今日で56年目になる亡父の命日である。存命中にもっと孝養を尽くしておれば良かったと、最近つくずく考えることが多い。日に当たり日陰になって、いつも私を愛し育ててくれた亡き父に、感謝感動である。旅館支店の新しい檜風呂に竃の火加減をしてくれた薪の音。泥鰌堀で掻い堀してバケツ一杯の泥鰌を沢山捕った夏の夕暮れ。小学卒業務式で区長として来賓席で、じっと私の卒業生代表の答辞を、見ぬ振りをしてじっと聞き耳を立てて見詰めていた父。終戦前に父母と二人で東京の新戚の家から陸士入校日に校門まで贈ってくれた優しい眼差し、などなど。数え上げれば切りがない程である。当時病院より帰宅途上の耳鼻科医師の私が、無謀なオートバイに衝突されて一ヶ月の負傷を負った事実を知って、脳卒中を起こし1年後の4月25日鬼籍に入った事実など。今もって話が出来ればゆっくりとお詫びの話し合いなどを、したい気持ちが十分である。そんな父を憶い出し、その死が今更なお悔やまれてならない。此れ等の憶いは、日毎年毎に、益々深く強くなって行くのである。あ~あぁ懐かしきわが父、憶い出はどうしても尽きない。学校の帰途家内の所へ寄ったが、昨日より良くなっているので、安心してきた次第である。