コメント
こんな近くの地元に伝説のロマン!
(
kazu
)
2008-07-09 10:00:03
新聞記事を見てバイクで一飛び、織姫と彦星の出合った逢合橋はいかがでしたか?
たくさんの笹飾り、回りの地名が皆七夕関連、幼稚園の名前が「銀河」には驚きました。
主人が言っていました。私達がこの水無瀬に来た頃、(30年前)はまだ天の河が見られたそうです!
7日夜は雨ではなかったので、上空ではきっと2人の1年1度の逢瀬は叶ったことでしょう!
やはりバイクでしたか。
(
sakura
)
2008-07-09 14:55:02
交野の町は何度も歩きました。
バス、電車、それから電車の乗り換え、集合時間に間に合うように出発時間を逆算するのが大変でした。Yukarikoさんは、バイクで何処へでも、身軽にお出かけになるのでいつも羨ましく思っています。
機物神社へは七夕祭りには行ったことがありませんが、この神社の境内で歩く前の準備体操をしたことがあります。
近頃は七夕飾りも目にすることが少なくなってしまいましたが、この神社では30年も行事が続いているのですね。
伝説、行事、すてきな橋の名や地名も次の時代まで繋いでほしいものです。
秦氏の記事を書いて頂いているので…
聖徳太子のブレーンだった秦川勝(河勝)の墓を
寝屋川まで探しに行ったことがあります。
川(寝屋川)近くの小高い住宅地の片隅に聖徳太子を補佐し活躍した人は眠っていました。
続きの記事を楽しみにしています。
本当は機物神社がメインの筈だったのですが(笑)
(
yukariko
)
2008-07-09 22:36:58
>kazuさま 早速のコメントありがとうございました。
6日は同好会用のワード作品を作るのに忙しくて七夕の取材だけで終わり(笑)
季節物だから出来たら7日にUPと思ったのに、残業後、主人の用事で遅くなり夜空は見たものの記事を考える力が残っていませんでした(笑)
笹飾りで彩られて見えませんが、このあたりは小さな橋です。
交通量が多く、歩道用に別の橋が両側に設置され、笹飾りは歩道に置かれています。
「逢合橋」の横は国道168号が私市(きさいち)→生駒市で国道163号→木津川市へと向かう通称「磐船街道」です。
車も多く、私も関西学研都市に住む友人宅までバイクでよく通いました。
だから七夕関連の不思議な地名は知っていたのですが、「逢合橋」このような催しがあるとは新聞を読んで始めて知りました。
一緒にUPするはずの機物神社の記事が眠さに負けて、まだ出来上がっていません。又見てやってください。
コメントの返事まで遅くなってすみません。
秦河勝のお墓が寝屋川にあるのですか?
(
yukariko
)
2008-07-09 22:54:23
>sakuraさま
そう広くもない境内一杯に短冊を付けた竹が30本以上も並ぶのは壮観でした。
露店も準備中で、地元の有志が精力的に動き回られ、辺りは雑然としていて、下手な私ではいい絵にならないのが残念でした。
私は宵宮の午前中に訪れたので、まだ短冊を付けている最中の笹は寝させてありましたから。(短冊2枚で100円)
お祭以外の時はやはり村の鎮守の森といった風情だったでしょうね。
背の高い木立の境内の横に公民館や駐車場があります。
インターネットで機物神社やら、秦氏について調べたりしていると面白くなって記事を考える時間が無くなりました(笑)
平安時代に貴族の狩猟地だった事や七夕を読んだ和歌などは知っていたのですが何故枚方や交野の辺りが?と不思議に思っていました。
sakuraさまのブログを読ませて頂いてから、淀川を利用する水運と鳥羽離宮や水無瀬離宮などの位置関係、
木津川と奈良街道、生駒山と甘南備山の間を走る磐船街道と天野川など、とても便利で重要な場所だったの?などと
色々勉強になりました。
聖徳太子と秦河勝の故事等を昔に読んだからかなんとなく懐かしいような気になりますね(笑)
太秦の広隆寺などで秦氏はあちらがメインと思っていました。
こういうことは始めると止みつきになりますね。
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たくさんの笹飾り、回りの地名が皆七夕関連、幼稚園の名前が「銀河」には驚きました。
主人が言っていました。私達がこの水無瀬に来た頃、(30年前)はまだ天の河が見られたそうです!
7日夜は雨ではなかったので、上空ではきっと2人の1年1度の逢瀬は叶ったことでしょう!
バス、電車、それから電車の乗り換え、集合時間に間に合うように出発時間を逆算するのが大変でした。Yukarikoさんは、バイクで何処へでも、身軽にお出かけになるのでいつも羨ましく思っています。
機物神社へは七夕祭りには行ったことがありませんが、この神社の境内で歩く前の準備体操をしたことがあります。
近頃は七夕飾りも目にすることが少なくなってしまいましたが、この神社では30年も行事が続いているのですね。
伝説、行事、すてきな橋の名や地名も次の時代まで繋いでほしいものです。
秦氏の記事を書いて頂いているので…
聖徳太子のブレーンだった秦川勝(河勝)の墓を
寝屋川まで探しに行ったことがあります。
川(寝屋川)近くの小高い住宅地の片隅に聖徳太子を補佐し活躍した人は眠っていました。
続きの記事を楽しみにしています。
6日は同好会用のワード作品を作るのに忙しくて七夕の取材だけで終わり(笑)
季節物だから出来たら7日にUPと思ったのに、残業後、主人の用事で遅くなり夜空は見たものの記事を考える力が残っていませんでした(笑)
笹飾りで彩られて見えませんが、このあたりは小さな橋です。
交通量が多く、歩道用に別の橋が両側に設置され、笹飾りは歩道に置かれています。
「逢合橋」の横は国道168号が私市(きさいち)→生駒市で国道163号→木津川市へと向かう通称「磐船街道」です。
車も多く、私も関西学研都市に住む友人宅までバイクでよく通いました。
だから七夕関連の不思議な地名は知っていたのですが、「逢合橋」このような催しがあるとは新聞を読んで始めて知りました。
一緒にUPするはずの機物神社の記事が眠さに負けて、まだ出来上がっていません。又見てやってください。
コメントの返事まで遅くなってすみません。
そう広くもない境内一杯に短冊を付けた竹が30本以上も並ぶのは壮観でした。
露店も準備中で、地元の有志が精力的に動き回られ、辺りは雑然としていて、下手な私ではいい絵にならないのが残念でした。
私は宵宮の午前中に訪れたので、まだ短冊を付けている最中の笹は寝させてありましたから。(短冊2枚で100円)
お祭以外の時はやはり村の鎮守の森といった風情だったでしょうね。
背の高い木立の境内の横に公民館や駐車場があります。
インターネットで機物神社やら、秦氏について調べたりしていると面白くなって記事を考える時間が無くなりました(笑)
平安時代に貴族の狩猟地だった事や七夕を読んだ和歌などは知っていたのですが何故枚方や交野の辺りが?と不思議に思っていました。
sakuraさまのブログを読ませて頂いてから、淀川を利用する水運と鳥羽離宮や水無瀬離宮などの位置関係、
木津川と奈良街道、生駒山と甘南備山の間を走る磐船街道と天野川など、とても便利で重要な場所だったの?などと
色々勉強になりました。
聖徳太子と秦河勝の故事等を昔に読んだからかなんとなく懐かしいような気になりますね(笑)
太秦の広隆寺などで秦氏はあちらがメインと思っていました。
こういうことは始めると止みつきになりますね。