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青天の霹靂とか、
人生最大のピンチとか、
一度でたくさんなのに、なぜか何回も訪れる。
あまりにもいろいろありすぎて、
騒動が起きたとしても、もう充分慣れたかのように思えていても、驚きの出来事って後をたたない。
「苦難を乗り越えると強くなる。」
世間ではそう言われているみたいだけど、乗り越えられない苦難もあるんだよね。
この世を去ることの方が何倍も何倍も勇気が必要なことを身をもって知ったとしても精神的ダメージが大きすぎるときは人は理性を失うのではないだろうか。
そもそも「理性」とは何だろう。
誰かが決めた決まりごとなんだろうけど、みんなが「理性」を失わずに、「節度」がある行動を心がけていれば「いじめ」なんて起きないだろうし、事件も起きない。
でも、残念なことにアダムとイブが禁断の果実を口にしたその瞬間から人間は「愚か者」になりさがり、欲におぼれてしまう運命にあるのかもしれない。
手当たり次第に救いを求めてみたところで所詮他人事なのだから求める回答は誰もくれないのが世の常。
長い長いトンネルの中を進む方向もみつからぬままやみくもに走り続けて行くしかないのか?
トンネルの出口はチラッと見えたはずなのに、次の瞬間にはまた真っ暗闇の中、そんな感じがしてしまい、いつしか誰にも語ることもなく心の中でくすぶり続けているにも関わらず、人前では平然と振る舞っていたりする。
「暗闇の中でしか見えぬものがある。暗闇の中でしか聞こえぬ歌がある。」
朝ドラの中の映画の台詞。
繊細な心の持ち主だからこそ心の病に冒されやすく、繊細な心の持ち主だからこそ周りの出来事が気になり、周りの人の様子が気になり、空気を読んで読んで読みまくるから疲れてしまうのかも。
たとえば昼休みに一緒に食べてる人たちに気を使い、沈黙の時が流れると話題を探していたりする。
コロナ禍なので黙食に徹すればよいのかもしれないが、パート同士コミュニケーションも大事かなー、と優等生的考えになる。
心の中にたくさんの不安や不満や憤りなどがたまり、訴えたいことがある時っていい詩やいい文章が書けるのかもね。
虐げられている時代には優れた芸術作品や優れた文学作品が出来上がってる。
ゆうこは文学少女ではないけれど、なりゆきで太宰治博物館に行った時に芸術とはあふれ出る感性であり魂の叫びなのではないかと思った。
でもまだ「人間失格」は読破できていないんだけどね。
ゴッホやゴーギャンの作品は鬼気迫るものがある。
でも、初期の作品は作風が違うらしい。
すみっコぐらしの限定品欲しさにメトロポリタン美術館展に行ったんだけど、
ひとつひとつの作品に込められた思いというか願いというかいろいろな声が聞こえてきて…。
芸術とは理屈ではなく感じるものなんだな、と。
でもたぶん普通に暮らしていたら解説を読み、「なるほど。」とか「ふーん。」で終わっていたと思う。
どんなことでも背景があって、人がいて、運命のいたずらで幸不幸がわかれてしまったり、誤解したりいさかいがあったり…。
全ての事柄は神様が決めた運命(さだめ)なのか、はたまた偶然の連続なのか、それとも確率論的なものなのか…。
歴史人物とか学校で習うけど、実はそうではなくて、だったりするのかも。
「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず。」と、福沢諭吉は平等を唱えたが、果たして平等なんてあるのだろうか?
日本の教育は戦時中の軍事教育のカラーが色濃く残っていて、「勝つこと」を美徳とし、人より上へ上へと駆り立てられてゆく。
「あなたは恵まれているのよ。」と言われるけれど、恵まれているって何だろう?
美人に生まれたら幸せなのか。
大学時代の友人は透き通るような美人だった。
でも彼女の悩みは「顔」。「普通の顔」がいいといつも言っていた。
すでに彼氏がいると思われて誰も声をかけてくれないし、妬まれたりうらまれたり。
人間という生き物は無い物ねだりだと何かに書いてあったけど、
背が高いと目立って嫌だとか、
背が小さいと大きくなりたいとか…。
お金はたくさんあった方がいいような気がするけど、
お金持ちになると泥棒に狙われたり他人から妬まれたりする。
住む家があって、
ごはんが食べられて、
お風呂にはいれて、
自分の布団で眠れる。
それで充分ではないか。
しかも酒が飲める。
悩みは山積し、どれも解決の糸口はみつからないけれど、
それはそれとして思考回路を切り離すとするか。
白黒はっきりさせるのが好きなんだけど、
見なかったことにして、
聞こえないふりをして、
何食わぬ顔で生きられたらいいのにな。
そうしたいけど、自分の中の自分が自分を許さないんだわ。
めんどくさっ。
とどのつまりが自分自身がめんどくさい。
「人は考える葦(あし)である」
と誰が言ったのかは忘れたけど名言がある。
思慮深い人。
仕事でもプライベートでも思いつきでことを運ぶとロクなことはない。
立ち止まってじっくり考えて…。
が、しかし考えた結果が必ずしもいい結果を招くとは限らない。
あれこれ考えない方がうまくいくこともあるんだよね。
テニスでボールが飛んできたときにあれこれと思考を巡らすとワンテンポ遅れたり、無駄に力が入ってミスにつながる。
んー、困ったなあ。
ゆうこが尊敬している思慮深い友人にLINEしてみた。
「そういう時はね、ただたんたんと時が経つのを待つしかないのよ。たんたんとね。」と。
常に頭の中であれこれ考え続けて「どげんかせんといかん。」と解決策を模索しているけれど、
「解決できない難問なのに考えるだけ時間の無駄なんじゃね?」と息子に言われた。
悩んでも悩まなくても明日は来る。
考えても考えなくても明日は来る。
どんなに落ち込んでも腹は減る。
いや待てよ。
腹が減るということはまだどん底ではないということか。
胃に穴があきそうなくらい悩んでも穴はあいてないし、下血はしてないから胃潰瘍にすらならない。
若い頃仕事のストレスで胃カメラ検査をする羽目になったけど、胃がやたらデカイことと胃下垂であることがわかっただけだった。
ブレイン君からのパワハラで血尿が出たり帯状疱疹になったりしたが、心電図も頭の精密検査も年相応で、寝ているときの脈拍の方が多いという結果が出ただけ。
脈拍は寝ているときは起きているときの半数になるらしく、悪夢が原因と言われた。
仕事な夢ばかり見ると話したらドクターから「すぐに転職しなさい。」と言われたっけ。
「病は気から」とは根性が足りないから病気になるというわけではなくて、精神的なものが影響するという意味なのかもしれない。
それとも漢方の「気」のこと?
食べれるうちは大丈夫と言われたけど、
大丈夫なんだか大丈夫じゃないのかさっぱりわからない。
昨日は急遽仕事になり助かった。
家にいるといろいろ考えてしまって精神衛生上およろしくない。
時が解決してくれることもあるかもしれない。
一縷の望みを託してみるけれど、
時が経てば経つほど我が身は朽ちてゆく。
歳を重ねるという表現が好きだ。
できることなら人間として厚みを増し、寛容な心で人と接したいと願っている。
でも、
ただのひがみっぽくて意地悪なババアのままかもしれないな。
せめて自分は人に迷惑をかけない人になりたい。
そして長生きして家族全員看取ってからひっそりとこの世を去りたい。
幸せじゃなくていいからこれ以上災いが来ないで欲しいけど、
それもまた神様が私に与えた試練なのだろうか。
んー、よくわからないや。
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