2011年3月12日 土曜日 時間不明 朝から
現地で医療活動を始めている人に、感謝と情報をツイートしてくれたお礼をしてみた。 すると、私宛に返信というものが来た。 これから女川に入るから、よければ弟の名前などを教えてくれないかという内容。 ほんの少し迷ったが、こんな状況だ。 戻りは深夜になるとの事だが、時間なんて関係ない。 それならば避難する時間もあったはず。 津波の影響で女川町をカバーしていた電波塔が全て壊れ、携帯での連絡は不可能。 だったら、携帯がつながらない理由わかる。 仙台放送の内容のツイートで、原発施設内に約2000人が避難との情報。 きっと、きっとその中に弟も…。 Twitterに加えてgoogleリアルタイム検索も利用した。 気が付くと、外が暗くなっていた。 しばらく放置していたmixiの方を見てみると、 協力できればいいけど、今は弟の安否が知りたい。 他の人の手助けどころか自分が本当に知りたい情報を手に入れられない自分に 情報がなんでもいいわけじゃない。 気付くと、とっくの昔に日付がかわっていた。
Twitterの情報を眺めていると、直接女川の人とコンタクトを取った人や現地で医療活動を始めている人の情報が目に付き始めた。
こうやってコミュニケーションをとったりできるのか。
職場と名前を伝えた。
実際に現地にいて、情報をくれる人と連絡がとれたのだ。
あとは待っている間にできることをするだけだ。
調べていくと、女川町は地震が来てから津波が襲うまで
約50分の時間があったことがわかった。
内容は結構かぶるが、それでも流れてくる情報を少しでも多く手に入れたかった。
同じように家族の安否を知りたい方々からの『情報求む』の書き込み。
その経過で偶然にも手に入れることが出来た共有できる情報なら教えられるけれど、
今は何もない。
無力さを感じて悔しくなる。
弟が無事に施設内にいるという確実な情報が欲しい。