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本島に凄い高槻城3D! (kazu)
2010-01-26 08:56:20
さすが工科学大学!専門的な3D画像は江戸時代にタイムスリップしたようです!

いつもの城内公民館は正しく本丸のすぐ隣でしたね。
シャチホコの付いた3階建の天守閣、広い城下町にその栄華が偲ばれますね。

これぞ高槻大発見ですね!
高槻ええとこブログに投稿されてはいかがですか?
 
 
 
他所のお城ばかり見に行っていましたが… (yukariko)
2010-01-26 10:18:25
自分の住む高槻にあったお城がどの程度なのか
地名だけでは想像ができなかったのでこの3D映像はとてもよく分かり、感激しました。

高槻市HPは硬くてあまり楽しくないと勝手に思っていましたが、歴史館や資料館のそれぞれのHPの中にとても詳しい資料が豊富にあるのを知りました。

もちろん「しろあと歴史館」等で展示を眺めるのも素晴らしいですが、お互いわざわざ出掛ける事は少ないし、この3D映像のようなスケールの大きいものもインターネットでいながらにして見られ、後からこうして紹介も出来るのがより素晴らしいです。
「ええとこブログ」にはどこを紹介してどう書けばいいのか分からないから投稿はようしませんが…必見の価値ありだと思います。
 
 
 
春日神社 (sakura)
2010-01-28 14:02:08
昨日、しろあと歴史館に「成合・春日神社の歴史と民族」の学芸員講座を聴いてきました。
春日神社は古くに兵庫浦より岩氏・日下部氏が勧請したご神体を祀ったのが始まりで、
12C頃、あたり一帯が藤原摂関家の荘園となったとき、春日大明神を勧請したとか。
神事をつとめる神主役は、藤原朝臣を称して四位に任じられたそうです。
以前はこの神社でも春祭りとして、馬まつりがあったとかで、
祭りからも安満とのつながりが分かるそうです。

しろあと歴史館オープン当初から地域に残る歴史を講義して下さる
企画展講座に応募していますが、近頃は応募者が多く中々当たりません。
今年は2月に催される金龍寺の講座とともに参加できることになりました。
二年位前になるでしょうか。やはりしろあと歴史館企画展講座「三好長慶」の講座終了後、
高槻城の復元3D映像を見せていただきました。
教授の指導のもとに大阪工業大学の院生が作ったとかで、
制作に携った学生たちを紹介していただき、皆で彼らに大きな拍手をおくりました。

 
 
 
成合は今でも岩・日下部氏が多いですね (yukariko)
2010-01-28 19:52:41
sakura様コメントをありがとうございます。
成合の一年間の神事を歴史館で見てきましたが
代表する家が集まって神事をする古い形を残していますね。
成合の奥まったお宮に伝えられ踏襲された古い形式がそのまま残っているのだなあと感心しましたが、少なくなった若い人たちが受け継いで行けるのでしょうか?安満の磐手杜神社や山手町の春日神社でも同じ悩みだと思いますが…。

企画展は見にいってもなかなか専門的な講座までは受けられません。単なる歴史好き、ミーハーですね。
しっかりと学芸員講座を連続してお受けになられる姿勢は素晴らしいです。

高槻城の復元3D映像は素晴らしかったです。
映像のどこかを最近の映像に手直しされたのかな?
一寸この辺は不確かですが、こういう素晴らしい作品はもっと多くの人に見て欲しいと思いました。
宣伝する必要がありますね(笑)

三好長慶は阿波の国を本拠地に京から北摂にも勢力を保っていたそうですが高槻にも関係があったのでしょうか?この辺りはよく知りません。
この後の松永久秀の狸の方が印象が強くて。
 
 
 
三好山 (sakura)
2010-01-29 12:13:18
摂津峡のすぐ側にある三好山に16C始め細川高国の築城と伝えられる芥川山城が築かれます。
芥川と断崖に囲まれた天然の要塞で、大阪平野が望め、亀岡へと続く間道、芥川から淀川に続く水運など交通の要衝でもあり重要な場所だったため、その後数度争奪戦が繰り広げられ、1553年に阿波徳島から上洛した三好長慶が入城し支配します。

三好長慶のご子孫が徳島からわざわざこの企画展を見に来てらっしゃいました。

この前の講座の最後に、春日神社の祭で神輿を担いで町を練り歩く様子を映像で見せていただきましたが、
結構若い方もいらっしゃいましたよ。もしかすると祭りを撮影するというので親戚の若い人を呼ばれたのかも知れません。次回はぜひ安満の企画展も開いてほしいです!

高槻城の復元3D映像のどこかを最近の映像に手直しされたのかな?
yukarikoさんがH・Pでお使いになっているフラッシュという手法でしょうか?私はこの辺のことになるとさっぱり分かりません。これを使った素晴しい高槻城の復元映像を大きなスクリーンで見せていただき、若い大学院生がこの制作に携ったということに深く感動したことは覚えています。
以後この映像を見ていないので分かりませんが次回の講座の時見てきます。

しろあと歴史館の講座は、講師は学芸員・館長のほか、外部から招いた講師と顔ぶれも様々。
誰が聞いても分かるようにお話していただけるので、
好奇心を満足させ暇をつぶすにはぴったり、私もミーハーの一人です。yukarikoさんも歴史好きなので時々載せてくださる歴史関係の記事はとても楽しいです。
 
 
 
芥川城に入城したのが三好長慶だったのですか (yukariko)
2010-01-30 12:55:56
芥川城の絵が地図にあってもそれに関して詳しく書かれていないのでいつ頃のものかなあとちらっと思うだけでした。
あまりに山奥の気がしていましたが確かに亀岡に抜ける街道もあり、芥川の水運を考えたら重要な場所だったのですね。
今回三好山の城跡の写真を見、芥川城で死んだ長慶の息子の墓が霊松寺にある事などを知りました。
一度芥川城跡に行ってみます。

各地に残る桃山・江戸時代の平城(一国一城)の印象が強いですが、群雄割拠の時代は要塞としての城ですものね。
それにしても三好長慶の子孫の方がこられたなんて!讃岐・伊吹島に子孫が沢山住んでおられるのですね。
インターネットは思いがけないほど詳しく教えてくれますね。
しろあと歴史館の「三好長慶関係の講座記事」も見つけました。
記事の追っかけでも楽しくなります。
 
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