不熟につき

豊かな東北の四季などをつたない写真等で、ご紹介したいと思います。

秋の空始まる

2020-08-18 07:04:14 | 日記

臨 終   中原 中也


    
 秋空は鈍色(にびいろ)にして
 
 黒馬の瞳のひかり
       
   水涸(か)れて落つる百合花
 
   あゝ こころうつろなるかな
 

 
 神もなくしるべもなくて
      
 窓近く婦(をみな)の逝きぬ
      
   白き空盲(めし)ひてありて
 
   白き風冷たくありぬ
 

 
 窓際に髪を洗へば
 
 その腕の優しくありぬ
             
   朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
 
   水の音したたりてゐぬ
 

 
 町々はさやぎてありぬ
 
 子等の声もつれてありぬ
 
   しかはあれ この魂はいかにとなるか?
 
   うすらぎて 空となるか?

 

「秋空は鈍色にして・・・」の鈍色(にびいろ)とはどんな色なのだろうか?

 「鈍色は、ほとんど黒に近い灰色に青を潜ませた. 鉄のように重苦しい色。 日本では古くから(平安時代には既に)喪の色、 凶事の色とされていたそうですよ。 寒色 」

 
 中原は愛する幼子を亡くしていた時期もあるので、こういう詩が生まれるのでしょうか。

弘前は20日まで送り火が焚かれます。 

虫たちの音がにぎやかになってきました。

 

この空は昨夕の雲の色です。

 

そしてこの空は今朝5時30分の、空の雲です。

 


送り火

2020-08-17 07:14:48 | 日記

8月17日(月)曇り28℃ 朝方☂

 お盆はあっという間に過ぎ去り、昨夕は「送り火」を焚きました。

弘前市に移住して42年目、すっかり津軽文化と生活になじんでいます。

 昨年春に実家の母が92歳で逝去し、新盆のはずでしたが新型コロナ禍もあって

帰省できずにおります。

 弘前の義父も実父も今生きていれば93歳、大正13年=1924年生まれです。

人生って何が起きるのかわからないもんだということをこの二人の父が示してくれました。

 弘前の義父は大柄で、健康そうに見えていました。しかし夏のある日、家族は汗をかいているのにストーブを点け始めました。

結局4月に入院し「白血病」と診断されて、7月に逝去しました。68歳でした。

義父は22歳の時に赤紙が来て特攻予備で招集、汽車に乗車して向かう途中に敗戦が決まったというわけです。

時間軸がずれていたら、もっと早死にしたのかもしれませんね。

 

長岡の実父は糖尿病を患い「眼底出血」の治療のために、長岡市から新潟市まで自動車を運転して通院していました。

胸騒ぎがあり、夜父に電話してみましたが母が出てもう就寝したといいます。

「眼底出血」は車の運転は危ないからバスで行ったほうがいいと伝えてもらうことにしました。

翌日の午後2時ごろ、母から電話で「お父さんが亡くなった」というのです。

結局通院の帰りに下り坂にある橋のコンクリート製橋の欄干に衝突して胸を打ち、即死だったようです。

両方の父は1924年生まれですから、68歳で逝去になります。同じ年に前後した不幸な出来事です。


短歌「チゴハヤブサ」「エンジョイエージング」

2020-08-16 17:29:43 | etude

・秋の朝チゴハヤブサの声響く子別れの時子と距離を置く

・自虐的これが老人の悪い癖エンジョイライフ見つけに行こう

・孤独てふ大切な時我にあり心は鏡問い続けよう

・人生を振り返るとき秘密あり悔いというより贖罪ばかり

・避けられぬ退化と老化の現象の快く受けジョークで笑う