観たかった映画をやっと観ることができた。
この映画「ある精肉店のはなし」は、解放、人権問題、被差別等難しいテーマを淡々とドキュメンタリータッチで描いて『釜山国際映画祭』『山形国際ドキュメンタリー映画祭』の正式出品作品となった纐纈(はなぶさ)監督の作品だが、私なりに『生きざま』や『何故、生きるか』について、『いのちを食べて、いのちを生きる』という基本的な生活者の中から何をどう感じとれるかについて考えてみたかった。
作品は、大阪の貝塚にある北出さんという精肉店が舞台。この精肉店と普通のお肉屋さんとの違いは『製販一貫』つまり牛を肥育し、自らの手で、解体、そして小売りをされているということで、最近ではほとんどみられなくなったスタイルだが、農家が直接お客さまに販売することを忘れたように、現在のお肉屋さんはお肉は売るが、そのお肉はどう飼育された牛のお肉なのかなかなかわからなくなっているのが現状だ。
牛や豚は“殺す”ではなく、“わる”といい、鳥や魚は“しめる”という。野菜を食することも本当は“いのち”を頂いているのだが、牛や豚は、人間と同じ哺乳動物なので現場をみると何とも痛ましい、まさしく“いのちをいただく”そして生きている事実を目の当たりにみせられた気がする。
しかし淡々と生きる、生きるために仕事をし、そして食べる。そんな生活の中で、もっとも大切なことは感謝の気持ちを決して忘れないということなのではないだろうかと改めて気づかされる。
この映画「ある精肉店のはなし」は、解放、人権問題、被差別等難しいテーマを淡々とドキュメンタリータッチで描いて『釜山国際映画祭』『山形国際ドキュメンタリー映画祭』の正式出品作品となった纐纈(はなぶさ)監督の作品だが、私なりに『生きざま』や『何故、生きるか』について、『いのちを食べて、いのちを生きる』という基本的な生活者の中から何をどう感じとれるかについて考えてみたかった。
作品は、大阪の貝塚にある北出さんという精肉店が舞台。この精肉店と普通のお肉屋さんとの違いは『製販一貫』つまり牛を肥育し、自らの手で、解体、そして小売りをされているということで、最近ではほとんどみられなくなったスタイルだが、農家が直接お客さまに販売することを忘れたように、現在のお肉屋さんはお肉は売るが、そのお肉はどう飼育された牛のお肉なのかなかなかわからなくなっているのが現状だ。
牛や豚は“殺す”ではなく、“わる”といい、鳥や魚は“しめる”という。野菜を食することも本当は“いのち”を頂いているのだが、牛や豚は、人間と同じ哺乳動物なので現場をみると何とも痛ましい、まさしく“いのちをいただく”そして生きている事実を目の当たりにみせられた気がする。
しかし淡々と生きる、生きるために仕事をし、そして食べる。そんな生活の中で、もっとも大切なことは感謝の気持ちを決して忘れないということなのではないだろうかと改めて気づかされる。
誰かの命を頂かないと我々動物は生きて行けない。日々、多くの命を頂いて今があることを実感するために「わる!」や「しめる!」をしっかり「見る」必要が有るのではないか知らん。
少なくとも肉を食べる人は、牛や豚、あなたが食べる動物たちが、生き物から食品に変わるところをしっかり見てきてから食べて欲しい!それが出来ないやつは卑怯者だ!これが私の持論です。
この間の「なんまんだぶ!」おもろい!です。もっと掘り下げて欲しいなぁ~
そこんとこ。よろしく!
草のような、石のような人生があるべき姿なのでしょう。