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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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父方祖母の育ての親・平山チカの命日でした

2020-04-12 23:52:43 | 曾祖父・寺山用之と後添いさん

さて、寝る前に日記書いておこうかな、と思って3年ダイアリーをめくっていたら、

今日の日付に「平山チカさんの命日」と書いていました!

忘れてました〜

☆ 関連日記:『祖母の実母の旧姓は‥‥「町田」?(スキさんの命日に)

この中で、祖母・ふくの育ての親である、平山チカについて少し書いていますが、

昭和16年4月12日に台南・麻豆で亡くなりました。享年75。

 

さらに遡ると、今月7日は曽祖母・ツタの命日でした!

(ツタは夫・轟が亡くなった翌年、大正12年4月に台湾・高雄州の屏東で亡くなっています。)

☆ 関連日記:『曾祖父が養子となった先は‥‥

 

昨日も今日も、例の石塔(→『倉山作太夫久籌?』)に刻んである名前の更なる事実を書き出すことに没頭しておりましたので、ついつい他のことが疎かになります。

 

あ!でも最近体力増進のために始めた父との「ちょこっと散歩」は続けています。

 

命日のことは日記としてここに書いて、もう寝ることにします。お休みなさい


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2 コメント

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Unknown (shinshin)
2020-04-13 19:48:21
こんばんは。しんいちです。
お元気でしたか?
先日法務局で旧土地台帳を確認したところ、明治35年3月の稲荷町12に町田藤蔵さんのお名前がありました。明治41年6月は町田直二さんというお名前がありましたよ。
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しんいちさん、こんにちは (ゆき)
2020-04-15 18:08:29
しばらくコメント欄を閉じておりました。失礼致しました。
稲荷町の「町田藤蔵」ということは、おそらくこの方が父の母方祖父、ということになりそうですね。
「藤」の字があるのが気になりますが、どちらの町田家なのか繋がりがわかるといいなと思います。
お知らせいただき、ありがとうございます。
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