昔の農業の内容を調べていたら「ツムラタイムス」に出会した。
昭和2年10月津村順天堂発行のこの雑誌には『薬草栽培は国家的事業』というタイトルで刈米博士が投稿を寄せられていた。
その文章の中に「我国における農村の荒廃と言う事は我々の屡々聞く事で、年々再々都会の地における知識階級の失業者の増加と比例して農村は疲弊して行く。・・・」とあった。いつの時代も、農家は収入が少なく貧しく、生活に最も大切な物質の栽培地である農村は国から大切にされずに荒廃し続け、どういうカタチを健全な国家と呼ぶのか甚だ遺憾だと刈米博士も嘆く、いつの時代も農と国家はなんとも悩ましい関係にあるようだ。
昭和2年10月津村順天堂発行のこの雑誌には『薬草栽培は国家的事業』というタイトルで刈米博士が投稿を寄せられていた。
その文章の中に「我国における農村の荒廃と言う事は我々の屡々聞く事で、年々再々都会の地における知識階級の失業者の増加と比例して農村は疲弊して行く。・・・」とあった。いつの時代も、農家は収入が少なく貧しく、生活に最も大切な物質の栽培地である農村は国から大切にされずに荒廃し続け、どういうカタチを健全な国家と呼ぶのか甚だ遺憾だと刈米博士も嘆く、いつの時代も農と国家はなんとも悩ましい関係にあるようだ。