真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「南京大虐殺」と日中の関係改善

2015年08月11日 | 国際・政治

 「南京大虐殺の虚構を砕け」吉本榮(新風書房)は、その「はじめに」
南京城に関わりを持つ1人として歴史に残る汚点を 見逃すことはできない。
と大書されている。そして、その中に

例え、戦に敗れたとはいえ、嘘で我が国の正史を塗りつぶすことや、全く汚れを知らないまま純潔な生命を祖国に捧げた戦友の死を犬死にさせるようなことだけは断じて許せない。大げさかも知れないけれど、それが生き残った老兵の果たさなければならない使命のように思えてきたのである。

とある。その気持ちはわからないではないが、こうした立場にこだわると、南京事件を社会科学的(客観的)にふり返ることはできないと思う。一旦、そうした個人の立場を離れ、日本軍がなぜ他国の首都南京に攻め込んだのかを含め、様々な資料をいろいろな角度から検証しなければ、「南京事件」の全体を明らかにすることは出来ないのであり、「南京大虐殺」を「虚構」と断じることは出来ないと思うのである。

 また、同書には「真相追求の一里塚として一兵士が世に問う一冊」と題して、犬飼總一郎氏(南京戦当時、第十六師団第九旅団の通信班長・陸軍少尉)が言葉を寄せている。その中に

南京問題は結局、現北京政権が決断しない限り解決できません。というのは、中日友好協会の幹部によると「30万大虐殺」は政治決定、つまり党首脳の決定だから変更できないということだからです。したがって、そのような非科学的な政治決定と関わりなく、わが国では自主的・客観的に真実を追求すべきだと信じています。

とある。しかし、こういう主張は相互理解を阻むもので、日中の関係改善にマイナスであると思う。
 中日友好協会の幹部とは誰であり、なぜ「30万大虐殺」は「政治決定」であるなどと言ったのか、「党首脳の決定だから変更できない」とは、どういうことなのか、全く不可解であるが、詳しいことは何も書かれていない。

 「南京事件をどうみるか 日中米研究者による検証」藤原彰編(青木書店)の中に「南京大虐殺の規模を論じる」として、孫宅巍氏の下記のような文章がある。
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 南京大虐殺の規模に関する問題は、長年、国際学術界の大きな関心の的であった。中国大陸の学者は、数十年に及ぶ真剣で、並大抵ではない努力を重ねた調査、研究を経て、大量の確実な歴史的文献などの資料を調査閲覧し、1000人あまりにわたる生存者、証人を訪問・聞き取り調査をした結果、それらの事象がほぼ一致して示す結論を得た。つまり30万人以上の人々が大虐殺にあったという事実である。

 我々が南京大虐殺の犠牲者が30万人以上という大規模なものであったと認めるのは、充分な根拠に依拠している。調査が可能だった記録に基づくと、千人以上の虐殺が少なくとも10回あり、その犠牲者は19万人近い。この10回の代表的な集団虐殺には、以下が含まれる。12月15日、漢中門外での2000人あまりの虐殺、12月16日中山埠頭での5000人あまりの虐殺、下関一帯の単耀亭などでの4000人あまりの虐殺、12月17日、煤炭港での3000人あまりの虐殺、12月18日、草鞋峡での5万7000人あまりの虐殺、12月中三汊河での2000人あまりの虐殺、水西門外、上新河一帯での2万8000人の虐殺、城南鳳台郷、花神廟一帯での7000人あまりの虐殺、燕子磯江周辺での5万人あまりの虐殺、宝塔橋、魚雷営一帯での3万人あまりの虐殺。この他にも、規模はそれぞれ異なるが散発的な虐殺事件が870回あまりある。
1回の犠牲者数は、少ないケースで12人から35人、多いときは数十人から数百人だ。3つの比較的大きな慈善団体である紅卍字会、崇善堂、赤十字社の遺体埋葬記録のなかには、上述した10回の大規模な虐殺地点での数字以外に、紅卍字会では27回の虐殺、合計1万1192体の収容、埋葬。崇善堂には17回の虐殺、合計6万6463体の収容・埋葬:中国赤十字社南京支社には18回の虐殺、合計6611体の収容・埋葬、総計8万4266体の埋葬記録が残されている。以上より、集団虐殺は19万人、散発的虐殺は8万4000人、合計27万4000人あまりが虐殺されたとなる。また、以下のことも考慮に入れる必要がある。千人以上の虐殺は上述の10回だけではないし、散発的に虐殺された犠牲者の収容・埋葬に当たった団体や私的埋葬隊も上述の3団体だけではないので、虐殺事件や埋葬活動がすべて記録されるのは不可能なことだった。それ故、我々は集団虐殺と散発的虐殺の事実認定だけから、この大虐殺の被害者は30万人という驚異的規模であったという結論を得た。

 ・・・

 数十万人の軍人、市民が虐殺されたのは中国人民の大恥辱であることは指摘されなければならないが、このような屈辱を誇張する必要はない。誇張しても、中国人民は栄光も何も得られない。世界には無垢の人々が何人虐殺されれば、戦犯としての裁判が実施されるかというような法律規定はない。しかし、実際には、南京大虐殺のある一回の集団虐殺を根拠に、あるいは一埋葬隊の遺体埋葬を証拠にしても、松井石根、谷寿夫などの戦争犯罪者を断頭台に送ることは可能であった。故意の重複や証拠の数字の増量は、なんら実際的な意義をもたない。しかし、事実は尊重されるべきで、歴史は容易に覆せるものではない。詳細な事実を記した歴史文献と生存者の証言が、明白に、南京大虐殺の犠牲者が30万人以上であったことを証明している。これは揺るがぬ事実である。
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 こうした中国側の調査結果や証言と日本側の資料や証言を合わせて検証するのでなければ、第三者を納得させることのできる事実の解明は難しいと思う。
 ”「30万大虐殺」は非科学的な政治決定である”と、あたかも何の調査もなかったかのような態度をとるのでは、南京事件の検証は進まないと思うのである。

 日本は敗戦国であり加害国である。戦後50年の節目で、世界に向けて
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
と、時の首相が談話(村山談話)を発表したことを忘れてはならないと思う。

 また、著者は、
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 筆者が支那事変における南京攻略戦に関心をもつようになったのは、昭和19年4月から10月にかけての半年間、陸軍の兵士とそいて南京城光華門南側に駐屯していた頃からである。当時われわれの間では光華門のことを「脇坂門」と呼んでいた。それは南京攻略戦において脇坂部隊(歩兵第三十六連隊)が同門を破り、南京一番乗りを果たしたことに由来する。

 南京駐屯中の筆者は、その脇坂部隊の功績と大激戦のあとを偲ぶべく、機会ある毎に関心をもって
光華門およびその周辺を眺めたものであった。ところが、筆者の見渡す限りにおいては、光華門を中心に大激戦があったと認められる痕跡がほとんど見当たらなかったのである。砲・爆撃の痕は認められず、ただ、小銃か機関銃の弾痕と思われるものがところどころ城壁の煉瓦に刻み込まれているのを見掛けた程度であった。

 城内に入ると、南京戦以来、6、7年も過ぎていたとはいえ、戦争の痕跡など全くといってよいほど認められなかったのである。…南京駐屯柱の半年間、城内への出入りは、回数も覚えていないくらい多いが、街中で家屋、施設などの焼失、倒壊した跡は勿論、新しく修理、修復したと思われるものを見たことがなかった。
 とくに中山陵は、中山門外東方の山中にあるのに、全く無傷で、きれいに保存されていたのには驚いた。

  戦後復員して、「南京で三十万人の大虐殺事件があった」などとの噂を聞いても、全く信じられるものではなかった。復員の途中、列車の中からではあったが、広島の無惨な廃墟を見た。数十万人の大都市広島の全域が、一発の原子爆弾で瞬時にして灰燼と化しても、死者は十数万人であったと聞く。あのほとんど無傷できれいな街、南京で、30万人が虐殺されたなどと夢想だにできることではないからである。
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と書いている。しかしながら、「南京大虐殺」として問われているのは「武器を捨てた敗残兵や投降兵、無抵抗の一般中国人殺害」の問題である。原爆で破壊された「広島の廃墟」と「無傷できれいな街、南京」を比較して、「30万大虐殺」を「虚構」に結びつけるのはいかがなものかと思う。

 さらに、最も重要な問題は、著者が同書に、わざわざ下記のような「章」を設け、柏楊の著「醜い中国人」(張良澤・宗像陸幸共訳 光文社)を引いて、中国人の証言は信用できないとしていることである。
「南京大虐殺の虚構」を中国人の「嘘」や「偽証」によって完結させようとする姿勢では、関係改善は望み得ないと思う。
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第6章 中国人の偽証

第7章 中国人の嘘
 1 中国人の嘘つきの根本原因
 2 中国人の精神構造
 3 中国人の嘘の実態(具体例)
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 第5章では、「虐殺数の問題」を取り上げ、「崇善堂の嘘」という項目を設けて、その最後の部分で「ここにおいて、東京裁判における検察側が主張し、裁判所がこれを認めた”大虐殺数”の正確性の根拠とした崇善堂の提出書類は、全く架空のもので、嘘による証拠であったこと明白である」と書いている。
 しかしながら、井上久士教授(駿河大学)によれば、崇善堂は「せいぜい従業員5、6人の街の葬儀屋」などではなく、その主たる財源が不動産収入であり、南京近郊江寧県に1672.85畝の田地を持ち、長江中洲に1万3028.06畝の土地のほか家屋264室分を所有していたこと、そこからの地代、家賃で慈善事業を運営していたこと、また、当時の崇善堂の堂長「周一漁」が、放置された惨殺死体を見かねて自ら隊長となって「崇字掩埋隊」(崇善堂埋葬隊)を組織したこと。そして、1938年2月6日、周一漁崇善堂埋葬隊長名「南京市自治委員会」に宛てた書簡があること。その中で「査するに弊堂が埋葬隊を成立させてから今まで一ヶ月近くたち…」と述べて、崇善堂の自動車は民国24(1935)年製なのでバッテリーなど自動車修理部品が緊急に必要だとして、その補助を要請していること、さらに、埋葬隊は4つの分隊からなり、それぞれ主任一人、隊員一人、常雇員10人で構成されていたが、全く人手が足りず、日当を払い大量の臨時作業員を雇ったこと、現地の農民の協力も得たことなどがわかっているという。
 一部資料に基づいて「紅卍字会を除けば、埋葬活動に従事した組織は存在しなかった」と断定し、「崇善堂の嘘」というのは、いかがなものかと思う。

 日本人を、「東洋鬼」とか「日本鬼子」と呼ぶ中国人とは、関係改善の話が難しいように、南京事件を論じる書物にこうした「章」を設けて、中国人を突き放してしまっては、中国のみならず、周辺国の人たちからも、日本は信頼を得ることが難しいと思う。
 『南京大虐殺」への大疑問』(展転社)の著者、松村俊夫氏にも、同じように中国人を突き放す記述があった。日本が加害国であることを踏まえて、日本の歴史認識が、中国はもちろん、周辺国や世界中の人々から受け入れられ、信頼を得ることのできるようにしたいと思う。
 最近、安倍政権のもと、日本社会で進む歴史修正主義の動きを懸念し、世界の日本研究者ら187名が「日本の歴史家を支持する声明」を発表した。歴史の事実は、目先の利益や個人的な思いを離れて、社会科学的(客観的)に明らかにされなければならないのであり、真摯に受け止める必要があると思う。

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