あおぞらのもと、原っぱをゆこう。2

そらうたうたい 石綿 芳美 のブログ

孤悲する日本語?

2011-02-26 08:23:15 | 日記
ああ、とうとう眠れないので、もうひと書き。

一昨夜久しぶりに「恋する日本語」を偶然見た。
前回偶然観たのは1ヶ月も前。「垂り雪」ということばで出てきた雪結晶の写真や、ストーリーの朗読に惹かれ、本も購入。

本を読んでみたら、案外ポップな印象で、古きよき日本語と現代の恋のストーリーが交差する感じが不思議。と思った。
そして、それを読んでる自分に赤面なのね。

わたしには正直、恋って、とっても勇気の要る分野。


オリジナル曲の歌詞がアガペーな感じなのは、わたしの本心。
実際、書いてる最中、涙が出てくることが殆ど。初めて練習で個人的に下手なピアノ弾きながら歌う時はたいてい、泣いてしまうぐらい、自分の大事な部分を出してのアガペーなんだ。

だけれど、恋の表現への恐怖心からそれを避けてるのもあるって最近気づいた。

ジャズを歌っていて良かった、と思うのは、全然恥ずかしくて向き合えないような恋愛感情を、英語で歌えること。英語なら、アメリカンになった気分になれるからw

不思議だよね、例えば日本語で「嫌です」と言うと、なんだか角が立つのに、英語でNOって言ったら潔くて清々しい。どうも英語は理性的に聞こえるのだ。
だからI love you~I need you~って歌っても、ストレートな事実な感じがする。


日本語は言霊、「心」にニュアンスが共鳴する。
それが怖くて、崩壊しそうで、わたしはいま作詞から意識的に遠ざかってる。


「恋する日本語」には、崩壊せず素直に書くヒントを求めているみたいだ。


そんな時、昨日観た番組の中で「万葉のころは、恋は孤悲と書いた。恋愛の恋は明治に英語のloveを表現するために出来た。」と語られていて、なるほどと感心してしまった。

恋は下心、なんて言う例えもあるけど、変てこな云われ方だなって思うもの。

恋こそ純粋でしょう。
神様の贈り物だよ。
成長と繁栄を促す贈り物。
キューピッドに矢を射られて、戸惑って。
孤悲、ひとり心の扉を開けようか閉ざそうか、…
その方がぴったり!
孤悲は味わうもの。

で、愛は、宇宙(そら)のもの。信じて包み育む。


独占欲、嫉妬、依存心は、人間の背負ってる荷物。
嫌~苦手苦手~。


へえ。文章に書いてみると、面白い。わたしってそう思ってたのかw


それで歌詞は…?
もう少し溜めようと思いますw

ともかく、最近読み返した中では三好達治の詩は共感するなぁ。やはりあんまり恋愛ではないが(笑)自分の世界と近くておどろき。
たぶんわたしがいつの間にか影響受けてたんだろうw

さて。
色々吸収吸収。
3ヶ月後にはばんばん歌詞が生まれてると思われますw

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