ばばはグループホームだし、息子は仕事、娘は東京、旦那君は飲み友達のおうちに。
おじちゃんがせっかく誘ってくれたことだし、ちょっくら行ってみるかと車で出発。
が、しかし、
旦那君の呑み友達と長電話で介護談義に花を咲かせていたから出遅れた。
いつもの駐車場は満車なのであきらめて戻り、徒歩で行くことに。
こどもの頃遠く感じた通学路も大人の足だと10分かかるかかからないか。
苦手意識が遠く感じさせていたかもしれないな、なんて思いながら早足で歩く。早くしないと福引きの応募締め切りに間に合わない。
学校に近づくとまるでジブリの映画のワンシーンのように闇のなかに浮かぶ光の世界。
やぐらの提灯とテントの下のランタンが幻想的な世界をかもし出す。
おじちゃんたちはどこに?
なんて心配はご無用。
「ゆうこちゃーん、こっちこっち。」と手招きするおじちゃんおばちゃん。
「こんばんわ~♪」
さっそく飲み物をいただき思い出話に花が咲く。
町内会がスタートしてからかれこれ46年の歳月が流れた。
会社の分譲住宅なので、同時期にこの地に引っ越してきて、子育てをして、なんだりかんだりラジバンダリで、当時10才だったゆうこは今や56才。
背比べした冷蔵庫はかれこれ3回買い換えて、当時は小学3年生の背の高さと大差なかったのに、ツードアだのスリードアだのと巨大化。
カラーテレビすらなくて、お向かいのおじちゃんちがカラーテレビを買ったと聞いてみんなで見に行ったりした。
洪水一歩手前になったり、猛暑で地面が割れたり、大きな地震があったり、オレオレ詐欺が蔓延したり。
いろいろあった。
嫌なことばかりではなくいいこともめでたいことも。
まさかすぐ近くに道路が新設されるなんて思わなかったし。
っていうか車社会到来なんて予想しないから車庫(駐車場)ないおうちもある。
庭をつぶして駐車場確保したものの、いつしか時代は流れて家族の数だけ車があるのが当たり前に。(←田舎の常識なんだけど都会の人はスゲー驚く)
ばばの家は増築するときに西側の庭をつぶして2台分確保したが、入れてみたらミラ、フレアワゴン、デミオとつめれば3台入る。
近所のおじちゃんちは4台!
でも地元の人に比べたら猫の額で、地元の人の家は敷地が広すぎて塀がまわせない。
7台も8台も、いやそれ以上駐車できるのではないかと。
引っ越してきたばかりの頃は見るもの全てが新鮮で、
「うちの山で遊ぼうよ。」とか、
「やぎの乳飲む?」とか。
「スイカいる?」と聞かれて取りに行くと蔵一杯にところ狭しと転がるたくさんのスイカ。
のどかな田園地帯になぜかそこだけ団地がふたつと分譲住宅。
転校当時は転校ラッシュで地元の子と引っ越してきた子がいりまじり…。
道路を馬車が走り立ち止まったととたんに、
「逃げて!」と言われ、
次の瞬間に巨大な◎※☆が~っ!とか、
「早く屋根のしたに入って!」と言われてあたふたと入った瞬間に雹(ひょう)がドカドカ降ってきたり。
農家の子は物心ついた頃から空の見方を教えられ、農機具の使い方を学び家畜の世話をしたりたまごや乳を食糧として活用する術を会得するのだ。
古きよき時代。
小学生時代にはやぎや鶏や牛の絵を描きに学校のちかくの農家に行ったりした。農家の子は団地とか分譲住宅が物珍しくてどちらも目をパチクリしたり。
女の子に消しゴムぶつけたり髪の毛ひっぱったりいたずらしたけど、
こどものころそれがすごく嫌だったけど、
後々になり、「気になる存在だったから気を引こうとしたんだ。」と言われて…。
いろいろな思い出が頭のなかを走馬灯のように駆け巡る。
校舎もグランドも面影などないけれど、まわりの風景はあまりかわらない。それが田舎のよさなのかもしれないけど。
どでかいブルーシートの上には見慣れた顔ぶれのおじちゃんおばちゃん。その中に若い人がちらりほらり。
お盆で帰省した娘、息子たちだ。
そのほとんどが都会のマンション暮らし。田舎は若い人々にはつまらないのだろう。自分もかつてはそうだったように、都会の喧騒の中でも様々な刺激的な事とか珍しい物とかがたくさんあって魅力的に感じるものだから。
都会に住んでいれば自宅通いなので進学も就職も有利だし…。
「若い人はどうだかわからないけど、我々の歳になると田舎がいいのう。」と隣に立ってるおじちゃんがつぶやく。
「46年かあ。あっという間だったなあ。九州から来てなにもないところに工場ができて、まさか永住することになるとは思わなかったよ。子供たちにとってはここが故郷だからな。ほら、歌の歌詞にもなってるし。」
「新◎※音頭」が流れて、みんな輪になり踊る。町内会の人々は歳を重ねてきたので今は見物しながら回想話に花を咲かせてる。
昔は何曲もあったけど今は「炭鉱節」と「新◎※音頭」のみ。
「新◎※音頭」は学校の運動会でも踊るし、毎年8月に盛大な練り歩きの曲として地元では有名だ。
出来た当初は地元からの猛反発にあったが市民のかなりの割合の人々が何らかの形で企業とつながりがある現在はまちの歌として愛されてるようだ。
「うちのやつ、救護班だからテントの下で暇してるよ。おかあさんのことも聞きたいと言ってたし。行ってみて話してきたら?」と、別のおじちゃんに言われてテントの下に。
「こんばんわ~♪」
「あらあ、ゆうこちゃん。待ってたのよー。絶対来ると思って。お祭り大好きでしょ? 」図星だあ!
おばちゃんにはいろいろとお世話になった。
病院の婦長さんだったから勤務先は違うけれど新人のころいろいろ教えてもらった。
遡ると高校生の頃、音響のクラッシックコンサートのチケットを譲ってもらったり。その前にもいろいろと可愛がってもらったっけ。
「ねえ、おかあさんどうしてる?この間行ったときはお元気そうだったけど…。」
「ガミガミ娘に叱られることなく優しい人に囲まれて穏やかに過ごせているようです。」
「そう。これであなたもひと安心ね。介護はね過酷だから家族だけでは乗りきれないの。歳をとれば大なり小なり認知症になるし、はたでみるより家族はとても苦労しているのよ。」
おばちゃんは民生の仕事もしているからたくさんの相談を持ちかけられるらしい。
自分が苦労してると思い込んでいたけどもっともっと大変な人もいるのだ。
おむかいのおねえちゃんはご両親と弟さん3人の介護のためにあっちこっちに奔走してるし。
昔からお互いに町内会を大切にしてきた。歳を重ねてお互いに身体に自信がなくなる今だからこそ結束を固めてお互い助け合おうと。
めんどくさいけど、いざというとき助けてくれるたよりになるご近所さん。
遠い親戚より近くの他人というけれど、緊急事態にかけつけてくれるなんてそうそうないと思うんだ。
雨戸があかなければ倒れているのではないかと様子を見に来てくれたり、見たことない人がうろついてるとさりげなくパトロールしてくれたり。
大企業で教育されたからなのか昔の人だからなのか…。
いずれにせよもちつもたれつとか、お互いをいたわりあうとかとても大切だと思うんだけど、今の親たちは学力にばかり目がいってしまい、大事なことを教えないし自分達も忘れかけてる。
誰よりも先に、誰よりも上に、か。
でもしっかりとした人の子はしっかり者で、若い人の中にもちゃんと育ってきてちゃんと子育てしてる人もいる。
近くに家をたてた若い人々が町内会に入れてほしいと願い出たそうだ。
高齢化の波に押し流されそうな時に渡りに舟。
めんどくさいおじちゃんおばちゃんばかりだけど、根はとてもいい人で、歳を重ねて性格も丸くなり…。
ばばもそうなればよかったんだけど、プライド高いし勝ち気だからなあ。
テントの下でおばちゃんと話に花を咲かせてる間に夜空の花火もいつしか終わり、福引き抽選会も終わりかけてる。
盆踊り踊らなかったけど、花火みえなかったけど、来てよかった。
今まで誰かに聞いて欲しかったこと聞いてもらえたし、大切なことに気がついたし。
生まれてきたことも生きてることも奇跡なのかもしれないから、一日一日を大切にしないと。
帰りはばばと同じように夫を失って認知症が進んでしまった別のおばちゃんとしっかり手をつなぎ、何人かで思い出話をしながら歩いて帰りました。
その手の温もりと少女のような笑顔がまるでばばのようで涙がポロリと…。
ノスタルジックな世界をあとにしてセンチメンタルな気分になりながらおばちゃんを家まで送り、息子さんの声がして…。
家族っていいな。
そう心から思いました。
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