きままに・・ 風便り

気の向くまま、足の向くままに日々を綴ります。

市場城址と四季咲き桜

2018年11月23日 22時20分33秒 | 城跡巡り
「 小原の四季咲き桜 」

★市場城(別名大草城)
築 城=1502年(室町時代 文亀2年)
城 主=鱸 藤五郎親信 
廃 城=1592年(文禄元年)
特 徴
標高380Mの山頂に本丸を築城
88年の間、鱸(スズキ)氏4代が居城とする。
野良積みの石垣・堅掘り群・枡形門・さんざ畑(家老の邸宅跡)

↑ 縄張り図
現在地から反時計回りに廻りました。

↑ 空堀への入り口

↑ 空堀跡
正面は櫓が建っていた石垣(空堀跡から見て)
紅葉しているもみじの木が現代。過去には櫓が建っていたのです。


★ 石垣群



ワイルド感たっぷりの野良積み石垣に魅力を感じます。
 
★ 本丸跡地にて
↑ 紅葉と四季咲き桜

↑ 四季咲き桜

↑ 四季咲き桜&どうだんつつじ


↑ 本丸跡地の石碑&どうだんつつじ


↑ どうだんつつじの実
どうだんつつじの葉も山もみじに負けず劣らず美しい紅葉を見せている。
赤い葉の中に橙色の可愛い実を見つけた。

↑ 本丸跡地から南方面の眺望
霞む遠くの山並み、手前の山には段々畑、素敵な山間の里山風景が広がっています。

↑ 四季咲き桜
本丸跡地のすぐ下の四季咲き桜群。
太陽の光が当たると桜の花の雲海が浮かび上がります。




★ その他の遺構
↑ 堅掘り群&杉の植林群
畝のように掘って敵の侵入を防ぎます。

↑ 枡形門跡地

↑ さんざ畑(家老邸跡の平地)
休憩用の東屋が設えて在る

おまけの写真

風邪未だ完治せず之図
つづく・・・

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岩村城跡

2018年10月23日 22時10分04秒 | 城跡巡り
「 野菊と犬蓼(イヌタデ) 」


この夏は多忙の極み。
やっと、春から予定していた岩村城跡へ出掛けてきました。
城下から細い山道を走り上がり一気に駐車場(元・出丸)に到着です。

☆ 本丸跡 
(標高717m 標高差180m) 日本一の高さを誇ります。

↑ 出丸(駐車場)から本丸の石垣を眺むる。


↑ 本丸石垣  
右端に本丸から下りてくる女性が見えます。
石垣の高さ・大きさが、少しは実感できるかなと思います。


↑ 本丸石垣に1本のツリガネニンジン
ズームで大きく撮りましたが、とても小さな花です。
小さな昆虫は長いメシベを伝わって花の中に潜り込み吸蜜します。


↑ 本丸跡 
左奥に見える屋根は昇龍の井戸です。
岩村城は17の井戸を有し豊富な水量だったそうです。
既でに昇龍の井戸は枯れていますが、現在も枯れないでいる井戸もあります。


↑ 山野草
今が盛りの野菊と犬蓼(イヌタデ)が競うように咲き乱れています。


↑ 本丸から見える山並み
一番奥に控えしは恵那山、山頂が幽かに見えます。



☆ 門

↑ 長局埋門(ながつぼねうずみもん)
本丸御殿の格式を整える為の門。


↑ 本丸への入り口


↑ 埋門 (野面積み・打ち込みハギ・切り込みハギの三種類の積み方)


↑ 埋門(うずみもん)本丸入城して


↑ 埋門(うずみもん)本丸の内側から

☆ 六段壁
最初から計画した六段ではではない。
補強を6回重ねて偶然に出来た壁なのだそうです。






↑ 右側、杉木立の中の菱櫓(ひしやぐら)。奥は六段壁です。
石垣を地形に合わせて積むために菱形になります。
櫓も菱形になり、山城故の特殊な形。

☆おまけの画像(六段壁にて)


☆ 八幡神社

岩村城創業者を祀ってあります。


↑ 石垣との対比

☆ 畳橋・追手門・三重櫓

↑ 三重櫓跡から畳橋跡を望む


↑ 追手門跡の石垣(当時は石垣の上に櫓を構える)

☆ 岩村城の特徴
日本百名城・日本三大山城に指定されています。
源頼朝の重臣である加藤景廉が1185年(健久6年)遠山荘を賜ったのが始まり。
長男の景朝が岩村城を築き遠山姓を名乗る。
以後800の歴史を誇る。
城主は加藤景廉に始まり、遠山景任(遠山氏最後の城主、妻は女城主おつや(信長の叔母)の方)。
以下、河尻秀隆・森蘭丸・田丸直昌・松平家乗・丹羽氏信・松平乗紀に引き継がれ800年存続。
有名なのは織田信長の叔母のおつやの方。
城主の夫亡き後、女城主として岩村の為に一生を捧げる。

☆ 岩村歴史資料館にて(建物と山野草)

↑ 藩主邸の太鼓櫓
太鼓の音は時刻を告げたり、敵が攻め込だ時の警報の役目もあります。


↑ 同 上


↑ ケシロヨメナ


↑ あざみの花


↑ あざみの種


↑ ウバユリの実
花は何度も見ていますが、実は初めて見ました。
決め手は、茎の長さとテッポウ百合の実似の丸い姿。
帰宅して検索してみると大当たりでしたので、こんな事でも嬉しい^^


↑ (?)出丸跡に生えていたキノコ 

☆ 反省点
今回は、頂上の本丸から下っていまいました。
未踏の土岐門・一の門・初門・藤坂の4ヶ所。後日、登城口から徒歩で登る予定。
まだ勉強不足ですが次回までには頑張ります。

☆ 五平餅ランチ

内訳: ふかし芋・モロッコインゲン味噌和え・菊芋の味噌漬け・柿・りんご・お蕎麦・五平餅2本。
コメント (2)
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妻木城跡と自然散策

2018年04月29日 20時09分55秒 | 城跡巡り
「 妻木城士屋敷跡の石垣 」

岐阜県土岐市の妻木(つまき)城址へ出かけてきました。
情報源は、私の城跡散策好きを知っている友達。
妻木町の事も知りませんでしたので事前勉強が必要になりました。

近隣の遠山氏・小里氏が没落して行くなか、東軍に加わり岩村城との因縁も絡み、戦国の世を上手にやり繰りして生き長らえた妻木城。
でも、1658年、城主の急死で跡継ぎが無く、妻木氏は断絶し廃城となりました。
また、領主は明智氏から妻木氏に渡り美濃焼き(織部・志野)の基礎を作った人物でもあります。

☆妻木城士屋敷(つまきじょうさむらいやしき)跡
 戦国時代以降は城主も山城からおりて、この地を城主居館とする。


↑ さむらいやしきの看板


↑二段目の石垣
樹木の根っこが石垣に絡んでいます。自然界の凄い生命力!
右側の道路を上って行くと登城口があります。


↑ 登山口
ここから、標高差200mほどの山道を毎日登って下りる家臣たち、、
そりゃあ、それだけ毎日鍛えていれば戦でも大活躍するほどの体力付くわよねぇ。。。
雨が降っても雪が降っても、それこそ矢が降って来ても駆け抜けていく体力。
欲しい体力だけど、、、この訓練は無理というもの。


↑ 一段目の平地&奥は388号線沿いの駐車場


↑ 二段目と一段目の平地


↑ 三段目の平地

一段目の平地には、山野草の他にワラビの発生も見ました。
二段目の平地には山野草のお花畑。すみれ・たつなみ草・ふき等。


↑ スミレ 
スミレは難しい、沢山咲いていましたが調べても名前わかりませんでした。


↑ タツナミソウか?オカタツナミソウか? 難しいところです。





↑ 御屋敷跡

☆出会った蝶と花


蝶はミスジ蝶と判断。
帰宅して調べるとコミスジ蝶と判明。





↑ ツクバネウツギの蕾


↑ ツクバネウツギ


↑ ツクバネウツギ

追記:2023/06/11
2023年6月8日のハイキングの折、ツクバネウツギの花後の姿を見ました。
ツクバネウツギの花を検索していて、この写真の花の名前が判明しました。


☆ 妻木城址  山城(標高409m)
 構 築:室町時代
 廃 城:1658年
 城 主:(室町時代・美濃土岐明智氏) (戦国時代以降・妻木氏)
 特 徴:城下町との標高差200m

昔の登城口は妻木城の北側斜面の士屋敷の一番奥にあります。
でも、そこからはキツイ山登り(標高差約200m)。
と、言うわけで名岐国際ゴルフ場の直ぐ隣りに位置する登山口から登城開始。



↑ 登山口
親切に竹の棒が置いてあります。
竹の棒を利用している一組の登城者達に会いました。

見晴らしの良い三の曲輪までに在る遺跡類は、くさび跡の残る巨石・太鼓櫓・井戸跡・御釜屋・大櫓跡等で


↑ くさび跡の残る巨石
あまりにも大きくて割り切れず放置したものらしいです。


↑ 巨岩と小さな岩
丸い岩と細い樹木が巨岩を支えています。
小さな岩は風化が激しく今にも割れて粉々になりそうです。
そうなると、巨岩は斜面を転げ落ちてしまうのでしょうか。


↑ とりあえずの記念撮影



↑ 太鼓櫓(たいこやぐら)
見晴らしの良い場所に作られるそうです。
太鼓を鳴らして時を告げたり戦の始まりを報せたりします。


↑ 御釜屋
うむぅ、、、台所のことでしょうか???
この場所の上に井戸跡が在りましたから、たぶん台所ではないでしょうか?



↑ 三の曲輪(くるわ)
本丸の一の曲輪より眺望が効いて広々しています。
テーブルと椅子が設えてありますのでランチタイムに持って来いの場所です。
でも、とりあえずは本丸跡地を確かめねば。


↑ 三の曲輪からの眺望
手前は妻木町、遠くの山は御岳山、笠置山(かさぎやま)、恵那山(えなさん)。
春霞の季節柄でしょう、薄雪の残る御岳山は霞んで見えました。
しばし、素晴らしい眺めに酔いしれた後、二の曲輪を目指します。


↑ 二の曲輪跡
二本の石造りの門柱を通り過ぎると八幡神社の鳥居が立っています。
遠くの石垣は一の曲輪・本丸の石垣。


↑ 鳥居


↑ 一の曲輪の石垣
右手の階段は神社お参り用と思われます。


↑ 角度を変えて一の曲輪の石垣



↑ 一の曲輪へのアプローチ


↑ 一の曲輪(本丸)

各曲輪を見てみると、こんな山の中にこれほどの石垣で囲った平地を造る技術が凄いのです。
建物は無くても、技術力の高さと人々手仕事が見えてくる。

☆ 下 山
今回、時計回りで歩きました。
三の曲輪まで戻り、断崖の細い坂道を下ります。
その坂道は、枯れ葉が積もっていて滑りやすい、慎重に足を運ばないと危ない箇所です。
断崖の坂道をやり過ごし、土塁・南曲輪・帯曲輪・自然の巨石群を見ながらの下山となりました。


↑ 断崖の坂道
これも、敵の侵入を防ぐのに役立つ自然だと思います。


↑ 土塁
土を盛り積んで敵の侵入を防ぎます。




↑ 花崗岩の巨岩群
人が加工したような亀裂が見えますが「節理」と言う自然現象です。
マグマが地下で冷えて花崗岩になる時、収縮して等間隔に亀裂が入ります。
地表に現れたとき風化侵食によって、四角形のかたまりに分かれます。
その有様は、あたかも人が積んだように見えます。
花崗岩は、その形に加工して研磨して、お墓の石塔・住宅の浴室・キッチンカウンターの天板・パンを捏ねる板等に使われます。

※現地の案内看板


☆ 花鳥・蝶編

↑   姫萩(ヒメハギ) ヒメハギ科 ヒメハギ属
閉鎖花(自家受粉)を咲かせて結実する特殊な花。 

追記:2021年5月5日(水)
やっと、花の名前が『姫萩』と分かりました。


↑ 姫萩(ヒメハギ)


↑ ナルコユリ


↑キイチゴ? 花びらは、まさに開花始めの柔らかさ・・・


↑ ぜんまい
惜しいかな一株のみ。天日干しで乾燥させると美味しさが倍増するような気がします。
その作業を考えると、量不足でありますので採集しませんでした。


↑ 西洋たんぽぽとキタキチョウ


↑ ヤマガラ?と思われましたが、横顔だけでは特定できません。


見上げれば青もみじが映える青空、暑い日になりました。

☆ 妻木氏ゆかりの現代人
妻木氏の子孫の妻木信黄(よりなか)氏は、半田市の半田赤煉瓦建物を設計した人物であります。
妻木城、現代にまで優れた逸材を輩出していることを知りました。
後日、訪れたいと思っています。


↑ あの山の頂上に妻木城が建っていました。
山の名前は分かりません、もしかしたら名も無き山なのでしょうか。

以上、妻木城址廻りレポート終わります、最後まで読んでいただき有り難うございました。
更新日時 5月1日(月)


コメント (2)
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美濃国・金山城跡

2018年03月30日 22時50分00秒 | 城跡巡り
「 蘭丸ふるさとの森の桜 」


一晩で満開になってしまった・・・by公園の管理者
1本々は未だ若い桜木ですが、満開ともなると圧巻です。


↑ 蘭丸ふるさとの森「展望台からの眺め」


↑ 中央に展望台

3月28日(水)
歴史好きのせいか、城址跡巡りが楽しくなってきました。

☆金山城(可児市) 山城(標高:276m)
 構  築:1537年  
 廃  城:1601年
 主な城主:斉藤大納言・森 可成(よしなり)・森 長可(ながよし)・森 乱丸(らんまる)
 特  徴:城下町との標高差約170m

織田信長のお小姓であった森蘭丸(1565年)が生まれたお城です。
森蘭丸の名前を見つけて、咄嗟に・・・あ!蘭丸の生まれたお城なら是非とも行ってみたい~♪


↑ 蘭丸の産湯の井戸
当時、この井戸から水を汲んでお城まで運んで産湯として使ったのだそうです。


↑ 「出丸跡」
当時の面影を強く残す石垣。


↑ 登城口
善意の杖が置いてあり、利用は自由。



↑ お城カードを飾る二の丸西面石垣
様々な石垣が残っているのですが、一番印象深い野面(のづら)積みの石垣。
二度と築城出来ない壊し方なのです。



足元を気をつけながら二の丸・枡形虎口・南腰曲輪を過ぎて登りきると本丸跡に到着。


↑ 本丸跡
本丸の礎石だけが現存。

本丸の周りには沢山の石垣が残っていました。


↑ 本丸周りの石垣の一部

★本丸からの眺望

↑木曽川にかかる兼山ダム(愛知用水の起点)と八百津(やおつ)町


↑ 二枚目のお城カード


☆おまけの写真

↑ワラビ
普通は5月のゴールデンウィーク近辺でワラビ採りに出かけるのですが、、
今年は桜だけでなくワラビも早いのかなぁ。


↑ 本丸跡に設えてあるベンチでランチタイム。
朴の葉寿司2つ(可児の道の駅で購入)&持参のおやつ。

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美濃国・苗木城

2018年03月24日 01時38分20秒 | 城跡巡り
「 苗木城跡(中津川市) 」


☆ 苗木城(山城・標高432m)
築  城:1526年 廃城:1871年
主な城主:遠山友政(初代大名)
特  徴:石垣・・・自然の巨岩を利用した石垣造り。

鎌倉時代、九州からやってきた加藤姓なる人物が初めて遠山姓を名乗る。
中世時代(鎌倉時代~戦国時代)には岩村遠山氏・明智遠山氏・苗木遠山氏と名を馳せる。
岩村遠山は、女城主(織田信長の伯母さん)の城として知られている。
明智遠山には、分家の6代目の遠山影元(旗本・遠山の金さん・江戸町奉行)が有名。

3月23日(金)
前日の降雪天気の為に御岳山や南アルプスの山並みは冠雪、恵那山でさえ雪景色になっていた。


↑ 南アルプスの山脈


↑ 中津川市内の国道19号線

☆ 苗木城址散策

↑ うっすらと雪景色の恵那山&苗木城址(午前10時半)


↑ 城址をズーム撮り
午前中の駐車場の車は遠方の県外ナンバープレート。
歴史好きさん達が立ち寄っているようです。
午後になると地元ナンバーの車が目立つ。

最近、あちこちの日本のマチュピチュと云われる城址をよく耳にするようになった。
この苗木城址は木曽川に経つ山城。
もちろん、期待して出かけたのです。
その期待は裏切られず、戦国時代にタイムスリップしたような感覚になりました。


↑ 三の丸の大矢倉の石垣


↑ 大矢倉跡 石垣の上には三階建ての倉が建っていたのだそうです。

三の丸の広場にて小休憩と写真撮影後、いよいよ大門から二の丸を経て本丸の天守閣跡へ。
二の丸には、領主の遠山家の住居・家臣の住居がありました。
二の丸の坂道の突き当たりには笠置矢倉。




↑ 笠置矢倉からの眺望・・・笠置山が見えるので山の名前が使われました。





石垣のある坂道を曲がりながら登って行くと本丸口に出ます。


↑ 本丸の石垣と千石井戸・・・これほどの高い場所にあっても水が切れることは無かったそうです。


↑ 本丸石垣


↑ 的 場(弓矢の練習場)
正面の小山が矢の的。右側上部に本丸。

本丸の石垣を見ながら、いよいよ天守閣跡地に登ります。


↑ 天守閣跡地から見る三の丸の大矢倉
この眺めが日本のマチュピチュと例えられています。

★天守閣
当時は2つの巨岩の上に3階建ての天守閣。


↑ 天守閣跡地の天守展望台
既存の柱穴を利用して作られています。

そして、、、天守閣跡に立つと眺望の良さに驚きます。


↑遠景に恵那山、碧き流れは木曽川。


↑岐阜のお城カード(苗木遠山資料館にて入手)
資料館には興味深いものが沢山展示してありました。


☆苗木城跡の季節花

↑馬酔木(アセビ)


↑ 藪椿(ヤブツバキ)

この他に淡い水色の野のすみれ、香りの良い白梅が満開でした。

☆おまけの写真

ちらし寿司&漬物&九州産の柑橘。
残念ながら、おやつを沢山用意していたのに車に積むのを忘れていました 凹○コテッ

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