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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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郡元墓地の川上家累代合葬墓など('08.12.6 撮影)

2023-03-09 12:57:45 | 名越左源太と家族

 以前「郡元墓地」について書いた記事を検索していて、

後日アップする予定で2年近くもそのままになっていた物があることに気付きました。

・ここです↓

『 歴史探訪時系列インデックス』(2017-08-13)カテゴリー| インデックス(主なイベント) 

 

ここに自分で書いておきながら、すっかり忘れていました。

「☆ (2008年の)12月6日には郡元墓地の『篤姫の父上・母上のお墓』を訪ねたことも。(2018年3月11日に日記アップ)

  実はここを時成さんのご子孫・U氏に教えて頂いた後、もう一度父を連れて訪ねてみたのがこの日でした。

  その際には、曽祖父・轟の姉イサさんが嫁いだ川上家のお墓を撮影したので、後日アップ予定です

  (以上、2021年4月9日追記)」

 

2008年12月に訪ねた際に撮った、と書いてあるけど、

写真の画像情報を見ると「2011年7月2日」になっている。ファイリングした時の日時記録だろうか??

今のところ、ちょっと不明。

 

 全部で9枚あります。

右が「川上家累代合葬墓」。

・関連記事『川上式部邸跡と「授産社跡」』(2019-10-19)カテゴリー| 都見物日記プロローグ

 

 川上久逹の墓石には、長男・川上玖琅、その妻・イサ合葬とあります。

左には「橋口精一之墓」とありますが、この方がイサさんの二男で『都見物日記』を纏められた方。

・関連記事『【第4話】紹介者は、寺師若法師さん』(2019-09-06) カテゴリー| 都見物日記プロローグ

 

背面。

 

川上久逹(ひさゆき)墓石(天保三年四月廿二日生)

 

 

川上久良(玖琅)氏により(南林寺墓地から改葬)建立されたそう。

 

 

また、この墓地には子孫にあたる平瀬実武氏の墓もありました。

最初に訪れた際、時成子孫の内村氏が教えてくださいました。

 

 郡元墓地(露重墓地)にて撮影。

 

チェックしてみたら、内村氏に教えていただいた時は写真に撮らず、やはりその後父を連れて行った2008年12月の撮影だったようです。

・関連記事『篤姫の父上・母上のお墓』(2018-03-11)カテゴリー| 大河ドラマ『西郷どん』

 


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2 コメント

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名越 初枝様へ (ゆき)
2023-04-10 18:07:58
初めまして。
「名越」姓ということは時成さんのご子孫でしょうか?コメントありがとうございます。

歴史に疎かった私が経験したことですが、島津家歴代藩主がいつの時代の人で自分の先祖とどう繋がるかは、簡単には把握できませんでしたが、西暦に直したり代々の系図に書いたりするとわかりやすいと思います。

名越(なごや)家の始祖「名越恒渡(なごや つねただ)」は、妹・須磨(のちの月桂院殿。第22代藩主となる島津継豊の実母)の兄ということで、第21代藩主・島津吉貴公(1675生まれ〜1747年没)に仕える事になりました(薩摩入りする事なく江戸で亡くなったそうです)。

それから代が降って、通称「名越左源太」として『南島雑話』で知られる「名越(左源太)時敏」(1820生まれ〜1881年没)は、島津家後継に関連したいわゆる「お由羅騒動」に関わったとして遠島を申し付けられ、奄美大島の「小宿(こしゅく)」で1850~1855年謫居生活を送り、鹿児島に帰ってきました。

継豊公の実母・月桂院殿や「名越左源太」につながる事については以前『月桂院とは』と題して2017年5月に書いていますので、ご笑覧下さい。

『月桂院とは』↓
https://blog.goo.ne.jp/yuki_bins35/e/cfa11cbbca7f445c07993cbfc7297044
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Unknown (名越 初枝)
2023-04-07 22:57:12
始めまして
最近 名越左源太の子孫だと云う事に気付かさされ
名越左源太の妹 島津嗣豊さんのお母様が 気になり
調べて居たら 辿り着来ました。
何かのご縁を感じ コメントさせて頂きました。
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