【合気道 横濱金澤クラブ】電子掲示板

2012年から横浜市立金沢中学校の武道場をお借りし活動しており、2019年には(公財)合気会から公認を受けています。

第52回全日本合気道演武大会 【日本武道館】26.5.24

2014-05-24 15:00:00 | イベント

日本中のこんなに沢山の人が合気道を稽古しているのかと驚かされます。
今年は、私の他弟子3名に参加してもらいましたが、年に1度の合気道愛好家のお祭りです。
合気道は見るものではなく参加するものだとつくづく思います。
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鶴岡八幡宮菖蒲際 奉納演武大会

2014-05-13 19:52:29 | イベント
 鎌倉の鶴岡八幡宮にて菖蒲祭奉納演武会があり八景合気会の一員として、合同稽古と演武会に参加してきました。
 写真は鶴岡八幡宮研修道場少年部の合気道の演武の一場面です。国旗のすぐ下に着席されているのが植芝道主です。
 たくさんの子ども達に合気道を教えるのが私の夢です。まだまだこれからです。
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名こそ惜しけれ

2014-05-06 15:06:26 | エッセイ
 武士の最期は、若い盛りに訪れるかもしれないし、また、老いを重ねるまでなかなかやってこないかもしれない。いつ来るかわからないその時を見事に迎えるには、日頃からの覚悟がなければならない。武士の日常のたしなみは、まさにいつ来るかわからぬ最期のために、日々ぬかりなく行われるべきものとされておりました。「葉隠」に次のようなくだりがあります。
「毎朝水にて顔を洗候へば、討死のとき顔色変ぜずといへり。」
 死の覚悟とは、単に精神の持ち方だけではありません。毎朝毎夕、今討ち死にするのであると想定し、実際にそれにふさわしいよう、髭を整え、爪を磨き、武具を手入れしておくのです。武士にとっての身だしなみとは、人目にさらされる己の死体のためになされる行いをいうのです。
 最高の状態で断ち切ることが、物事の完成である。裏返せば、断ち切るために最高の状態へ持っていくというこの考え方は、おそらく武士道思想の他には見られぬ迫力の根源をなすものです。執着を断つというだけなら、決して珍しい考え方ではありませんが、武士にあっては、執着を断つことはそのまま己の死を意味するからであります。
 こうしてみると、満開の桜の盛りに名残りを惜しまれながら散る桜が、他のあらゆる花にもまして武士の姿にふさわしいということが、よく納得されるかと思います。そうしてまた、名残(なごり)という言葉もまた、どこか象徴的なものに思われてまいります。というのも、一生の晴れの討死にを遂げた武士たちが、命に代えて残したものこそは、まさに武士たる己の「名」であったからであります。
 惜しまれながら散る桜が、この世を超えた見果てぬ栄華の夢を名残りに見せるように、武士は、己の理想を末代まで残る「名」に託して示したといえるのでしょう。
 「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
写真:鶴ヶ城と桜(会津若松市)
 現代に生きる我々に対し、武士のような覚悟は求められることはないでしょうが、いつ不慮の事件・事故に巻き込まれないとは限りません。身だしなみを含め、出来るだけ身辺を綺麗にしておきたいと思う今日この頃です。
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「尚武の季節」(その2)

2014-05-04 10:17:29 | エッセイ

 江戸時代の武士たちにとっても、五月の節句は、正月の具足祝いと並んで、尚武の精神を高める祭りと受け止められていたようです。
 たとえば、山鹿素行はこのようなことを述べています。
「甲冑は武士一生の終りの時の装束なれば、平生念を入れ、昼夜心がけて、その着て快く自由ならんことを考ふべき也。(中略)せめて正月具足の備を祝するとき、五月小旗かざらんとき、この外六月虫干しの時分は、必ずおこたらず考ふべきこと也。」
 甲冑は「武士一生の終りの時の装束」であるから、毎日欠かさず手入れをせよとは、いかにも武士らしい言葉です。しかしながら、すでに戦火がやんで五十年以上たった太平の世のこと、武士たちの間には遊惰の気風が蔓延しはじめていました。甲冑などめったに取り出すこともなく、「妙薬鼻紙のたぐひまで」きちんと「具足のはながみ入れ」に補充しておくような武士は少なくなっていたのでしょう。だから山鹿素行は、せめて正月、五月、六月くらいは具足の手入れをし、いつでも着用できるようにすべきだと説いているのです。
 武士は戦闘者ですから、戦闘のない期間が長く続けば、おのずと気のゆるみに襲われます。思えば、太平の江戸時代は、武士たちにとってゆるめようと思えば限りなくゆるむことのできる、長い長い誘惑の期間だったと申せます。武士道とは、そういう常に襲ってくる気のゆるみとの不断の戦いであったということもできるでしょう。
 五月の小旗かざりのときは、そうした気のゆるみに活を入れるための大切なきっかけだったに違いありません。五月は、まさに尚武の季節だというわけです。ちなみに「小旗」を飾るというのは、今日の鯉のぼりの前身、つまり吹き流しや旗・のぼりを飾る風習を指しております。
 「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
写真:五月人形
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「尚武の季節」(その1)

2014-05-01 17:49:30 | エッセイ
 五月五日といえば、なんといっても鯉のぼりに武者人形ですが、もう一つ忘れてはならないのが菖蒲飾り、菖蒲湯です。邪気・病を払う儀礼と「武」が深い関わりをもっているのは、古くから人類普遍の現象ですが、武道と「健康」が切っても切れない関係にある以上、それは当然のことでしょう。
 わが国古代には、「薬狩(くすりがり)」と称して鹿狩りを行い、薬用としたことが「日本書紀」や「万葉集」から知られます。鹿狩りはもちろん練武を兼ねた儀式であります。これが、平安時代には宮中での騎射となり、中世以降「印地打(いんじうち)」(石合戦)や綱引・競馬(くらべうま)など五月五日に行われるさまざまな競技へと変遷していったといわれます。また、薬を採取して無病息災を祈る風習は、今日の菖蒲飾りにまで引き継がれています。

 「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
写真:しょうぶ湯(神奈川県公衆浴場生活衛生同業組合)
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