ニコマコスな朝

2022-05-16 19:29:35 | 日記


オークランドは天気がちょっとぐずついていますが、お陰で気温がそんなに下がらなくて良いですね。

お天気が良かった数日前には、天気予報で最低気温が3°とあって驚きました。
でもそこまでは寒くなかったような。(暖炉に火を入れましたけどね)

(5月12日 15:00頃↓ 近所の図書館にて)


毎朝、目が覚めてからしばらくベッドの中でうだうだする時間をとても大切にしているのですが
この時期は特に至極の時間を過ごせます。

ただ、目が覚めたのを察知するとYumeさんがすぐにご挨拶に来てくれるので
ゴロゴロと少しにぎやかですが。

(ちょっ! ちかっ


この時間にふとテーマが思い浮かんで、それについてうだうだと考えることが多いのですが、

5日前は、飛行機の「キャブレターヒート」(エンジンに空気と燃料を送り込む部分の凍結を防ぐシステム)のことで頭がいっぱいになり

4日前は、「パイプオルガン」について考えていたら、だんだんと「言語学」に移行していき

3日前のテーマは「徳とは何か?」で、2日前は主に「笑い」や「面白い」という感情について考えていました。
多分先日「ニコマコス倫理学」に関する動画を閲覧した影響かなと。
(因みに今朝は「人参の剥き方」をぼんやりと考えていました。すぐに思考が切り替わってしまいましたけど。)

で、「徳」についてアリストテレスさんが仰るには、

「徳が高いから良い行いをするのではなく、
常に良い行いをしているから徳が高いと言える」

とのこと。

なるほど、そうなんですね。「徳」というのは、一旦身に付けたらずっと良い行いができる、というようなものではないと。

しかし、徳の高いパーソナリティーというか、キャラクターを獲得してしまえば、
その言動の選択は自動的に徳の高いものにならないのでしょうか?

つまり、客体である「私」が徳の高いパーソナリティー自体に成り得ることはないので
謙虚に良い行いを続けている状態を徳が高いと表現するのかも。

そういえば良く経典や聖書でも、客体である「私」をServant (しもべ)とかDevorty (献身者)とか言いますもんね。

他にも、

「徳の実践には、倫理的卓越性を発揮する必要があり、
倫理的卓越性を発揮するには、知性的卓越性が必要である」

とのこと。

う~ん、倫理的卓越性は分かりやすいですけど、知性的卓越性はどのように捉えたらいいのでしょうね・・・。

倫理的卓越性は「こうするべき」というような社会的モラルに沿って行動ができることではないかと思うのですが

知性的卓越性はもっと根本的な「善」「良心」に関する知識があり、それに沿って行動ができる、とかでしょうか?

と、ぐるぐる考えるのですが、
アリストテレスさんがどう言っているのか気になるので、取り合えず「ニコマコス倫理学」を読んでみることにしよう。


アマゾンの回し者ではありませんが、光文社古典新訳文庫の上巻と下巻に分かれている「ニコマス倫理学」のKindle版で
下巻の方がLimited time deal でかなりお得な価格で紹介されているようです。

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