あおぞらのもと、原っぱをゆこう。2

そらうたうたい 石綿 芳美 のブログ

真夜中のチャイ。

2011-02-26 04:05:22 | ティータイム
豆乳でいれたチャイです。

今日は早い時間にパッタリ寝てしまい、熟睡したのか四時間で目覚めてしまい、

夢を覚えてはいないのだけど、起きたら急激に感情の起伏が強くなり、何故か、何もかもうまくいってないようなネガティブな思いに捕らわれました。


普段、日中には、大丈夫大丈夫といい面(陽)に焦点を当ててる分、バランスをとるため気づかぬうちに内部で陰の面も増大してるのかも。


ふだん夢見が長くて、なかなか目覚めないのは、頑張って寝ているうちに陰の面を解消しようとバランスとっているのかも。

その途中で目覚めたから、この感情…


やっぱりしっかり寝ておくものだ。自分に合った生活をなんとかかんとか送れているのには、ちゃんと意味があるようだ。

全部必然。

宇宙(そら)の一部なわたし。

みんなそう。


そう思うと、相当に楽になれる。

でも、ならばなんでなのだろうなって、

笑ったり悲しんだり怒ったり、人生を味わってることは、醍醐味ではあるけど、不思議。

いずれ宇宙に帰るのなら、何故、気持ちを知る過程が必要なのだろ。

宇宙に必要なのだろうか。

無、なんじゃないんだろうか。
無を知るための有なんだろうか。


と、チャイを飲みつつ、謎は解けず。

ただ、美味しい、美しい…五感を味わえることは、強烈に素晴らしくて。感情もそれと近いと思えるなら、ありがたい頂きものだろうな。


嬉しい感情や楽しい感情以外、ネガティブな感情は、本心言えば、厄介で、取り扱いに困ってしまう。

けど、きちんと向き合ったほうが、どうやらいいみたいだ。
昨年の今頃は心に沸き起こる怒りと対峙していて、怒りの正体が自己防衛のためのものだと気づいた瞬間に、怒りの心を許せて、そして解放された。
全部ちゃんと意味があって、要らないものではないんだよね。

ただ解釈しないまま、野放しにすると、宇宙のもの(陰陽)から外れて、あてどなく人間の作りだすもの(善悪)に陥ってしまうということ。


ネガティブな感情は、客観的に見つめて、外側ではそのことすら楽しめたら、と思う。達観というのだろうか。


…例えばこんな風にw書き出してみると、面白くなったりね。

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