォードGT40]
この年のポルシェ・チームは熟成されたポルシェ908を擁してル・マンの2週間前のニュルブルクリンク1000kmレースにおいてすでにその年のチャンピオン・タイトルを獲得しており、残すは“悲願”のル・マン初優勝だけでした。
一方ポルシェ917はル・マンが3戦目。緒戦は1週目でリタイヤ、2戦目は8位という成績で、明らかにまだレースへの熟成不足でした。何せ車体が公認されてからまだ一月半のレースカーだったのです。
そんな中でカーナンバー14(#14)のクルマがポール・ポジションを獲得しました。ドライバーはロルフ・シュトメレンとクルト・アーレンスの二人。これまでのコース記録を大幅に(前年の記録より12秒以上も速かったという)書き換えての首位でした。
しかし、#14は序盤首位に立ったもののギアボックスのトラブルで順位を落とし、結局14時間目にリタイヤするという結果に終わってしまいました。
代わって首位に立ったのがカーナンバー12(#12)のポルシェ917。ドライバーは日本でもおなじみのヴィック・エルフォードとリチャード・アトウッドの二人。
予選2位だった#12は一度はポルシェ908に首位を譲ったものの4時間を過ぎるあたりで首位に戻るとそのまま16時間近く首位を守って走ったのです。
しかし#12も残り4時間くらいからクラッチ・トラブルに悩まされるようになり、1時間後に突然リタイヤしてしまいました。
こうしてワークス・ポルシェの2台はともにル・マン初優勝のタイトルをつかむことはできませんでした。ポルシェ917のル・マン初優勝は翌1970年のことです。
残る1台のポルシェ、カーナンバー10(#10)はプライベート参加のジョン・ウルフとヘルベルト・リンゲが運転しました。
プライベート・チームなのでクルマ塗装が他の2台と少し違います。
予選は9位だった#10は悲劇的な結末を迎えます。
スタート良く飛び出したウルフ選手のドライブする#10は「ホワイトハウス」と呼ばれるコーナーにオーバースピードで突っ込みクラッシュ。そこに後続のフェラーリが追突してしまったのです。
スタート直後だったためにたくさん燃料を積んでいた両車は炎上、ウルフ選手は死亡してしまいました。
ジョン・ウルフ、享年不明。「アマチュアに毛の生えたような」という記述も見られることから、怪物マシンの917を乗りこなすことができなかったことも原因のひとつかと思われます。
日本ではトヨタ7とニッサンR382、そして遠来のポルシェ917が激しいバトルを繰り広げた日本グランプリが開催された年でもあった1969年。思い出に残るル・マンの一戦でした。
※モデルは全てエブロ製、1/43スケール。
「栄光のルマン」に熱中していた若き日を思い出します。
917は強かったイメージがあります。
ルマンの壁の高さと緒戦し続ける歴史の物語。
ミニカーを漫然と眺めるのが勿体無くなりました。
ガルフカラーの917は「常勝」と呼ばれるほど本当に強く、翌1972年にはレギュレーションが変わってしまう原因にもなりました。地元フランスのマトラがその後三連覇するのは決して偶然ではない気がします。
私にとってもガルフカラーの917は思い入れの強いレースカーですので、いつかまた取り上げて見たいと思います。