来春、日本初めての映画大学が誕生する。
同大学の母体である日本映画学校は1975年に故今村昌平監督が横浜市に横浜放送映画専門学院として開校したのが始まりになる。86年に川崎市に移転し、これまでに「踊る大捜査線」シリーズの本広克行監督や「悪人」の李相日監督など多くの映画関係者を輩出している。
故今村氏は、理念に「自己をも含めた人間観察の場」とし、一貫して人間探求のカリキュラムを組み、授業に農業を取り入れていたことは有名。例えば『楢山節考』のスタッフは「映画を撮っていたのか、土木作業をしていたのか、農業をしていたのか、よく分からなかった。」という。
まさに農の中に“生”をみつめ、映画の中に“人間”を描くことに命を捧げた故今村昌平監督に合掌。
同大学の母体である日本映画学校は1975年に故今村昌平監督が横浜市に横浜放送映画専門学院として開校したのが始まりになる。86年に川崎市に移転し、これまでに「踊る大捜査線」シリーズの本広克行監督や「悪人」の李相日監督など多くの映画関係者を輩出している。
故今村氏は、理念に「自己をも含めた人間観察の場」とし、一貫して人間探求のカリキュラムを組み、授業に農業を取り入れていたことは有名。例えば『楢山節考』のスタッフは「映画を撮っていたのか、土木作業をしていたのか、農業をしていたのか、よく分からなかった。」という。
まさに農の中に“生”をみつめ、映画の中に“人間”を描くことに命を捧げた故今村昌平監督に合掌。