部屋の中には、宿の方が作られたと思うこんな小冊子が。
イラスト入りで温泉の説明やら、入浴の心得などが記されています。
源泉は35°とありますが、いや浴槽近くの説明では37°だったような・・・。
いずれにせよ、体温に近いかそれ以下の本当にぬるい源泉なのです。
そのために本当に長時間入り湯治に務める温泉なのです。
私たちが行った当日にハプニングが発生しました。
なんと、向かいの山から源泉を引くパイプが雪崩で破損してしまったのです。
タヌキの旦那さんが説明していますが「下の湯」までは62段と言う長い階段を下ります。
お年を召された方や、足腰の弱い方には少しきつく、途中の踊り場には休憩用の椅子さえ有ります。
今の世の中ですから、静かな入浴を楽しみたいと言う方も多いようです。
そのため、午後は「瞑想の時間」などと言う時間帯が設けられていました。
でも、昔からの湯治客の中には長い入浴の時間に会話を楽しみたい方も多いようです。
「上の湯」の浴室内の「瞑想の時間」の説明書きに、どなたかが赤色の文字で、
会話をせずの文言の下に「必要」と大書されていました。
そして別の人の文字で「一年ぶり、半年ぶりの」なんて細い赤文字での添え書きさえ。
「昔は風呂の中で民謡大会になったり、賑やかで良かった」とは今回見舞った、
おばあちゃん、おじいちゃんの昔話でした。
さて、「上の湯」に行くには、こんな古びた「旧館」の外廊下、「雁木」の下を通ります。
この旧館の外廊下の左側は、昔、長逗留の湯治客が自炊をして湯治に務めていた頃の名残りの部屋です。
こんな古い部屋番号を示す木札を見つけました。
写っている、「すだれ」や、「はしご」は表に掛けてある物がガラス窓に反射した物です。
前の廊下の写真にも見えますが、こんな場所に「郵便ポスト」さえ有り、まだ現役のようです。
昔、昔の名残で、携帯電話、いや固定電話さえなかった時代の家族との唯一の通信手段だったのでしょう。
時代は流れて、今は自炊のお客は認めていない様子です。いや、私が知らないだけなのかな。
実は一昨年に続いての来訪でしたが、腰痛の治療にと母と一緒に湯治に務めた妻が、
「一度、自在館の御馳走をトーちゃんにも食べさせてみたい」と言うのも湯治見舞いの理由の一つでした。
一泊目の夕食の恒例、名物は「カモ鍋」と言う豪華なものがメーン。
それに、「岩魚の塩焼き」「ニジマスの刺身」を初め、山菜などもたっぷりとあり、
真面目に湯治に訪れたのか、御馳走を食べに行ったか分からないほど。
そして、私は見舞いに行ったお客様、オジーちゃん、オバーちゃんから、
お酒さえたっぷりと御馳走して頂き、至福の休息の時を過ごさせて頂いたのです。
(続く)