「フランスより、日本へのラヴレター」というブログで、フランスの歴史教科書が紹介されています。
フランスの歴史教科書 ②高校 核兵器について
連合国内での分裂のテーマの中で。
アマモゴルドの原爆実験以前、トルーマンはポツダム会議へは、ソ連の援助を要請するために行くつもりでいた。しかし7月16日最初の実験が成功したあと、7月17日会議に臨むトルーマンの心は完全に変わっていた。スチンプソンは新聞で言っている《チャーチルは私に言った(…)トルーマンはソ連に毅然と頭を上げていた。7月23日チャーチルは観察している<アメリカがもはやソ連の参戦を望んでいないのは明らかだ> アメリカ国務長官フォレスタルは言う<ソ連が参戦する前に日本を取り込むのが大事である> 広島原爆投下8月6日、ソ連参戦8月8日、長崎原爆投下8月9日。米英指導者はソ連との政治競争で原爆を選択した。》 Gar Alperovitz "Hiroshima pouquoi" dans Hiroshima 50ans, Japon-Amerique, memoires du nucl醇Paire dirig醇P par Mayor Morioka Todeshini, Autrement 1995.
「フランスの歴史教科書 ②高校 核兵器について」より一部引用http://blog.livedoor.jp/france_kappa/archives/64890607.html
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〈ソ連の参戦について〉(Wikipedia「日ソ中立条約」より一部抜粋 注:Wikipediaは編集可能な百科事典です)
日ソ中立条約(にっそちゅうりつじょうやく)は1941年(昭和16年)に日本とソ連の間で締結された中立条約。
条約破棄
1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しないことを日本に通達した。この背景には、ヤルタ会談にて秘密裏に対日宣戦が約束されたことがある。ポツダム会議では、原爆完成により、アメリカはソ連の参戦なくして日本を降伏させることも可能と判断しソ連参戦の回避を図ったとされる。一方、日本側はソ連の仲介による和平工作をソ連側に依頼していた。ソ連はこれを黙殺し密約どおり対日参戦を行うことになる。ソ連は8月8日深夜に日ソ中立条約の破棄を宣言し「日本がポツダム宣言を拒否したため連合国の参戦要請を受けた」として宣戦を布告。9日午前零時を以って戦闘を開始し、南樺太・千島列島及び満州国等へ侵攻した。この時、日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断されており、完全な奇襲攻撃となった。
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「アメリカ国務長官フォレスタルは言う<ソ連が参戦する前に日本を取り込むのが大事である> 広島原爆投下8月6日、ソ連参戦8月8日、長崎原爆投下8月9日。米英指導者はソ連との政治競争で原爆を選択した」
この記述にあるような、、ソ連参戦前に戦争を終わらせ日本を取り込むという、原爆投下前後のアメリカの視点について、私は今まで考えたことがありませんでした。
(受験に日本史を選択していない大勢のうちの一人の見方ですが)日本の歴史教育は、現代史にほとんど費やす時間がなく、(理由は、三学期末時間切れということですが、本当にそれだけでしょうか?)戦中、戦後についての現代史学習は、断片的な単語と流れをさらっと流す程度だったと思います。戦前の戦争に突入したいきさつや、戦中の日本と戦勝国の思惑など詳しいことを学校でほとんど学んでいません。
戦後生まれの私の(個人的な)認識は、一つはアメリカに対する嫌悪感はほとんどないこと、一つは戦前の日本によい感情を持っていなかったこと、戦前に目をそむけていたこと、です。
それは、敗戦によって、親米でしか存在できなかった戦後日本の空気と教育のせいかもしれません。そして、この基本的親米感情の後ろには、不思議なことに反日本感情が表裏のように存在していたと感じます。
「安らかに眠ってください。過ちを繰り返しませんから」・・広島の原爆慰霊碑に刻まれた言葉、この主語のない言葉は、いつの間にか、核を落したアメリカの過ちではなく、アメリカに派向かった日本の過ちにすり替わって語られています。原爆を落したアメリカを憎まず、悪いのはアメリカにそうさせた我が日本国・・・。なんといういびつな国家観でしょうか。
そして、一方で、もともと反米であるサヨク思想勢力(共産主義・日教組・中韓関連勢力・自治労など労組)は、一般人の親米の裏の反日本感情に取り入り、便乗し、今や悪いのは戦前から戦後まですべて日本政府、という構図を完成させつつあるように見えます。最近の、広島・長崎・沖縄など特に戦争被害の大きかった県民感情に取り入った反日勢力の拡大には驚かされます。
善悪ではなく、戦前の日本は何故その方法を取らなければならなかったか?という歴史の現実を見据えることと、敗戦で見失い、途切れてしまった個人と共同体(国家)のパイプを取り戻すことが今の日本には必要なのだろうと思います。国家でしか守れないものについて、戦後の日本人はあまりに無知だと感じます。
私を含め、戦後の国民は、戦前の日本と切り離され、アメリカとサヨク勢力双方から、二重の反国家構造の罠にすっぽり嵌められてしまったかのように思えます。
「国際連合は、国際連盟の反省をふまえて第二次世界大戦時の戦勝国である連合国(United Nations)が中心となる。」
(連合国=United Nations)のようですね。United Nationsを、連合国と直訳しないから、誤解をまねいている部分も多々あるのでは。私、これ、全然知りませんでした。皆さん、こんなこと知っているのでしょうか?
もともとUnited Nationsを作ったのは戦勝国で、連合国主要5国が常任理事国と名を変えそのままシフト、安全保障理事会決議も常任理事国が一国でも反対すれば承認されないという仕組み。
(国際版)戦後レジーム組織といってもいい様相。日本は第二位の圧倒的なお金を注ぎ込まわされながら、この組織では、戦勝国にいいように利用され貢がされているだけなのが現実・・。ひどいです。
United Nationsの方向から、日本は「永久に黙って貢げよ」って声が聞こえそうな気が・・。なんだかなぁ~って感じです。
特に戦争に関して、国に関して、考えられなくなっている。・・・・劣化ですよね。この間の沖縄の集会の件も沖縄県民に配慮という理由で、教科書を見直すとかいう話がでてきているようです。そんなことをすると検定なんて意味がなくなると思うのです。戦争の話になると、感情論が先行してしまうのでしょうか・・。
国際連合という日本語訳がだいたいおかしいですよね。直訳すれは『連合国(戦勝国)連合』? こちらの教科書に『国連はなぜ第2次世界大戦の産物と考えられているのか?』というテーマで、国連憲章などの他に『大国の拒否権』がなぜ出てきたのか?の資料もあります。やはりソ連との関係のようです。
日本でも1945年当時の『原爆に対する抗議文』では、冷静で論理的なしごく真っ当なことを主張しているのですから、その後の米国占領政策、そして左翼支配の60年の中でここまで意識が劣化しまったわけで、ホントに悔しいです。「人権」「平和」「戦争」「国際連合」などなど、雰囲気だけで理解している言葉の本当の意味を確認していく作業が大切です。
この返事を書くにあたって、フランスはどういう立場だったかと調べ直したほどの無知な私です。(国連の常任理事国は主要戦勝国の5国でしたね。これでは国連が機能しないはず)
日本の歴史教育は無機的で言葉の暗記と流れだけ。フランスのような自分で考えさせる学習はなかったですよね。歴史を記憶物にしてはいけないのにね。
現代史は、戦争は怖いもんとか、日本は悪かったもんとか、そんな子供じみた感情論でストップしていたように思います。腫れ物に触るような気持で「戦争はしてはいけない」のみ。考える以前に、単純にそう思っていただけというのが、一番の問題ですよね。
日本国という国家について日本人が再度考え始めるのは、この先日本が現実として危機に陥った、その後しか無理なのでは、と思います・・。教育が変わるのは、その後でしょうか・・。
フランスの教科書を初めて意識的に読みました。もちろん現場の教師がどう教えるかという問題もあるのですが、教科書自体は当時の手紙や挿絵など(これもどれを選ぶかの問題もあります)が資料としてたくさん載せられており、その生の声に生徒が直に触れられるようになっています。結論は出さず、それをどう判断するかは本人次第です。特にこの『核兵器』についてはショックでした。高校生の教科書ですよ! 善悪を超えたところの非常に冷静な、冷徹な議論。私たち、こんなに論理的に習いましたか?
日本の議論(と言えるのか?)が如何に甘ったるい感情論であるのか。政治家・官僚レベルでも、こちらのこの高校生のレベルに達していないのでは?