人生第二章 挑戦者

<左半身麻痺の機能回復と生活奮闘記>
脳卒中に倒れ、その後の障害、失われた機能、生活を取り戻す記録

曇り時々雨

2014年06月08日 19時22分30秒 | 日記
 昨夜、夜中に雨は激しく降りました。外の雨音の大きさが気になって、熟睡できませんでしたね。大雨の日が会社のある日でしたら通勤が大変なことになりましたが、大雨の日が休日で良かったと思います。
今日の天気は、曇り時々雨の日です。今日も”街歩き・道歩き”には行けないのが残念ですが、体を休めるのには雨の日もよいのかもしれません。今日も自宅の書類の整理整頓です。
最近時間が過ぎるのが早く感じます。こんな感じですと、定年も直ぐにくるのだろうな。時間のある時に、定年後の準備と計画作りです。
 さて、一日動かないことも体に良くないので、運動は室内で左半身エクササイズをしました。
天気予報では、明日から木曜日まで、雨の日が続くようです。一週間の始まりから雨は嫌ですが、出勤時には大雨でないことを祈ります。
今週も事故しないように注意して気をつけて頑張って仕事に行きましょう。

 記録

 天気: 雨のち曇り時々
 最高気温(℃)[前日差]  24℃[+5]
 最低気温(℃)[前日差] 18℃[0]
 体調:
 血圧: 120/67/68
 訓練: 上半身エクササイズ

星と太陽と青空に願いを』

今週は雨が止んで晴れますように。
家族の花粉症が治りますように。
家族が健康で安全で平和な日でありますように。
私の体の障害が治りますように。
地震が起きませんように。
電車のトラブル、人身事故が起きませんように。
悪いことが起きませんように。
毎日無事に帰れますように
明日は今日より良いことがありますように


訪問者の皆さんが健康で安全で平和な日でありますように。

今週も元気に行くぞ 

挑戦者とカメラマン(妻)


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久しぶりのお電話で

2014年06月08日 15時59分00秒 | 不幸・悪い事・トラブル
 今日は久しぶりに病院に入院していた時に一緒に入院していたNさんに近況のお電話をしてみました。そうしたら、何とGWの頃、8日に奥様が突然亡くなったことを聞き。大変驚きました。Nさんの奥様はNさんの為に毎日、着替えやら身の回りのお世話に病院に来ていました。いつも、若々しく、溌剌とした女性ででした。健康そうでとても、急逝するような方には想像できなかったです。
奥様は、享年69歳にて”大動脈かい離”という病気で亡くなったそうです。朝の食事をして8時頃洗濯していた時に突然倒れてしまったようです。その日の奥様は、その病気の予兆も兆候も何もなかったそうです。いつものように生活をしていたとのことでした。
倒れて直ぐ救急車を呼んで病院に行って手術を受けられましたが医師の処置のかいもなくその晩に亡くなられたとのことでした。
まさか自分よりも先に妻が無くなってしまうとはNさんには想像ができなかったことでしょう。Nさんは相当ショックを受けたことでしょう。
 もしも、この出来事ことがなければ、その日、Nさん夫妻は、普段の日と変わらなく一日を終えられたことでしょう。この話を聞き、不幸は突然にやって来ると思いを強くしました。一寸先の不幸は、誰にもわからないと思いました。誰にでも、私にも起こりえることなのです。

Nさんへ

この度の奥様のご不幸を聞き、私達は言葉にならないくらいショックを受けました。この度のご逝去に接し心よりお悔やみ申し上げます。奥様のご冥福をお祈りいたします。

挑戦者とカメラマン(妻)

アウトサイダーとインサイダー

2014年06月08日 10時45分35秒 | 日記
2013年06月05日 : それは、6月に始まった

思い出したくないことですが、今年も6月がやってきました。2012年6月は構造改革の美名の名のもとに会社のリストラが始まった月で私の運命、生活を変えた月です。
この月から辞めてくれないかと会社から圧力が始まり、私は辞めないと強制解雇もありかと、何故、自分がリストラされるにのか?毎リストラ後の生活に、不安で悩んでいました。何とか、そのリストラ圧力をはねのけて会社には残ってはみたものの部署の異動があって、国際物流管理の仕事から外されて体に障害がある私は慣れない仕事をさせられる事態が続くことになりました。

 私がこの理不尽なリストラの困難を乗り越えられたのは、家族とともに応援団の方々のご支援、ご声援があったからこの事態を乗り切ることができたとつくづく思います。皆さまに心より感謝しています。

 さて、二年が過ぎて、私は、この事態を冷静に分析できるようになりました。

■リストラとアウトサイダーとインサイダー

今の会社で50歳以上の人間はほとんど、リストラで退職して行きました。50歳以上で残っている人間は全て経営陣の人間です。
インサイダー(経営陣は新しい商品を作った経験に乏しく、その場、その場の仕事を与えられてきた人ばかり。仲良し、お友達でグループを組んで上にゴマをすりそして上に媚びて、立ち回るのがうまい保身の得意で出世した連中です。)。そんな連中に今の会社の体質を変え難局を乗り越え会社を立て直せることは不可能です。

私は、自分の性格から、インサイダーになるような人間でありませんでした。世渡りが不器用でしたね。私はインサイダーでいるよりアウトサイダー(誰からも理解されなくなくてもわが道を行く孤高でいるのが好きなタイプ)でした。会社としてはそんなアウトサイダーは、毎日何をやっているのか?会社にどんな利益をもたらしているのか?理解することは出来なかった事と思います。

ここで思い出されるのはソニーの栄光と挫折とホンダスピリットです。

★ソニーの栄光と挫折

 子供の頃より家の中にソニー・ブランドの家電があることはステイタス・シンボルで自慢できましたね。リニトロンのテレビ、CDラジカセ、オーディオ、ウォークマン、ハンディカムのビデオ等などソニーのロゴが燦然と輝いていましたね。ソニーの新製品の発売には気になりましたね。その世界に誇れる技術のソニー、栄光あるソニーが、今や苦境にあえいでいます。テレビ事業の分社化が発表されましたが、累積7000億円という赤字です。

 ソニーといえば、やはりウォークマンですね。1979年、初代ウォークマンが発売されました。創業者・井深大氏が「飛行機の中でも音楽を聴きたい」と要望したのがきっかけだったそうです。
 当初、役員の多くは、録音機能が付いていないことから、商品化に反対だったという。だが、当時の会長・盛田昭夫氏はヒットを確信していました。「マーケット・エデュケーションによるマーケット・クリエーション」を唱え、当時の人気アイドルやタレントに 無料で配布しました。ウォークマンを使う彼らの姿が雑誌に取り上げられることで、結果的に若者たちの市場を「教育」し、新しいライフスタイルを「創造」した結果になりました。
 「教育」の成果は、発売から2か月目にあらわれ、ウォークマンを片手に街に繰り出した若者たちがそのまま広告塔になり、品切れが続出、社会現象となりました。やがてウォークマンはヘッドフォンステレオの〈一般名詞〉になって行きます。

 しかし、「進化」した「音楽」の先はソニーではなく、Appleでした。盛田から初代ウォークマンを贈られたスティーブ・ジョブズ氏は、オリジナリティーの豊かさ、完成度の高さに感嘆し、すぐさま分解したということです。カセットテープからCD、MDへというウォークマンの進化の先の「未来」は、やがてジョブズ氏のiPodが手にすることになります。

評論家によれば、その後のソニーは「技術に対する投資をせず、外から買ってくればいいと言うようになって行き、しかし、モノを作ったことがない人間に技術を選定する能力がなく技術のソニーの栄光から挫折のソニーに転がり落ちて行った。」


★★ホンダの魅力

 ホンダもやはり技術力の企業です。既成概念にとらわれないパイオニアスピリットは業界一だと言われています。
常に探究心を失わずオーバルピストンなんかを開発したり、初代シビックのスタイリングの斬新さ、さらに希薄燃焼方式などの排ガス対策は他のメーカーとは全く違うアプローチで素晴らしい成果をあげました。画期的な実績の積み重ねで現在に至っています。
かつて、自動車メーカーでは、「技術の日産」と呼ばれていた時期がありましたが、今では「技術の~」の称号はホンダのものだと思います。自動車メーカーでは後発メーカーでしたが品質力ではずば抜けた存在だと思います。
 ホンダの魅力と強さは”パイオニアスピリット”とその裏付けとなる”技術力”です。そのパイオニア精神やレースへの挑戦もそうですが、生活に役立つ車づくりをしているのす。
そのシンボルが「スーパーカブ」です。そのすごいところは、40年以上も生産を続け、いまだに進化し、たとえ日本でポンコツになってもまた外国へ行って活躍する
「ホンダスピリット」などとメーカーの姿勢自体に精神性を謳われるような自動車会社は無いでしょう。 F1の世界では、「フェラーリはF1のために車を売る。ホンダは大衆車のためにF1で技術を磨く。」と言われているのは有名です。
ホンダの開発者は、ほんとに車が大好きで作っています。アウトサイダーが生かされ、活躍させてもらっているような気がします。私もリストラ前は、国際物流の仕事が大好きでした。誰にも理解されなくても私のやり方で会社の国際物流を進化させていました。そして、多くのFWから私の国際物流管理が支持されていたと思います。

アウトサイダーと良い意味でのインサイダーがパイオニアスピリットで一丸となっている会社は、たとえ困難があろうとも乗り越えて行くことでしょう。
さて、これから、私の会社は?????