【合気道 横濱金澤クラブ】電子掲示板

2012年から横浜市立金沢中学校の武道場をお借りし活動しており、2019年には(公財)合気会から公認を受けています。

「尚武の季節」(その2)

2014-05-04 10:17:29 | エッセイ

 江戸時代の武士たちにとっても、五月の節句は、正月の具足祝いと並んで、尚武の精神を高める祭りと受け止められていたようです。
 たとえば、山鹿素行はこのようなことを述べています。
「甲冑は武士一生の終りの時の装束なれば、平生念を入れ、昼夜心がけて、その着て快く自由ならんことを考ふべき也。(中略)せめて正月具足の備を祝するとき、五月小旗かざらんとき、この外六月虫干しの時分は、必ずおこたらず考ふべきこと也。」
 甲冑は「武士一生の終りの時の装束」であるから、毎日欠かさず手入れをせよとは、いかにも武士らしい言葉です。しかしながら、すでに戦火がやんで五十年以上たった太平の世のこと、武士たちの間には遊惰の気風が蔓延しはじめていました。甲冑などめったに取り出すこともなく、「妙薬鼻紙のたぐひまで」きちんと「具足のはながみ入れ」に補充しておくような武士は少なくなっていたのでしょう。だから山鹿素行は、せめて正月、五月、六月くらいは具足の手入れをし、いつでも着用できるようにすべきだと説いているのです。
 武士は戦闘者ですから、戦闘のない期間が長く続けば、おのずと気のゆるみに襲われます。思えば、太平の江戸時代は、武士たちにとってゆるめようと思えば限りなくゆるむことのできる、長い長い誘惑の期間だったと申せます。武士道とは、そういう常に襲ってくる気のゆるみとの不断の戦いであったということもできるでしょう。
 五月の小旗かざりのときは、そうした気のゆるみに活を入れるための大切なきっかけだったに違いありません。五月は、まさに尚武の季節だというわけです。ちなみに「小旗」を飾るというのは、今日の鯉のぼりの前身、つまり吹き流しや旗・のぼりを飾る風習を指しております。
 「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
写真:五月人形
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