山村有佳里のミュージック+プラス

国際法と有暮れのアリア




自著「有暮れのアリア〜歴史を受け止め、今奏でる」も発売から1カ月経ち、少しずつ感想もお寄せ頂くようになり、光栄な限りです。
私のラジオ番組にもゲストとしてご出演頂いた、法学者 芹田健太郎先生が素敵な感想を下さいました。 ネタバレにならない、ご自分の思い出と共に書いてくださっているので、今読書中の方、
これからの方もご参照ください。

今日はクリスマスイブで、毎年23日は可能であれば先生のお宅でホームパーティーです。
(先生のお宅は毎年定員4名 笑)
実は先生は来年神戸を離れられる予定で、まだ日はあるけれど、ご挨拶に、そして先生のご様子を見に伺いました。
先生のこれまでのご著書に並んで私の拙著があるのはなんとも気恥ずかしい思いですが、
至らないところも含めていつも見守っていただき感謝しかないです。

有佳里様
 「楽の音は、生まれた時から旅を始める」と夢枕獏さんに帯を書いてもらった、あなたの旅を感動しながら読ませていただきました。あなたのCDVieille Chansonを聴きながらこれを書いています。あなたの家族愛の深さと、世界の音楽一家とでも言える人たちへの想いの深さに感動していました。昔、おばあさまへの葬送のことを話されていたレクイエムも思い出していました。
 あなたが住んだ街角も、僕も行ったところが多く、懐かしく思い出していました。僕がプラハに行ったのは、2003年12月で寒かった。大使館がとってくれたホテルの窓は大きな一枚ガラスで川の向うにお城が見え、窓枠を額縁とする一幅の絵でした。13夜の月が輝く夜、ブランデーを傾けながら、見入っていました。翌日、ヴァ―ツラフ広場を歩きました。1968年のプラハの春の日々、人びとや学生たちによって埋め尽くされていた、その広場。ワルシャワ条約機構軍によって蹴散らされたその春のことを想っていました。われわれ世代にとってパリの学生運動、一連の日本の学生運動と繫がっていました。僕は69年にパリにフランス政府給費生として出張しました。まだ、火炎瓶が飛び交いました。プラハの春は、『雪国』の映画女優、シャンピ監督と結婚しフランスに住むことになった岸恵子の小説『わりなき恋』で、パリに向かう飛行機の中で男と知り合うきっかけとなる場面にも登場します。遠い昔になりました。
 神戸大学定年の年2004年3月10日63歳の誕生日は、ブルージュでした。独りビールを傾けたことを思い出しました。あなたのビール小話は、人びとの生活が見えて、とても楽しく、しかしこれまで誰も書いたことのない生活のにじむ取り上げ方で、観察の鋭さに驚きました。そういえば、三宮にベルギービールのお店がありましたね。
 こんなことを書き連ねていると、切りがありません。龍笛のことなど、京都で聴いたことまで思い出します。とりとめもなく、芹田健太郎


丁度 祖母の本棚から岸恵子さんの30年の物語を持って来ていたところでした。


芹田先生の新刊も頂きました。
同じ頃、法学の本の13巻目を書き上げられて、健筆ですごいです。
入門します…。

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