幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

日本百名城を巡る旅・広島城

2024-12-04 | 歴史

この度の広島への旅の最後は、毛利輝元の築いた「広島城」なる。

昭和20年、原子爆弾が投下され、天守をはじめ全ての建物が無くなってしまったという。

その後、天守や二の丸の御門橋、表御門、多門櫓、太鼓櫓などが復元されている。

 

広島城跡の見学に先立ち、平和記念公園を散策し、原爆の犠牲になった人たちへの慰霊の祈りをささげた。

外国人を含み、朝から平和を祈る人々の姿が多く見られた。

 

広島城跡へは平和記念公園から歩いてわずかな距離である。

「御門橋」を渡り、「表御門」から「二の丸」へと表玄関から入城させてもらう。

二の丸は堀の中に島のように作られていて、馬出として機能し、いざ戦になると城の守備のうえで重要だったはずである。

二の丸と本丸とをつなぐ石積みの通路。

「中御門」のあったところを入る。

地元の方らしい人から、「ここの石垣は、被爆したとき色が赤く変色してしまったのだ」と説明していただいた。

赤くただれたような石が痛々しい。

本丸は堀で囲まれた長方形のエリアで、下段と、そこよりも一段高い上段の二段構造になっている。

石段を登り上段の中を少し進むと、「広島大本営跡」があり、さらに進むと「天守」が見えてくる。

五層の天守は鉄筋コンクリートで復元されたもので、内部は資料館になっている。

最上階は展望室になっており、ぐるり回廊を周り周囲を見渡すことができる。

堀の向こうに見える紅葉がきれいだった。

面白いところがあった。

北東に崩れたまま残る石垣がある。

ここは、当時城主だった福島正則が城の改修をする際幕府への届け出を怠って、それをとがめられて壊した跡とされる。

そのまま今に至っているというのが面白い。

 

二の丸~本丸を一通り観て周って「裏御門」から本丸から外に出る。

 

昭和20年まであった天守その他の建造物は、原子爆弾によりすべてを失ってしまったという。

残念なことである。

現在は、内堀に囲まれた二の丸、本丸の敷地内に復元された建物から、往時の姿を想像するしかない。

福山城、郡山城、広島城と観てきた広島県にある名城の旅も、これをもって終えることになる。



最新の画像もっと見る