日本近代文学の森へ 225 志賀直哉『暗夜行路』 112 籠の中の鳥 「後篇第三 十二」 その3
2022.8.21
直子が予想に反して「美人じゃない」と感じられたのは、彼女の体調がすぐれないせいでもあった。そして謙作は、どうだったのだろうか。
そして気を沈ませていたのは彼女ばかりではなかった。謙作も変に神経を疲らせていた。一体彼は初めて会う人と長く一緒にいると神経を疲らす方だった。
殊にそれが無関心でいられない対手である場合一層疲れた。兄という人も感じは悪くなかったが、共通な話題のない所から、とかく不用意に文学の話をされるには彼は時々返事に困った。話のための話で、一々責任を持った返事をする必要はないと思っても、彼にはその程度に淡白(あっさり)とはそれが口に出て来なかった。ただその人が時々如何にも人懐そうな眼差しで真正面に此方の眼を見ながら「不束者(ふつつかもの)ですが、どうぞ」とか「母も段々年を取るものですから……」とか、こんな事をいう時には如何にも善良な感じがし、そして親しい感情を人に起こさせた。会ってまだ僅かな時間であるのに、謙作には既に赤の他人でない感情がその人に起こっていた。
直子の兄は、謙作と「共通の話題」がない。少しでも付き合いのある人なら、日常的な「共通の話題」もあるだろうが、初対面である。兄は、文学には詳しくないけれど、謙作が文学者だと知っているから、無理して「文学の話」ををする。それが「話のための話」である。
それがどんな話であったかは、おおよその見当がつく。「小説っていうのは、あれは、ほんとうのことを書くもんなんですか。それとも、まったくの作り物なんでしょうか。」なんて質問が出たかもしれない。あるいは、多少でも、文学についての知識があったとすれば、「昨今の自然主義ですか、あれなんかは、あなたはどう評価なさるんですか?」なんて質問をしたのかもしれない。
謙作は、そうした「話のための話」に、「一々責任を持った返事をする必要はない」と思うのだが、そういうふうに思うところに謙作の誠実さがあらわれている。「責任を持った返事」をする必要はないにしても、「彼にはその程度に淡白(あっさり)とはそれが口に出て来なかった。」という。「その程度に」とはどういうことか? なんて試験問題に出せそうなところだけど(どうもすぐにそう思ってしまうというところが未だに教師根性が抜けてない証拠で、困ったものだ。)、これを答えるのは案外難しい。つまりは、「責任をもった答えではないにしても、相手に合わせた簡単な答を口にすることができなかった。」といったところになるのだろうか。
例えばだ。「あなたの小説は、ぜんぶほんとうにあったことなんですか?」という質問に対して、「責任を持った返事」となると、「ほんとうにあったこともあります。けれども、『ほんとうにあった』ということは一体どういうことでしょうか。主人公が考えたことと同じことを私がその時考えたとしても、それは、私の中に『あった』ことではありますが、それを『ほんとうにあったこと』と捕らえていいものでしょうか。」などという話をえんえんとしなければならない。かといって、「まあ、そうですね。ほんとうにあったこともあれば、そうでないものもある、といった所でしょうかね。」といってあとは笑うといったところが「淡泊な答」となるだろう。
そんな「あしらい」もできない謙作は、結局のところ、「はあ」とか「そうですね、なかなか難しいところです。」とかいった言葉でお茶を濁し、その兄の顔を観察することなる。その兄の善良そうな言葉に、謙作は、「既に赤の他人でない感情がその人に起こっていた。」というのである。
気難しい謙作が、こんなに素直に初対面の人に「赤の他人でない感情」を持つというのは、やっぱりもうすぐ「親戚」になっるということによるだろう。血縁の「親戚」には、苦い感情ばかり抱いてきた(異父姉妹は別だが)謙作だが、この新しい「親戚」に、こうした「親しい感情」をすぐに持てたというところに、謙作の心の世界がある種の「解放」を迎えたということが読み取れると思う。
謙作の視線は、舞台に戻る。
舞台では「紙屋治兵衛」河庄(かわしょう)うちの場を演じていた。謙作は何度もこの狂言を見ていたし、それにこの役者の演じ方が毎時(いつも)、余りに予定の如くただ上手に演ずる事が、うまいと思いながらも面白くなかった。そして彼は何となく中途半端な心持で、少しも現在の自身──許婚(いいなずけ)の娘とこうしている、楽しかるべき自身を楽しむ事が出来なかった。彼はむしろ現在眼の前にいる直子を見、二タ月前の彼女を憶い、それが同一人である事が不思議にさえ思われた。
直子は淋しい如何にも元気のない顔つきをしながら、舞台に惹き込まれている。ぼんやりした様子が謙作にはいじらしかった。が、同時に彼自身、どうにも統御出来ない自身の惨めな気分を持て余していた。
彼は努めて何気なくしていた。しかし段々に今は一秒でもいい、一秒でも早くこの場を逃れ出たいという気分に被われて来た。こういう事は彼に珍らしい事ではなかったが、場合が場合だけに彼は一層苦しい一人角力(ひとりずもう)を取っていた。お栄との結婚の予想が彼を一時的に放蕩者にしたように、此度もまた、多少病的にそうなった事が、彼を疲らし、彼の神経を弱らし切っていたのだ。
芝居のはねたのはもう晩かった。戸外には満月に近い月が高くかかっていた。彼は直ぐ皆と別れ、籠を出た小鳥のような自由さで一人八坂神社の横から知恩院の方へ歩いて行った。とにかく一人になればいいのであった。知恩院の大きな山門は近よるに従って、その後ろに月が隠れ、大きな山門は真黒に一層大きく眺められた。
結婚式はまだ先で、今は「見合」中なので、直子は「許嫁」ということになるわけだが、この「見合」中に、芝居見物をするというのは、前回も書いたと思うが、どうにも違和感がある。時代の風習ということなのだろう。
しかし、それにしても、なぜ、その芝居が「心中天網島」なのだろうか。紙屋治兵衛と二人の女のドロドロした情念の芝居は、どうにもふさわしくない。女房がいるのに、遊女に惚れた男が、結局女房を捨てて遊女と心中するという話は、いくら歌舞伎にしたって、見合の最中に観るべき芝居じゃなかろう、ってぼくは思うけど。
謙作は、その芝居を見ながら、役者への不満を感じつつ、余計な情動に心を煩わされる。ある意味では人間が、激しい性欲の衝動の犠牲になっていく近松のこの芝居は、謙作の中の性欲をも刺激したということだろうか。
「彼はむしろ現在眼の前にいる直子を見、二タ月前の彼女を憶い、それが同一人である事が不思議にさえ思われた。」という一節は、読解力不足のぼくには、どういうことなのか、よく分からないのだが、役者への不満で芝居に集中できない謙作は、自然直子を意識することとなり、二ヶ月前に一目惚れした直子が、今こうして自分の目の前にいることに「不思議」を感じると同時に、自分の中に「どうにも統御出来ない自身の惨めな気分」が沸き起こるのを意識したということだろうか。
「どうにも統御出来ない自身の惨めな気分」というのは、もちろん「性欲」である。それは、「お栄との結婚の予想が彼を一時的に放蕩者にしたように、此度もまた、多少病的にそうなった事が、彼を疲らし、彼の神経を弱らし切っていたのだ。」という部分で明らかだ。
しかし、それにしても、この「見合」の最中に、そうした自分の性欲が「統御不能」になるほどに高まってしまうというのは、やはり「病的」としかいいようがあるまい。そうした病的な自分の欲望をもてあまし、とにかく、一人になりたかった。そうすることで、その欲望の対象から離れたかったのだ。
「結婚」と「性欲」の問題は、常に文学の源泉だった。紙屋治兵衛にしても、結婚生活のなかに性欲の充足を感じていれば、遊女に走ることもなかったわけだ。性欲が結婚から逸脱してしまうので、さまざまな問題が起きる。それが文学のテーマともなる。石田純一じゃないけど、「不倫は文化」だというのは、文学の立場からすれば、あながち間違っているともいえないのだ。
ただ、例えば、白樺派の代表的な作家の武者小路実篤などの恋愛小説では、性欲の問題は真正面には出てこない。出てこないどころか、性欲など恋愛にも結婚にも関係ないといった風情も見られたような気がする。(「友情」とか「愛と死」とか。)有島武郎の「ある女」も、かなり前に読んだきりだが、あまり、性欲の問題は前景には出てこなかったような気がする。
そうした中で、志賀直哉の場合、どこか謹厳実直に見えるその風貌からは予想もつかない欲望がなまなましく語られることは、注目すべきことではなかろうか。
芝居がはねてから外に出て、一人になった謙作の心境は、透明感に満ちていて印象的である。
「籠を出た小鳥のような自由さ」──それは「性欲という籠」に閉じ込められてその中で格闘していた自分が、そこから解放されたすがすがしい気分だ。その謙作を、「高くかかった月」「知恩院の大きな山門」が包みこむ。
この「鳥」は、しかし、再び「籠」の中に閉じ込められていくのだろうか。