☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

「5月12日 日光より宇都宮まで参り〜東京へ帰る」

2020-05-12 18:42:56 | 『都見物日記』

 前日は上野から日光まで移動し、宿屋に一泊。今日は日光山参詣に

 

『都見物日記』(六)‥‥ ②

 五・一二  今日も天気よし。早目に神山と申す宿屋出たち、七時日光山社 御はい殿色々の御結構のお宮又三代の将軍様御墓、これも誠に何とも御結構也、此内にお寺も有り。また日光山迄行く途中の両脇に大きな杉樹たち 又、六七里は松と杉、途中もじつに感心也。渺(ビョウ)地野原、くのき山、小松山 限りなし、ひろき事呆れ候也

 十二時頃迄あらまし済ませ候也。少々雨もように相成り、夫より又 神山徳兵エ宿屋へ帰り、昼飯たべ直(スグ)と馬車に乗り、日光より宇都宮まで参り、昼四時過に此所の停車場より汽車にのり、七時過には上野まで着(ツキ)、又これより馬車にのり新橋迄、これよりちんちん三人連れ歩行致し帰り候。内にて夜食たべ 夫より九時頃はいね申候。

 1泊2日の日光への旅、お疲れ様でしたね、御三方

 またまた明日のお天気の行方も気になりつつ、この日は早目の御休みのようです

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「5月11日 上州日光山へ参詣」

2020-05-11 18:39:11 | 『都見物日記』

第六章は、東京から少し足を伸ばして日光への旅路から始まります

 

『都見物日記』(六)‥‥ ①

 五・一一  今日も天気よし。又六時過ぎ起き早飯しまい、本日より上州日光山へ参詣致すつもりにて 九時二十分より出掛け、通り町より馬車にて上野停車場迄ゆき、十一時出ぱんのには ちと早目にて 下の茶屋にて茶のみ、其所よりちんとすし買入、十一時過汽車にのり、又色々珍らしき所を眺め申候。宇都宮と申所まで汽車にてこれから又 馬車にて日光まで行き 夜九時に宿屋に着、皆々風呂に入り十時過に飯、酒少々のみ 夫よりいねかたにて候。神山と申す宿屋也。

 今日はこれだけ。移動日ですね。

朝早く起きて、京橋の宿屋を9時20分に出掛け、上野駅まで馬車で移動、早目に着いたのでちょっとお茶して、11時過の汽車に乗り窓からの眺めを楽しみつつ宇都宮まで。

宇都宮の駅から今度は馬車で日光まで移動。夜9時にようやく宿屋「神山」へ着いた、と。

お風呂に入って、晩御飯は10時過になりましたか。一日がかりの移動、大変ですね

 明日は日光山参詣、お天気、良いといいですね

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上野寛永寺界隈をテレビで観る

2020-05-10 23:51:10 | 『都見物日記』番外編

やっと『都見物日記』の「5月1日の続き」↓を書き上げました〜

      「5月1日(続き) ついに東京入り!」

 

これアップする前に、ちょうどテレビのBS放送で「今昔!古地図東京巡り 花の上野で江戸さがし」と云うのをやってました。(「寛永寺」は地図上部(上野)にあります↓)

残念なのが、視聴予約してたのを忘れて席を外していたら、15分ほど見逃し(録画も逃し)てしまった(~_~;)

でもそのあとは録画したので、明日また見直してみよ〜っと

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◇都見物日記◇ 目次 第五章(5/5~5/10)

2020-05-10 23:29:19 | 都見物日記 / タイトル一覧

 いつもご覧いただき、ありがとうございます

前回に続き、第五章のタイトルを並べてみました  

《 PCでご覧の方へ 》

文字が小さく読みづらい場合は、左の「文字サイズ変更」で「大」をクリックしてくださいね

 

第五章

①  「5月5日 今日は水天宮様の縁日で」  ( 2020-05-05 16:10:17 )

②  「5月6日 佐原芳どのを訪問、 天王寺の吉次殿とは?」  ( 2020-05-06 16:11:36 )

③  「5月7日 雨降りながらも、上野の博覧会に」  ( 2020-05-07 16:36:13 )

④  「5月8日 上野博覧会、美術館、九段坂招魂社」  ( 2020-05-08 16:37:44 )

⑤  「5月9日 轟殿は博覧会へ、 佐原芳どの、 山井於時様、 永岩直次郎さんもご来訪」 ( 2020-05-09 16:40:24 )

⑥  「5月10日 泉岳寺、大円寺、浅草の観音へも参詣」  ( 2020-05-10 16:46:43 )

 

 

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「5月10日 泉岳寺、大円寺、浅草の観音へも参詣」

2020-05-10 16:46:43 | 『都見物日記』

 ここまでいろんな人物が登場しましたが、どういった方々なのかが気になりつつも、旅の日記は更に続きます。

 

『都見物日記』(五)‥‥ ⑥

 五・一〇  今日天気よし。六時すぎ早目に飯たべ、八時過より泉岳寺御仏像由良の助御墓皆々四十七人のお前拝見いたし候。夫から大円寺名越家御祖先の墓へ御参りいたし、三人にて草とり掃除いたし候。お筆どの子供の墓へも参り、少々下にて有之(コレアリ)候。此より又 浅草の観音に参詣仕候也。これも御宮は朱ぬりにて大きく奇麗の事。虎その外 とり、熊などの見せもの、人魚というものも見候。これは人がまねしているとのこと承候。お庭など奇麗のこと。此時轟殿 花もの品々買入帰られ候。御墓参りの帰掛けも花買入れ、野菜の種いろいろ買入候

 夕方にぜんざいを三人共にたべて帰り、暮過に内に帰着候て 何も内にて食べず、早目にやすみ候也。

 

 

 泉岳寺を訪ねた後、大円寺で名越家のご先祖様へご挨拶‥‥って、もしかしたら初代・名越恒渡(ツネタダ)のお墓があったのかな、と、これを書きながら思いつきました!

 (実は現在 '20.5/21 深夜です 

妹・須磨が第21代島津吉貴の側室となったことで島津家臣となるのだけど、薩摩へは行かないまま江戸で亡くなったという話なので、とすると、島津家の菩提寺であった大円寺にお墓があっても不思議ではないですよね! きっとそうに違いない!

今までピンとこなかったのだけど、ここへ来て思い当たりました〜

※ 「大円寺」については以前書いています →『大円寺いろいろ

 「お筆どのの子供の墓」も気になるのですが、何しろ次姉・筆さんについては詳しいことがわかりません。。

 

 次は第六章。東京滞在もいよいよ大詰めです。

  

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「5月9日 轟殿は博覧会へ、 佐原芳どの、 山井於時様、 永岩直次郎さんもご来訪」

2020-05-09 16:40:24 | 『都見物日記』

 前日の上野博覧会見物などのお疲れもあってか、お母様とイサさんは京橋の宿でゆっくり過ごされますが、お客様も入れ替わりでおいでになり・・・。

※ 京橋の宿屋へは5月2日から滞在中↓

「5月2日 新橋松元屋から 京橋区加賀町へ宿替え 麻布永坂島津氏お染様の所へ」 』

 

『都見物日記』(五)‥‥ ⑤

 五・九 久々続き今日も天気よし。六時起き茶のみ程なく飯たべ候。今日は博覧会みかた、轟殿計り也御母上様少々御くたびれ遊ばし 御やすみの事也。久々に天気よく候得共 私は御母様とるす致居(イタシオリ)候。昼飯は両人とも内にて一時ごろにたべ候也。

 二時之頃、御母様は風呂に入らせられ 私一人留守いたし居候処に、佐原芳どの来り 二人にて何かと話いたし居り候得ば、御母様、轟殿帰り 四人にて茶のみいたし 色々の話の事也。

 五時頃に山井於時樣お出で久々に皆々御目にかかりお互いにうれ敷、玉子箱入 一箱御土産として御持ちこし也。これ亦 何か積もる話にてゆるゆると成され皆々より紺絣一反買入候て 差上候事お時様は先達て出産、男子出来ましたとの事。ようよう四十日ぐらいの日数ゆえ、何も何も御馳走もできず御菓子などいろいろ差上候。(中略)

 芳どのお時さんより後 はなしいたし 八時過に帰り申候。永岩直次郎さん七時過にお出で、精一殿の手紙もち参られ、私へも早く帰れと申来たり居るとの事承り候。十時過まではなしてお帰りの事。十一時過には いね候。

  (中略)は医者通いの話など(若)

 

 今日初めて登場したのは「山井於時様」。文面から同等の家系か身分の高い方かと思われます。出産されて40日ほどとのことですので若い方でしょうか。

 永岩直次郎さんは5月4日に登場しました。→ 「5月4日 京橋の涯 松田屋と申所へ」

精一殿はイサさんの次男で、イサさんが記したこの『都見物日記』を整理された方です。

☆ 以前に紹介した記事 → 【第4話】紹介者は、寺師若法師さん  「4月17日 鹿児島を出帆」  

 

 さてさて、明日はどこへ行くのかな? 

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「はだもち」とは?

2020-05-08 23:23:05 | 『都見物日記』番外編

ちょっとここらでひと休み的なお話です。

『都見物日記』の『「4月21日 兵庫着、神戸楠公社参詣」』に「はだもち着物一枚は寒さになり、‥‥」というフレーズが出て来て、以前読んだ時にもタイピングしながらもイマイチしっくり来なかったのですが、今日になってようやく理解できました!

 

たまたま鹿児島弁について調べていたところ、「はだもっ」という単語が二つ並んでいました。

意味は「気候」と「天気」とあり、

「気候」の例文として、「気候(はだもっ)がよくなってきた。」

「天気」の例文としては「秋の天気(はだもっ)は いい気分にさせてくれる。」

というものでした。

 

なので、イサさんの日記にあった「はだもち」は 鹿児島弁なのではないかと思います

前の文章から続けて表示すると、

「今日天気宜敷 少し風出(イデ)晴上り はだもち着物一枚は寒さになり、‥‥」 で、

「今日は天気良く 少し風が出て晴れ上がり、気候としては着物一枚重ねるくらいの寒さになり、‥‥」といったところでしょうか。

 

 鹿児島弁、地元そだちですがまだまだ知らない言葉が多く、なかなか難しいです。。 

ちなみに今日調べていた鹿児島弁は、「そがらし(大変、豊富な)」と「せからし(うるさい)」の違い、でした〜

 

ところで、4月28日までの分をまとめて30日〜5月1日までにアップし、しばらく更新できませんでしたが、

地図を添付することを思いつき、そのための画像を撮ったり、画像フォルダにアップしたりに費やしておりました。

 

4月29日〜5月1日の分は昨日(5月7日)にようやくアップできましたが、まだまだタイムラグが縮まりませんことをお詫びします。

(下書きは形ばかりのものを10日まで作ってあるんですけどね。。

 

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「5月8日 上野博覧会、美術館、九段坂招魂社」

2020-05-08 16:37:44 | 『都見物日記』

※ 九段坂は地図画像↑の左側中程、上野は中央上部に位置します(ご存知の方はご存知でしょうけど

 ようやく連日の雨も上がり、お出かけ日和となりました。明治23年の5月のことです。

 

『都見物日記』(五)‥‥ ④

 五・八 本日天気よし。早飯たべ、上野博覧会の方へ出掛け、馬車に乗り上野迄行く。直と美術館に行く、何も何もあきれ果て 感心の品計り。 今日は行掛けに 九段坂の招魂社祭日にて、此所へも行き賑々敷事と見申候。 其所 御参詣迄にて車にて馳通り 上野へ行き、五時過まで昼飯も食べずして見物いたし候得共、今日も迚(トテ)も迚も見済ましならず、先(マズ)は昼飯でもたべたらとて 博覧会の下に茶屋あり、そこにより 夕方に飯たべ ちんちん酒飲み、又ここより歩行にて帰り 途中より車に乗るつもり宿屋まで車にのらぬうち (※佐原)芳方へ一寸立寄り 直(スグ)と酒などいだし 大喜び也

 又すぐと宿屋へ急いで帰り候得ば、轟殿の知人、お筆どの方へお世話へなりし神田十助と申人、先程より待ち居りたりとの事(コト)故、又ゆるゆると色々の話いたし、久々の事にて酒肴、馳走などいたされ、夫より帰られ、直(スグ)と皆々やすみ申事也。

 馬車で上野へ向かう前に、祭日で賑わう九段坂の招魂社へも参詣したようですね。

(九段坂の招魂社って「靖国神社」の事ね、と思ったら1979年に現在の名称に改称したとありました)

 上野の美術館って、現在の物とは別なのでしょうね。画像のガイドブックによると、「国立西洋美術館」は昭和34年設立、「上野の森美術館」は昭和47年に設立とあります。すると、町田久成さんが尽力された「東京国立博物館」の展示を見たのかも知れませんね 

 展示物って、じっくりしっかり見て回ると結構時間が経ってしまうものですよね、私も経験あります。イサさん達も5時までお昼抜きで回ったようです。遅い食事を摂り、歩いて帰る途中で佐原芳どの方へ立ち寄っていますね。6日にも訪ねたばかりですが、お酒をいただいて大喜び(笑)

 轟爺さんの知人で、筆姉さん方へ世話になった「神田十助」って、どんな方なんでしょうね? 気になります。

 

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「5月7日 雨降りながらも、上野の博覧会に」

2020-05-07 16:36:13 | 『都見物日記』

 残念ながら、今日も雨模様。もう5日間も雨が続いています。      

 

『都見物日記』(五)‥‥ ③

 五・七 また本日雨。六時に起き茶のみ 昨日の話ども致し候事也。めしたべ 夫より今日は雨も少々の事故(※コトユエ)上野の博覧会にちんちん出掛け、通り町まであゆみ 直(スグ)馬車にのり、入口よりちんちん見、三時過までぐりぐり色々の品を見、夫から博覧会の内にいろいろ茶屋あり、夫にて昼飯べんとうたべ、又直(スグ)と同会の品見に入り、夕方迄み申、ちんと子供へ土産品をかい入、又上野より馬車にのり 七時過に宿屋へかえり付、目もちらちらになり 今晩は早くやすみ申候

 「雨は少々のこと」とあり、「上野の博覧会」に出かけることはできた模様。

 イサさん、子供へ土産品を買っています。この時、子供は‥‥ 

長男・久良さんが慶応三年(1867年)生まれなので満22歳。その下には精一氏もいらっしゃいます。

以前内村氏から頂いた川上家の過去帳によると、既に長男(明治19年生まれ)・長女(明治21年生まれ)がおられたようですが、もしかしたらお孫さん達への物も買い入れていたかも知れませんね。

 

 

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◇都見物日記◇ 目次 第三章〜第四章(4/25~5/4)

2020-05-07 12:11:36 | 都見物日記 / タイトル一覧

 いつもご覧いただき、ありがとうございます

 第三章と第四章のタイトルを並べてみました

《 PCでご覧の方へ 》

文字が小さく読みづらい場合は、左の「文字サイズ変更」で「大」をクリックしてくださいね

前回はこちら →◇都見物日記◇ 目次 第一章〜第二章(4/17~4/24)

 

第三章

① 「4月25日 今日より西京見物」

② 「4月26日 西京見物 2日目」

③ 「4月27日 今日は嵐山の葉桜見物から〜汽車に乗り近江の湖水・勢田の唐橋など眺めつつ、柘植と申所へ」

④ 「4月28日 つげ〜かぶと村〜津〜櫛田の紅葉屋へ」

⑤ 「4月29日 御伊勢様参り〜伊勢音頭見物」

 ※ この日記を書いた30年後、大正9年のこの日 ‥‥ 川上いささんの命日でした

「4月30日 今日は移動日、豊橋壺屋へ」

「5月1日 豊橋を出発、一路東へ」

 

第四章

「5月1日(続き) ついに東京入り!」

「5月2日 新橋松元屋から 京橋区加賀町へ宿替え 麻布永坂島津氏お染様の所へ」

「5月3日 【前編】 昨日の話で大笑い、歌舞伎座芝居見物も♪」

「5月3日 【後編】 イサさん、団十郎の道成寺に感激!」

「5月4日 京橋の涯 松田屋と申所へ」

 

 5月5日〜10日は第五章、5月11日〜16日は第六章、5月16日(続き)〜22日は第七章

  5月23日〜29日が第八章となり、さんぎしに記載のうちの未完の項が最終回です。

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◇都見物日記◇ 目次 第一章〜第二章(4/17~4/24)

2020-05-07 09:29:12 | 都見物日記 / タイトル一覧

 いつもご覧いただき、ありがとうございます

 遡って、第一章と第二章のタイトルを並べてみました

《 PCでご覧の方へ 》

文字が小さく読みづらい場合は、左の「文字サイズ変更」で「大」をクリックしてくださいね

 

第一章

「4月17日 鹿児島を出帆」 ( 2020-04-17 23:19:50 )

②  「4月18日 船は安芸の御手洗と申す所に」 ( 2020-04-18 23:51:49 )

③  「4月19日 讃州多度津〜金比羅様へ」 ( 2020-04-19 23:32:58 )

④  「4月20日 多度津茶屋で一日過ごし」 ( 2020-04-20 09:21:51 )

    

第二章

①  「4月21日 兵庫着、神戸楠公社参詣」 ( 2020-04-21 16:20:54 )

②  「4月22日 大坂の宿屋・増元泊、西村時彦様と道頓堀の芝居見物へ」 ( 2020-04-22 18:42:49 )

③  「4月23日 三原氏御母様と源水楼茶屋へ」 ( 2020-04-23 17:01:08 )

④  「4月24日 西京へ向け出発!」 ( 2020-04-24 17:20:57 )

 

 参考になれば嬉しいです  

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「5月6日 佐原芳どのを訪問、 天王寺の吉次殿とは?」

2020-05-06 16:11:36 | 『都見物日記』

 昨日はイサさんはお留守番で、川上の母上様と弟・轟とで水天宮様へ。お守りも無事に頂けたようです。

さて、今日はちょっと悲喜こもごもな内容が綴られて‥‥

 

『都見物日記』(五)‥‥ ②

 五・六  本日も雨降り。六時頃起き あさめし早めにたべ、上野辺に行き 天王寺の吉次殿墓参いたし、今日はめずらしき所もみ候得共、実に実に実にうれしいやら悲しいやらにて候。右の所にて行がけ 佐原芳どの方に 一寸立ち寄り候得ば、先日よりちと不快にて いね居候ところに一寸参り、只々驚きて床の内より飛出候て 本日も亭主は留守にて只一人さみ敷致しますというて、実に大喜び申候而、何も一寸の談もできませんと申される事。

 墓参の帰りには、金杉の多田親愛さんと申す人の、お筆どの知人にて、此所に一寸参り四時過にて、すぐと酒すもじ、椀もり御馳走に三人とも預り、帰りには車迄も送り給わり、ぜんぜん雨もせわ敷故 右の通りに帰り、夜入には帰り付、内にてゆるゆるいたし 九時過には、いね申候也。

 途中にて、本日はちんと買物などいたし、茶で(台か←※「茶台(チャデ)」)も五つにて十六銭也、十三屋という東京にて名高き櫛屋に行き、又ここにて櫛、へら、すき櫛 〆て八十四銭だけ買入、宝丹、奇応丸 〆て三十銭丈買入れ、本日も珍らしき物計り見、感心也。

 「天王寺の吉次殿」がよく分からないのですが、お墓参りをされた様です。ゆかりの深い方なのでしょうか、文面からすると、お参りできたことが嬉しいけれど、悲しみもまだ日が浅いのかもしれませんね。

ちょっときになるのは、イサさんたちの兄弟、次弟・轟の下にもう二人男子がいた様なのですが、父・左源太の日記に「三男 吉次郎」「四男 徳熊」(『鹿児島県史料 名越時敏史料ー1』によると、「三男・吉次郎、四男・徳熊」)がいるので、もしかしたら三男の吉次郎さん??とも思ったり‥‥。

 お墓参りに行きがけに、「佐原芳どの」方に立ち寄ったと書かれています。先日から体調が悪く寝ておられた様ですが、ご亭主が留守で一人寂しいところへの来訪を喜ぶ様子がわかります。

この方はこの後5月9日には宿屋を訪ねて来られ、16日にもイサさん一行が東京を離れる前にお土産を持って来られます。

 墓参の帰りに「お筆どの知人」の「金杉の多田親愛さん」という方のところを訪ね、ご馳走になった上に雨がひどかったこともあり、車で送っていただいたんですね。

合間には櫛やお薬のお買い物も出来た様です。3日から雨続きですが、明日のお天気は‥‥さてどうでしょうか?

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「5月5日 今日は水天宮様の縁日で」

2020-05-05 16:10:17 | 『都見物日記』

 ようやく第五章までこぎつけました〜 (実は今日はすでに5月17日

 

『都見物日記』(五)‥‥ ①

 五・五  今日も雨降りせわ敷也。六時に起き茶のみ、程なく七時 朝飯たべ 轟どのも日ぐらしに本などよみ、後 三人とも昼寝致し十一時過までいね候。起き候得ば少々雨も小降りに相也、夫故また御母上様と轟どのは水天宮様今日は縁日にてお札頂きがでける様にと、十二時頃より出かけなされ、私は今日は留守いたしおり候

 十二時過 やど屋にて昼飯たべ候 只々さみ敷お留守致しおり候、又さみ敷故 昼寝などいたしお待申居候。 先程は起きて待候得ば 私も水天宮様のお守り願上候得ば、もうしうけ下され候。四時頃にお帰り 茶などのみ、ほどなく夜入り 夜食たべ 十時頃には やすみし事。

 この日も朝から雨降り。仕方なく本など読み昼寝をして午前中を過ごし、小降りになった昼頃には川上のお母上様と轟とで、縁日の水天宮様へお札を頂きに出かけたようです。(水天宮は↑の画像上部、「人形町」近くにあります)

 この「水天宮様」は「安産、子授け、水難除けの神」として知られるそうで、轟の子供はこの後明治25年に男子、さらに明治27年には末娘を授かっております (私の祖父の末の弟と妹)

 

画像は手持ちのガイドブック(2011年版)より 

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「5月4日 京橋の涯 松田屋と申所へ」

2020-05-04 16:07:29 | 『都見物日記』

 さてさて今日も朝から雨模様。ちょこっと買い物したり、お客様があったりの一日。

 

『都見物日記』(四)‥‥ ④

 五・四 今日雨。六時過におき、早目に轟殿と買物に出て 傘、下駄取入、帰てより朝飯たべる也。九時過に 西田の有川さんと申 銀行へ出る方お出(イデ)、暫く談しお帰り之事。十一時頃おかか様轟どの風呂にお出、私留守也。

 程なく十二時過には又三人づれちんちん見物にいで候。途中にて きぬ糸、しつけ糸、羽織紐 買入れ、夫から京橋の涯(キワ)   松田屋と申所へより 昼飯たべ、上(カン)酒二瓶のみ、此茶屋は大きな茶屋にてきれいなり。近所にみす屋 針有之、夫も少々買入、ちんちんの買入代が壱円六十五銭にて候。

 五時過に内に帰り茶など飲み居り候得ば 永岩直次郎さんのお出、今日 てがみ差上げ候えば 迎に喜んでお出でになり お互にうれ敷、今日は品川に貝ほい(※傍点有り鹿児島弁で「けほい」)に子供達と行きましたが 遅くて余り出なかった との事。久々に候えば何よりお話申様もなきとの事。 ゆるゆるとめそばの馳走致し 十時前にお帰りの事。 夫より轟どのが芝居の筋書 読み聞かせ面白く、十一時過にいね候也。

 

 朝ごはんの前にちょこっと傘や下駄など買い物して、昼過ぎには三人で絹糸やしつけ糸、羽織紐などを買ってるのって、ちょっといい感じです。お客様もちらほらありつつも、少しゆっくりできたようですね 

 今日の登場人物は、西田の有川さん(西田は鹿児島城下から伸びる街道沿いの地域名)と、永岩直次郎さんでした 

 お昼ご飯で行った「京橋の涯」って、どのあたりなんだろうな?

 

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「5月3日 【後編】 イサさん、団十郎の道成寺に感激!」

2020-05-03 16:06:14 | 『都見物日記』

 ↑トップ画像は、5月19日、20日に入手した書籍から📚('20.6.10 追加掲載)

この日の日記前半では歌舞伎座見物に只々感心感激のイサさん、

後半冒頭では、ここまでの旅のお天気をちょっと振り返ってみた様ですが……。

 

『都見物日記』(四)‥‥ ③【後編】

 五・三(つづき) 鹿児島出発の折 天気よく、船上もあしき天気は稀の事也。西京 少々乃見物には天気よし、伊勢参詣の日もよし。其外はあしく のさず(※傍点有り)〳〵〳〵。今日も終日雨にて 帰りもせわぜわ敷、歌舞伎座戸口より 車にて宿屋へ帰りの事。

 団十郎の道成寺、初てあの様な立派な芸を見申候。初は 地赤に桜の散らし振袖にて踊り、なかばに赤い着物はぬき下より萌黄のを着、桜にかすみにてきれい也。又夫を上計り腰ぬきにして下には白地の桜と雲也。叉ぼうずが色々とする内に又一寸内に入り直(スグ)と着がえして出る、又其時は紫、又したのは地赤に桜の金色、ぴかぴかぴかきれい也おそめ様もお安悦と見え申候。飯は べんとすし、ちんと酒少々 さしみ、お染様は下戸様にて酒はおのみ成されず候。四人にて 四円五十銭にて、これには感心の事。

 夜入 ほどなくかえり、内にて夜食たべ候、十時過にやすみ候。

 

 「のさず」‥‥ 鹿児島弁で、「のさん」といいますが、「(どうにもならず)まいった!」といった意味で使います。

例)「今日は洗濯物を干したのに、桜島の灰(へ)が降って来て、ほんのこて(本当に)のさんね〜」

「鹿児島弁辞典」石野宣昭(2012年・南方新社)を見ると、

「のさん ‥‥ ①我慢できない ②困る ③難儀だ」とあります。

 

 前回の前半から一転、これまでのお天気を振り返っているので、歌舞伎座見物の話は終わったのかと思ったら、

帰りにも雨に降られて難儀したので「思えばこの旅のお天気は‥‥」と思わず回想してみたところなのですね。

最初に読んだ時には、団十郎の道成寺が余りにも煌びやかで素晴らしかったので、この日の日記にも二度にわたって書き綴ったのだろう、と思っていました。

それにしても余程、九代目市川団十郎の演技や歌舞伎座の舞台・衣装などが素晴らしく、印象に残ったのでしょうね

 

 この演目「道成寺」の内容は↓こちらのサイトをご覧ください。

   「道成寺」‥‥安珍と清姫の物語  

こちらでは↓錦絵も見られます。

 深読み役者絵展より「娘道成寺」

 

 これまで知らなかったのですが、

道成寺は和歌山県最古の寺で、大宝元年(701年)創建なのですね

道成寺のHPより↓

「道成寺について」

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