きままに・・ 風便り

気の向くまま、足の向くままに日々を綴ります。

土岐高山城跡

2020年06月21日 22時02分34秒 | 城跡巡り
「 土岐高山城跡の入り口 」

県をまたいでの移動の自粛解除となった最初の日曜日、岐阜県の土岐市と可児市へ走りました。
まず、土岐市の土岐高山城址と宿場町を散策。

☆ 土岐高山城と高山宿の歴史
平安時代に源氏の流れを汲む武士集団が各地に散りました。
美濃地方に勢力を伸ばして来た一族を「美濃源氏(または土岐源氏)」と言います。
土岐高山城の初期は居城を守る為の砦、美濃源氏の一族である高山伊賀守秀頼が築城主。
ここの立地が、武田信玄・織田信長の勢力争いの境界線上にある事で、戦国時代には激しい戦が繰り広がりました。
江戸時代に入ると、徳川幕府直轄の天領となり、尾張名古屋と中山道を結ぶ「下街道・高山宿」が生まれ栄えました。

☆ 土岐高山城跡
高山城はサバ土と呼ばれる砂岩層の断崖に建てられました。
標高183m、麓から57m差の丘稜です。

↑ 現地の看板の説明


↑ 物見櫓(ものみやぐら)
三の曲輪跡地に建ち、桔梗櫓という名前が付いています。
眼下には土岐川と土岐市・高山宿などを望めます。


↑ 土岐市街
手前の緑地帯は土岐川の河川敷、遠景の山腹(さんぷく)には足下駄で高くなった中央道が見えます。
土岐川と中央道の間に国道19号線がはしります。


↑ 高山宿と下街道


↑ 高山宿


↑ 下街道
この町には、美味しいレストランや可愛いお店が軒を並べています。
時々、お買い物や食事に来ていました。


↑大竹醤油醸造店
こちらのお店で御城印(@300円)をいただきます。


↑ 御城印

☆ 穴弘法
土岐高山城の真下に、サバ山の切り立つ崖の面を削ってつくられた穴が104つ。
その一つ一つに願掛けお地蔵様がいらっしゃいます。
そもそもは、武田信玄の4代目孫雲峰元沖の手により、戦で犠牲になった武士や農民を供養するために造られしもの。


↑ 登山道
三の曲輪から穴弘法まで、細い曲がりくねった坂道が続きます。
ぬかるんでいますから、足元には細心の注意を。


↑ 沢アジサイか? 山アジサイか? ノリウツギか?
環境を見ると、普通の紫陽花ではないような気がします。
が、、、調べど特定できませんでした。

次回の更新記事は可児市の城址と資料館巡りです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小牧山城跡

2020年06月08日 09時55分58秒 | 城跡巡り
「 左手側から豊臣家・中央に織田家、右手側に徳川家の各紋 」

6月7日(日曜)
小牧山城(こまきやまじょう)
特 徴・・・小牧山(標高86m)の山頂に建てられた平山城
築城年・・・1563年
廃 城・・・1567年
築城主・・・織田信長
遺 構・・・石垣・曲輪・土塁・井戸

桶狭間の戦い(今川義元×織田信長)後、美濃攻めの拠点として織田信長が築城し、清洲城から移転。
信長は4年の歳月を持って、斉藤道三の稲葉山城(後に岐阜城)を攻め落とす。
小牧・長久手の戦い(羽柴秀吉×徳川家康)を経て、小牧山城は尾張徳川家19代までの所領となる。

☆ 遺 構

↑ 虎口(こぐち)跡
敵に侵入された場合を考え狭い出入り口にします。
写真中央の暗い部分からは坂道になっているようです。


↑ 石 垣


↑ 石垣から落ちた岩


↑ 同 上
初期の城造りの石垣は堅固なものではなかったようです。
所々にゴロゴロと崩れ落ちた岩が、そのままに保存されています。


↑ 土塁の断層


↑ 帯曲輪(おびくるわ)跡
小牧・長久手の戦いにおいて、家康は広い曲輪跡地に土塁を造り兵隊を陣取らせました。
現在は桜などの樹木が植樹され公園になっています。


↑ 城跡に建てられた小牧市歴史館(小牧城)
小牧市の旧石器時代から近代産業までの出土品などを展示しています。
夜にはライトアップされ東名高速道路を走ると必ず目に入ります。
建物の前の銅像は、尾張徳川家最後の当主第19代徳川義親氏。
私たちは、この建物を小牧城と呼んでいます。

☆ 小牧山の植物
草花はピンク色のカタバミ・白いドクダミ・ハルジオン等。

↑ ドクダミ
久しぶりに見る花ですので撮りました。


↑  ?
キイチゴの仲間か?まだ不明です。
 追記 6月9日(火)
「 コジキイチゴ 」、 別名フクロイチゴでした。
日本各地でレッドリストに指定されています。


↑ ネズミモチ ?


↑ 同 上
登城道を歩いていると、どこからともなく芳香が漂ってきます。
立ち止まり、キョロキョロすると、一本の木に白い花がたわわに咲いていました。
木に近づくほど香りは強くなり、間違いないと確信。
帰宅後の検索で、ネズミモチにたどり着きましたが、難しいのはトウネズミモチとの区別。
※ネズミモチは日本原産 唐ネズミモチは中国原産

☆お城・城址巡り帳

↑ 犬山城・駐車場のタチアオイの花

ついでに、犬山城(築城主・織田信康 [信長の叔父] )へ足を伸ばしました。
久しぶりに国宝の天守閣へ登ろうと思いましたが、自粛解禁後で城内は混雑しています。
過去に二度ほど登っていますが、今回は登城印だけいただきました。


めでたく・小牧山城と犬山城を加えれました。

※追加記事 
2011年11月27日撮影の画像3枚を追加UPします。

↑ 犬山城 


↑ 国宝の天守閣


↑ 犬山市のキャラクターわん丸君と記念撮影
いい大人が、ちょっと恥ずかしいかなぁ、、、
躊躇しましたが、思い切ってお願いしました。    追記:2021年5月17日(月)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

志多見古墳群

2019年06月29日 21時59分08秒 | 城跡巡り
工事中ページ
 

近々更新の予定です。

記:9月2日(月)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明智城跡

2019年05月09日 23時02分38秒 | 城跡巡り
「 金 蘭 」

昔は普通に咲いていたと言うのですが、乱獲で絶滅危惧種Ⅱ類に指定されている花です。
自生地から掘って庭に移植しても、いづれ枯れ死するのだそうです。
見つけた時は撮るだけにしたいものです。


5月7日(火)
二つめの城址巡りは明智城。
明智と言えば、誰でもが明智光秀の名前を思い浮かべると思います。
熊本県の細川忠興に嫁いだ三女の「明智 玉」、母は妻木煕(ヒロ)子。
父の光秀の本能寺の変の事件後、京都は黄土野(みどの)に幽閉される。
それから後に改宗、洗礼名はガラシャ。
「散りぬべき時 知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」・・・時世の句。
哀しい定めの戦国時代のお姫様の一人です。

令和2年(2020)の第59回NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主役は明智光秀。
この日初めて知った情報です。

☆ 明智城址について
別 名 明智長山城・長山城
所在地 岐阜県可児市瀬田長山
築城者 明智 頼兼(美濃の守護、土岐頼清の次男)
城 主 代々の明智一族
築城年 康永元年(1342年)
落城年 伝・弘治2年(1556年)


↑ 明智城址の入り口  14:20
左手側の舗装されていない道(桔梗坂)方向へ進みます。


↑ 大手口跡 14:30


↑ 後世の仕事の石畳 14:37



↑ 本丸跡地の石碑 14:53


↑ 展望台 14:53

展望台からは見晴らしの良い風景が広がります


↑ 同 上 14:57


↑ 同 上 14:59
展望台からは冠雪の御岳山も見えます。


↑ 西出丸 15:03
西出丸曲輪を左に見て遊歩道が切れると一般道に出て行き止り。
そこから駐車場まで引き返します。


↑ 逆茂木(さかもぎ)
敵の侵入を防ぐ為の刺のある枝を使用した垣根。


↑ 馬防柵(ばぼうさく)再現されたものです。
騎馬隊の攻撃から自陣を防護する為に作られてそうです。


↑ 馬 場 15:17
乗馬の練習所。


↑ カウンター 15:18
本丸付近に設置してあります。
訪れた際は1回押してくださいね。


↑ 帰路の坂道 15:25


↑ 駐車場 15:47
最後の一台になっていました。

来年の大河ドラマの放送が始まる頃には来場者数の上昇を予想しています。
地元の方々は整備に熱心でした。
帰路、親切な方に案内をいただき、地元ならではの面白い話し等を拝聴しました。


↑ 案内看板

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々利城址

2019年05月07日 20時11分41秒 | 城跡巡り
昨夜から体調を崩し延期になりそうな気配。
でも、久しぶりの城址巡りですので友達に助けられながら出発しました。
行き先は岐阜県可児市。


☆ 久々利(くくり)城
城 主  久々利氏・森 可成(よしなり) 
築 城  応永年間 (1394年~1427)
廃 城  天正12年(1584年)


↑ 縄張り図
大掛かりな土木工事跡が今でも残っています。
地元の有志の方々の仕事もあって整備されております。


↑ 城址登り口にて
久しぶりです、嬉しい記念撮影。
登り口に入り少し登った場所にパンフレット置き場とカウンターが設置されています。
私は、5181番目。






↑ 虎口(こぐち)
今で云う所の、玄関・または部屋から部屋への出入り口に当たります。
敵の攻撃を真っ先に受ける場所なので厳重に防御されなくてはなりません。
ここは切り岸や土塁を利用した枡形虎口の形状。



↑ 三の丸


↑ 三の丸跡地から虎口を見下ろして
木の柵の所、当時は土塁です。
見事なまでの切岸が敵の足を阻みます。


↑ 二の丸



↑ 本 丸
戦用のお城、敵が襲って来そうになると登城します。
普段は、山裾に見える町に住んでいたそうです。
と、言う事は、、、あの町並みには久々利城縁の人々が住んでいらっしゃるのでしょうか。

戦争が無かったら山城等は不要な建造物。
過去も現代も戦争がどれほど人々を苦しめているのか。。。
それでも、歴史好きで自然観察好きで山歩き好きな私は城址巡りを続けています。

本丸に到着してランチタイム。

↑ お弁当包み
お見せするほどではなくて・・・
恥ずかしながらスーパーの惣菜お弁当です。
強風に震えながら完食しました。

次に向う場所は北側の尾根にある二重切堀(きりぼり)。
またまた坂道を登ります。


山城ですので平らな所は少なく急斜面もあります。
油断禁物、転げ落ちないように気をつけなければいけません。


↑ 注意喚起看板
その他に、猪もカモシカにも注意しなければいけません。
もし、出逢ってしまった時はどうすれば良いのでしょうか。
ただただ、出逢わないよう祈るしか手立てはないのでしょうか。
熊避け鈴を持ち歩くべきかしら。。。


↑ 切掘(きりぼり)
切掘を登ってみました。
この急斜面を鎧兜姿で登るのは至難な事。
一息ついていると小鳥の囀りが聴こえ静かな時の流れを感じます。
でも、山菜の蔓延りを見つけると軟弱な私でも戦闘体勢モードにスイッチ・オン!

※追加画像 

↑ 今日の戦利品
タラノメの若葉を胡麻和えにしました。
天ぷら意外の場合は灰汁抜き後料理します。


↑ 山頂のもみじ(芽吹いた若葉)
山頂からの帰路は見落とした曲輪(くるわ)等を散策しながらの下山。

※駐車場のご案内
可児市歴史博物館の駐車場を利用できました。

この日は2つの城址巡り、次は二つ目の明智城址です。
また、お立ち寄りいただけると嬉しいです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする