コメント
荒木村重の子
(
sakura
)
2009-06-12 09:22:20
バイクでたずねてくださった池田城跡公園ゆかりの
荒木村重には少し思いいれがあるので…
荒木村重の子・岩佐又兵衛の山中常盤物語絵巻を「美の巨人たち」
「新日曜美術館」などで見て又兵衛を知りました。
有岡城を信長に攻められた時、一族を城に残し荒木村重は単身脱出します、
乳飲み子の又兵衛も乳母の機転で城から逃れます。
この子がのち母方の姓を名乗り絵師岩佐又兵衛となります。
岩佐又兵衛の代表作「山中常盤物語絵巻」は
奥州に牛若丸が逃れた後を追って行く途中、
母の常盤が盗賊に襲われ一命を落とし、戻って盗賊に復讐する牛若丸。
絵巻は常盤と盗賊の真っ赤な血が飛び散る凄い絵です。
妻子・一族のほとんどが焼き殺され、斬殺されたのに、
単身脱出した荒木村重とはどんな人物?と
有岡城跡をたずねたことがあり、城跡の写真も残していると思います。
村重の池田城跡公園には行ったことがなかったので、
写真を見せて頂いてあたりの様子が何となく分かりました。
ありがとうございました。
雪梅老師はじゃー雪梅です。日本の文字になかったのでごめんなさい。
白雪梅老師が詠まれる漢詩はすてきですね!
中国語は抑揚がはっきりしていて
漢文の時間に習った読み方とは似ても似つかぬものです。
愛人(アイレン)丈夫(チャンフ)は夫です。
池田市を始めて知りました!
(
kazu
)
2009-06-12 09:23:07
いままで池田市には行ったこともなく「教育レベル」の高い高級住宅地だとしか認識がありませんでした。
城跡や神社や動物園とたくさん回れるのはバイクならではの特権ですね!
小さな市でも調べれば斉芳亭のような異国情緒と歴史の上からも由緒ある味わい深い市なのですね!
しかし!お互いに運転には気をつけないといけませんね!今朝も江口さんが自転車をさけようとしてハーレ並みの大型バイクで肋骨や鎖骨骨折の2ヶ月重傷を負われました。
大きい画面大好きな私には嬉しいのですが、うち横長のPCでは画面とスクロールバー全部が一度に見られず
あっち行ったりこっち行ったり忙しい!
top画像の鳩gifアニメはどんな場面にも使えgoodですね!
ブログ面と連結して表示できる長いアニメがステキです!
一体何枚の画像をアニメにされたのでしょうね?
その熱意はすごいものですね!有難いことです!
簡単に真似られません!
(
yukariko
)
2009-06-12 19:12:07
kazuさまへ
あの「カタツムリ」が180枚でしたが、yukarikoがお借りした「白い鳩」が90枚、kazu様がTOPに使われた「シャボン玉」で51枚の画像が使われています。
素人が簡単に真似られる世界じゃないですよ(笑)
ありがたく使わせて頂けばいいのでは?
それから碑炉庵さんのタグですが、横幅600がいいとコメントに書いておられたので、600のサイズで作ってみましたが、実際にはお宅のPCでも見難いのですね(笑)
それでは数字を書き換えて500*375のサイズで再UPしてみます。
有岡城の方が遺構としても重要ですね。
(
yukariko
)
2009-06-12 19:47:38
sakuraさまコメントをありがとうございます。
有岡城の方が歴史的にも重要ですね。
池田城址公園は遺構や礎石が発掘されたものの、それほど大きいものでもなく、新しく作られた綺麗な公園といった感じです。
城山町にある池田市立城山勤労者センターの横に大手門があり池田氏や荒木村重などについての資料はそのセンターの一階ロビーに展示されていましたがほん少しです。
荒木村重が単身脱出し、一族皆殺しの見せしめにあった悲惨さは信長の人でなしを強調する一番の出来事ですが、実際に生き延びた者の残りの人生とは?
息子が画師になっていたと初めて知りました。
ありがとうございました。
彼にとっても恐ろしく生き難い一生だったでしょうね。
書いて下さった有岡城をインターネットで調べてみて、今度は伊丹の町を歩いてみたいなと思いました。
伊丹は大阪空港以外には荒牧の薔薇園しか行った事がありませんから(笑)
下は伊丹市のHPから有岡城の説明文を引用させてもらいました。
14世紀頃からおよそ300年にわたり伊丹氏が猪名川の西岸に築いた伊丹城に居住。
織田信長により1574伊丹氏が滅び、そのあと伊丹城に入ったのは織田信長の武将荒木村重、伊丹城は有岡城と改称された。
村重が築城した有岡城は城下町を城郭の中に取り込んだ惣構えと言われる築城法で、1579年荒木村重謀反により、織田軍に攻められ有岡城は落城しました。
1580池田之(元)助が城主となったが1583年美濃に転封されることにより以降は廃城となった。
1979年に国史跡の指定、城跡西北の土塁、石垣、建物跡などを中心に史跡公園として整備された。
石垣は現在残っている戦国時代のものとして最古と言われている。
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荒木村重には少し思いいれがあるので…
荒木村重の子・岩佐又兵衛の山中常盤物語絵巻を「美の巨人たち」
「新日曜美術館」などで見て又兵衛を知りました。
有岡城を信長に攻められた時、一族を城に残し荒木村重は単身脱出します、
乳飲み子の又兵衛も乳母の機転で城から逃れます。
この子がのち母方の姓を名乗り絵師岩佐又兵衛となります。
岩佐又兵衛の代表作「山中常盤物語絵巻」は
奥州に牛若丸が逃れた後を追って行く途中、
母の常盤が盗賊に襲われ一命を落とし、戻って盗賊に復讐する牛若丸。
絵巻は常盤と盗賊の真っ赤な血が飛び散る凄い絵です。
妻子・一族のほとんどが焼き殺され、斬殺されたのに、
単身脱出した荒木村重とはどんな人物?と
有岡城跡をたずねたことがあり、城跡の写真も残していると思います。
村重の池田城跡公園には行ったことがなかったので、
写真を見せて頂いてあたりの様子が何となく分かりました。
ありがとうございました。
雪梅老師はじゃー雪梅です。日本の文字になかったのでごめんなさい。
白雪梅老師が詠まれる漢詩はすてきですね!
中国語は抑揚がはっきりしていて
漢文の時間に習った読み方とは似ても似つかぬものです。
愛人(アイレン)丈夫(チャンフ)は夫です。
城跡や神社や動物園とたくさん回れるのはバイクならではの特権ですね!
小さな市でも調べれば斉芳亭のような異国情緒と歴史の上からも由緒ある味わい深い市なのですね!
しかし!お互いに運転には気をつけないといけませんね!今朝も江口さんが自転車をさけようとしてハーレ並みの大型バイクで肋骨や鎖骨骨折の2ヶ月重傷を負われました。
大きい画面大好きな私には嬉しいのですが、うち横長のPCでは画面とスクロールバー全部が一度に見られず
あっち行ったりこっち行ったり忙しい!
top画像の鳩gifアニメはどんな場面にも使えgoodですね!
ブログ面と連結して表示できる長いアニメがステキです!
一体何枚の画像をアニメにされたのでしょうね?
あの「カタツムリ」が180枚でしたが、yukarikoがお借りした「白い鳩」が90枚、kazu様がTOPに使われた「シャボン玉」で51枚の画像が使われています。
素人が簡単に真似られる世界じゃないですよ(笑)
ありがたく使わせて頂けばいいのでは?
それから碑炉庵さんのタグですが、横幅600がいいとコメントに書いておられたので、600のサイズで作ってみましたが、実際にはお宅のPCでも見難いのですね(笑)
それでは数字を書き換えて500*375のサイズで再UPしてみます。
有岡城の方が歴史的にも重要ですね。
池田城址公園は遺構や礎石が発掘されたものの、それほど大きいものでもなく、新しく作られた綺麗な公園といった感じです。
城山町にある池田市立城山勤労者センターの横に大手門があり池田氏や荒木村重などについての資料はそのセンターの一階ロビーに展示されていましたがほん少しです。
荒木村重が単身脱出し、一族皆殺しの見せしめにあった悲惨さは信長の人でなしを強調する一番の出来事ですが、実際に生き延びた者の残りの人生とは?
息子が画師になっていたと初めて知りました。
ありがとうございました。
彼にとっても恐ろしく生き難い一生だったでしょうね。
書いて下さった有岡城をインターネットで調べてみて、今度は伊丹の町を歩いてみたいなと思いました。
伊丹は大阪空港以外には荒牧の薔薇園しか行った事がありませんから(笑)
下は伊丹市のHPから有岡城の説明文を引用させてもらいました。
14世紀頃からおよそ300年にわたり伊丹氏が猪名川の西岸に築いた伊丹城に居住。
織田信長により1574伊丹氏が滅び、そのあと伊丹城に入ったのは織田信長の武将荒木村重、伊丹城は有岡城と改称された。
村重が築城した有岡城は城下町を城郭の中に取り込んだ惣構えと言われる築城法で、1579年荒木村重謀反により、織田軍に攻められ有岡城は落城しました。
1580池田之(元)助が城主となったが1583年美濃に転封されることにより以降は廃城となった。
1979年に国史跡の指定、城跡西北の土塁、石垣、建物跡などを中心に史跡公園として整備された。
石垣は現在残っている戦国時代のものとして最古と言われている。