日本近代文学の森へ 230 志賀直哉『暗夜行路』 117 危うい感じ 「後篇第三 十三」 その1
2022.10.26
二人の結婚はそれから五日ほどして、円山の「左阿弥(さあみ)」という家(うち)で、簡単にその式が挙げられた。謙作の側からは信行、石本夫婦、それから京都好きの宮本、奈良に帰っている高井、そんな人々だった。直子の側はN老人夫婦と三、四人の親類知己、その他は仲人のS氏夫婦、山崎医学士、東三本木の宿の女主などで、簡単といっても謙作が予(かね)て自身の結婚式として考えていたそれに較べれば賑やかで、むしろ自分にはそぐわない気さえした。そしてこの日も上出来にも彼は自由な気分でいる事が出来た。種々(いろいろ)な事が、何となく愉快に眺められ、人々にもそういう感じを与え得る事を心で喜んでいた。
舞子、芸子らの慣れた上手な着つけの中に直子の不慣(ふなれ)な振袖姿が目に立った。その上高島田の少しも顔になずまぬ所なども、変に田舎染みた感じで、多少可哀想でもあったが、現在心の楽んでいる謙作にはそういう事まで一種ユーモラスな感じで悪くは思えなかった。
こうして、謙作と直子は、結婚式を挙げたわけだが、この結婚式の簡潔な記述のなかで、中心になっているのは、謙作の気分のありようである。「そしてこの日も上出来にも彼は自由な気分でいる事が出来た。」というところに、結婚式がどのように進行して、どんな印象を受けたのかよりも、その結婚式の間に、自分の気分がどうであったかが謙作にとっては大きな関心事だったことがよく表れている。
こうしたことは、志賀直哉の小説では、ごく普通のことだが、一般的にはどうだろうか。普通がどういうものかよくわからないが、しかし、結婚式という「大事」の中で、その当事者が、いつも自分の気分のありように神経を集中させているというのは、あんまり普通のことじゃないような気がする。
直子の高島田が似合わなくて田舎じみていても、「現在心の楽んでいる謙作には」、それが「一種ユーモラスな感じで悪くは思えなかった。」というのは、細かい分析だが、どこか危うい感じがある。つまり、そのとき、謙作の心が「楽しんでいない」状態だったら、「悪く思える」ことになるということだ。自分の気分がまずあって、そこから、対象となるものへの感じ方が波及するということは、日常生活ではよくあることだが、その逆もまたありうる。直子の高島田がちっとも似合わなくて田舎じみているのを見て、「おもわず」笑ってしまって、「その結果」気分も明るくなる、というように。
そして、この後者のほうが、軽薄かもしれないが、どこか「健全」な感じがする。「自分の気分」が、中心にどっかと座っていると、では、その気分はどこから生まれてくるのか、ということがいつも問題になる。それは、おそらく、今、目の前の外界ではなくて、自分の心の奥底に横たわる「何か」ということになるだろう。それは奥底にあるだけに、執拗であり、ときに忘れていても、繰り返し浮かびあがってくる「何か」である。それを制御することは難しい。
十一時頃に総てが済んだ。帰り際に信行は、
「俺は石本の宿へ行くよ。それからお栄さんには明日早く俺から電報を打っておこう。精しい事は少し落着いた所でお前から手紙を出すといいね」とこんな事をいった。信行はこの日かなり甚く酔い、一人でよく騒いでいた。しかしその騒ぎ方も何となく厭味がなく、少しも皆に不快な感じを与えなかったが、それでも初めて信行のこんな様子を見る謙作はそれが物珍らしくもあり、同時に多少心配でもあった。今はいいが、もう少し酔ったら脱線しはしまいかという気がしていた。が、今、信行から、思いの外の正気さで、そんな事をいわれると、彼はさすが信行だというような心持で、心から肉親らしい親しさを感じないではいられなかった。
帰ると仙が、昔風な小紋の紋附きを着て玄関に出迎えた。
ここも危うい。信行に対する謙作の感情は、実に複雑で、基本的には「きらい」なのだろうが、それでも「肉親」の情はあって、その感情はつねに揺れ動いている。
ここなどは、いつになく酔っ払って騒ぐ信行に、いつも感じる「厭み」や「不快」は感じないのだが、それでも、「不安」が残る。いつ信行が「脱線」して、言わなくてもいいこと、皆を不快にさせることを、言い始めやしないかとハラハラしてしまうのだ。この辺の謙作のピリピリする神経の描き方は、やはりスゴイ。
そして、さりげなく描かれる女中のお仙。その言動を描かず、着物だけを描いて終える筆致の素晴らしさ。
さて、結婚したあとどこに住むか。今まで謙作が住んでいたところでは狭すぎるので、引っ越しをすることになる。
謙作の寓居は八畳に次の間が北向きの長四畳、それに玄関、女中部屋、という小さな家だった。北向きの四畳が使えない部屋なので二人になると、どうしてもまた引越さねばならなかった。
謙作は直ぐ仕事をする必要もなかったのであるが、結婚後暫くは何も出来なくなったという風になりたくない気持から、殊更何時でも仕事の出来る状態を作っておきたかった。ある日二人は前に一度見た事のある高台寺の方の貸家を見に行った。前に見た家は既にふさがっていたが、同じ並びに新築された二軒棟割りの二階家があって、その東側のが気に入って大概それと決めた。
「長四畳」というのは、「①横一列に畳を四枚並べて敷いた部屋。道具などを置く実用本位の部屋に多い。②畳四枚を横に並べ敷いた茶室。床がない。宗旦好みの佗び茶席。」(精選版 日本国語大辞典)とのこと。こういう部屋があるというのは、知らなかった。
「結婚後暫くは何も出来なくなったという風になりたくない気持」というのは、よく分かる。相撲取りも、「結婚したから勝てなくなった。」と言われるのが嫌で、現役時代には結婚したがらないという話を聞いたことがあるが、そんな感じだろうか。謙作の場合は、外聞よりも、自分に対する「不安」もあっただろうとは思うけれど。
しかし、「大概それと決めた」家を見にいったとき、謙作は若い大家の息子と、ささいなことで喧嘩をしてしまう。
二階の南向きの窓から首を出すと、すぐに隣が見えてしまうのが具合が悪いというと、大家の息子は、すぐに小さな塀を建てましょうと応じてくれたのだが……。
この辺まではよかった。が、それからまた階下(した)に下り、茶の間になる部屋の電燈がやはり天井から二尺ほどしか下がっていないのを見ると、謙作は、
「これも少し困るな」といった。「これじゃあ針仕事に暗いだろう」
「延びるんじゃないこと」と直子がちょっと脊延びをしてそれを下げようとした。
「延びまへん」大家の息子は気色(きしょく)を害したような調子でいった。そして少し離れた所に立って黙ってそれを見ていた。
謙作は自分たちが余りに虫がいいのを怒っているな、と思った。虫がいいには違いないが、またどういうわけでこんな事まで吝(しわ)くするのだろうと思った。大家の方は延ばそうとはいわない。延ばしてもらいたいといっている事が分かっていて、知らん顔をしている事が謙作には彼の我儘な本性からちょっと癪(しゃく)に触った。
「これは私の方で入ってから延ばしてかまいませんね」と彼はいった。
「困ります、── それは」無愛想に若い大家はそれをはねつけた。
「どうしてかしら」
「京都の者にはそれで事が足りとるさかいな」
「…………」謙作は腹を立てた。
「そう紐を長うしたら見ようのうなる」
「還(か)えす時元通りにして返したら、いいだろう。それでも駄目か?」
「あきまへん」若い大家は顔色まで変えている。
「そんな馬鹿な奴があるもんか。そんなら借りるのはやめだ。 ──帰ろう」謙作の方も短気にこんな事をいい、挨拶もせずにさっさと出て来た。直子一人閉口していた。それでも直子が何かいってお辞儀をすると、若者も「いや」といって、叮嚀(ていねい)に頭を下げた。
「まあ、両方お短気さんなのねえ」と日傘を開きながら小走りに追って来た直子が笑った。
「しかし彼奴(あいつ)、割りに気持のいい奴だ」謙作は苦笑しながらいった。若者の怒るのも無理ない気もしたし、自分が一緒にむかっ腹を立てた事も少し気まりが悪かった。
「喧嘩してほめてちゃ仕方がないわ。あんないい家、惜しいわ」
「いくら惜しくても、もう追いつかない」
「今度はね、黙ってて、入ってから勝手に直すのよ。そんな、初めっから色々註文をするから怒ってしまいますわ」
なんとも面白いやりとりである。ここに出てくる大家の息子も、直子も、そして謙作も、実に生き生きと描かれている。描かれている内容は、どうということもない、この長編小説の中ではなくてもいいような場面だが、ここだけで、一編の短編小説のような味わいがある。
電燈の位置をもう少し下げろという謙作に、ぜったいダメだという大家の息子。そのやりとりを、呆れて見ていて、明るく批評する直子。癇癪を起こした自分を、照れくさく思う謙作。
謙作の一直線な性格は、この若者の妥協しない頑固さに、腹をたてながらも、共感してしまう、というあたりも、志賀直哉という人の素肌に触れる感じがある。
それにしても、電燈をもう少し低くしてくれという謙作に対して、「京都の者にはそれで事が足りとるさかいな」といって拒否する若者の「論理」もフシギである。京都というところは、こういうところなのだろうか?