秋たけなわ。コロナ新規感染者数も激減したし、予防接種も済ませているので、初めて県外のアビーの元ユーザーさんのお宅へお邪魔しました。おうちはとてもきれいに手入れされており、「アビちゃんは8年間このお家に住んで、一生懸命働いたのだなぁ」としみじみ感じ、アビ生前の姿が鮮やかに心によみがえりました。その後、午後8時前においとまをし、タクシーで予約していたビジネスホテルへチェックインしたの。
翌日は、せっかくなので吉備津神社と吉備津彦神社へ行くことにしました。
まず、岡山駅から地元ローカル線の吉備線(桃太郎線)に乗車。
始発の岡山駅から3番目の駅、「備前一宮」で下車。
この駅はホームが一つだけのとても小さな無人駅。待合ベンチの壁に、吉備津彦命が温羅(ぬら)という鬼を退治した話を書いた大きなパネルがバーンと掲げてありました。吉備津彦命とは、何を隠そう、かの有名な桃太郎さんです!・・って、誰も隠してないわね。
桃太郎が鬼退治で英雄なのは皆知ってる。でも、こんな意見もあるんだって!
・福澤諭吉は、自分の子供に日々渡した家訓「ひゞのをしへ」で、悪行をなす鬼を懲罰する桃太郎は正しくとも、(世のために)鬼が所持する宝を強奪した桃太郎は「卑劣千万」であると非難する。
・現代でも「本当は鬼が島に押しかけた桃太郎らが悪者ではないか」と考える者はおり、裁判所等で行われる模擬裁判の事例やディベートの議題として取り上げられる場合がある。(出典:Wikipedia)
へぇー、そうなのかぁ~。そこで退治された鬼の温羅 (ぬら/うら/おんら)についても調べてみる。
・異国から飛来して吉備に至る。
・製鉄技術を吉備へもたらす。
・鬼ノ城を拠点として一帯を支配する。
・空が飛べる。
・大男で怪力無双。
・大酒飲み。
温羅に困った吉備の人々は都へ出向き、窮状を訴える。しかし、ヤマト王権が派遣した武将も温羅は倒せなかった。このため崇神天皇は彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)を派遣した。 (出典:Wikipedia)
結局、この彦五十狭芹彦命という人が温羅を討伐し、温羅は自分の「吉備冠者」という名を献上した。それから彼は吉備津彦命と呼ばれるようになったんだって。
結局、この彦五十狭芹彦命という人が温羅を討伐し、温羅は自分の「吉備冠者」という名を献上した。それから彼は吉備津彦命と呼ばれるようになったんだって。
説明が長くなりました。
備前一宮駅から吉備津彦神社は踏切渡ってすぐ目の前。
しかし、名前がよく似たもう一つ別の神社「吉備津神社」は隣の吉備津駅にあり、ここからは自転車で25分ほど。2つとも行きたいので、駅舎隣の貸自転車屋さんでママチャリをレンタル。係のお爺さまは「2時間もあれば十分」とおっしゃり、500円コースを選択する。
最初に遠い方の吉備津神社へ向かう。この川沿いの道をグングン進み、
途中で吉備線の橙色の電車に追い抜かされ、
誰も歩いてない。道が正しいか不安なところ、標識を見つけ安心する。
「おねちゃん、がんばれ!」
白鷺クン、応援ありがと!
中間地点を超えた頃、「鼻ぐり塚」という案内棒(?)発見。
福田海(ふくでんかい)という宗教法人の敷地内にある牛の供養塚らしいが、矢印の方向にそれらしいものは見えなかった。
福田海のHPによると、「鼻ぐり塚とは、農耕や搾乳で使役された後にあるいは近年ではその目的で飼育され、解体されて肉や皮が人の用に供されていく牛を供養する為に牛の鼻ぐりを集めて円墳の上に積み上げた塚をいう」とのこと。あぁ、生きるということは他の生物を搾取することなんだなぁ・・・。すみません。
吉備津神社に着くまでに記事が長くなったのでいったん切ります。
<桃太郎の地元訪問②>に続きます。
吉備津神社と吉備津彦神社があるんです。
総社の温羅じゃ、お連れしたかったなぁ。
当初は岡山駅から少し東にあるオリエント美術館や県立美術館、林原美術館、夢二郷土美術館、他にも醤油ギャラリーや岡山城などを巡るつもりでした。しかし、工事で臨時休業とか休館日などで予定を変更しました。
結果的にはすばらしい吉備地区へ行けて良かったです。ぜひまた行きたいと思っています。
このコース、ずっと行きたいと思ってるんです~
(過去に計画したものの予定変更ばかり。。。まだ呼ばれてないんだなと勝手に解釈してます)
お天気もすばらしく、いい気持ちだったでしょう✿
電車で行ったのね
そして自転車とは元気ィ
②も楽しみ~わくわく!です。
観光案内所のパンフレットを参考に急遽吉備地区訪問に変更しました。
でも結果オーライ。ほんとに良い所で、行けて良かった!
後で知ったんだけど、ここはアビちゃんのお祖母ちゃんの出身地なんだって。
お母さんも子どもの頃、ひいおじいちゃんに連れられて吉備津彦神社の方へ
良く遊びに行ってたんだって。縁があったんだなぁ。
ここへはアビちゃんが連れて来てくれた気がします。