日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

インドア派?アウトドア派?

2010年01月30日 04時50分45秒 | 日本事情
 「インドア派?アウトドア派?」と問われたら、僕は完全にインドア派である。家の中で過ごしている方が楽だし、ストレスも少ないから。

 でも、「生きる」というのは「動く」と言う事だと思う。だから、延命装置で生かされている植物人間と言われる人たちは、医学的には生きてはいるが、実際には死んでいるに等しいと思う。

 「引きこもり」が世間に認知されてから時間が経つが、「引きこもり」の人もある意味生きてはいない気がする。

 「引きこもり」とは、この世の中の人間関係や社会におけるしがらみに嫌気がさし、他人との接触を極力避け、自分の殻に閉じこもってしまうという意味だと僕は解釈している。

 確かに、世の中には自己中心的で、デリカシーがなく、人をぞんざいに扱ったりする人がいる。基本的に「引きこもり」の人は神経が繊細であるため、その扱いに人並み以上に反応し、傷つく。

 でも、傷つくことを恐れて、何も行動しなければ、普通は何も起こらない。自分がやりたいことを、実際に行動に移さなければ、何も起こらない。誰かが自分のためにやってくれるのを待っていたら、人生は終わってしまう。

 道で強盗に襲われることを恐れて、外に出なければ、旅行しなければ、人として社会の中で生きていることにはならない。残念ながら、世の中には悪い人がたくさんいる。でも、その人たちを避けようと生きても、仕方がないのだ。

 「生きる」ためには、「動く」必要があり、人と接触せざるを得ない。「動く」という事は、人と接触することを意味し、良きにつけ悪きにつけ、摩擦が起こる。それは化学反応のようなもので、人の力ではどうしようもない自然現象である。

 人間はいつも人からどう思われているかを考えながら行動する。でも、人が自分に関して考えていることをコントロールすることはできない。自分の考え方すら時に制御不可能に陥る訳だから、人の考え方をコントロールしようという考え方自体が不遜なのである。

 自分の意志で管理可能なものをコントロールし、管理不可能なものはコントロールしようとしない。こういう考え方で生きないと、ストレスばかりたまってしまう。

 「成せば成る」と「成るがままに任せる」の2つのバランスをうまく取るのが、上手に生きるコツなのかなあと思う。

 僕はインドア派である。だから、アウトドア派の人に憧れる。でも、それは本来の僕自身ではないのだから、無理してアウトドア派にするつもりは毛頭ない。頑張っても、どこかで無理が生じる。

 でも、「引きこもり」たくはない。引きこもっても何の得もない。細心の注意を払いつつも、ここぞという時には果敢にリスクを負って生きる。それしかない。
 
  
 

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2 コメント

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返答 (たけちん)
2010-02-02 05:23:34
インドアでもアウトドアでもどちらでもいいんでしょうが、どちらにしても行動しないと始まりませんね。


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Unknown (yasu)
2010-02-01 13:37:13
こんにちは。確かに「行動」しないと何もはじまりませんよね。僕は自分で「アウトドア派」だと思っています。行動した結果での感動は言葉では表せません。
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