今日は、達磨忌。つまり、全国の禅寺で法要が行われる日です。
達磨大師のいう『無功徳』とは、“功徳は何もない”ということですが、これだけの事をしてあげた、私はこんなにしてあげている、と思うことは何か他人に見返りを期待する底の浅い考え方であり、お金や人を動かせる力やたくさんの縁の力を持っていることは、前もって持っていた徳に他ならず、自己に最初から備わっていたもので、自己の力で得たものはほんのわずかであることを忘れてしまっている。
また『随縁行』とは、生きるということは、順境あり、逆境ありの中で、なかなか思い通りにならないもの。これは、人の縁のめぐりあわせによるもので自己の力で動かしがたいものであり、めぐりあう縁をあるがままに受け取り、更に将来良い縁の方向性が得られるように、いまを努力する。そうすることで、次第に道にかない。我々の心の廻りも明るく開けて来るということを説いています。
(「禅の友」H19.10 より)
達磨大師のいう『無功徳』とは、“功徳は何もない”ということですが、これだけの事をしてあげた、私はこんなにしてあげている、と思うことは何か他人に見返りを期待する底の浅い考え方であり、お金や人を動かせる力やたくさんの縁の力を持っていることは、前もって持っていた徳に他ならず、自己に最初から備わっていたもので、自己の力で得たものはほんのわずかであることを忘れてしまっている。
また『随縁行』とは、生きるということは、順境あり、逆境ありの中で、なかなか思い通りにならないもの。これは、人の縁のめぐりあわせによるもので自己の力で動かしがたいものであり、めぐりあう縁をあるがままに受け取り、更に将来良い縁の方向性が得られるように、いまを努力する。そうすることで、次第に道にかない。我々の心の廻りも明るく開けて来るということを説いています。
(「禅の友」H19.10 より)