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一昨日の夕方近く、パートから帰ると我が家の前に一台のオートバイ。
タンデムで来た、若者たちに「どうした?故障でもしたの?」と聞くと、
「いいえ、友達と待ち合わせです」と言う。
ピカピカのオートバイを前に、オートバイ談義が始まる。
「フーン、今のCB400ってこんな風になっているの、俺もね、古いけれどスティードに乗っているよ」
「ヘーッ、600ですか、見せてもらっていいですか」
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そこへ、ヤマハのアメリカン「ドラッグスター」に乗った待ち合わせの友達が登場。
私を加えて四人で談義は盛り上がる。
「並べて写真を撮らせてもらいたいですが良いですか」
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と、言う訳で、オートバイの撮影会となった。
そこへ、マックスと山の畑に行っていた妻が、軽トラで帰宅。
妻もオートバイは嫌いではない。早速会話に加わります。
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スティードは600でヤマハのこのアメリカンは400何だけれども、
なんだか、新しい400の方が排気量の大きなスティードよりも大きく見えますね。
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縦型Vツゥイン二気筒のアメリカンに比べて、CBは並列の四気筒。
思い出して、私のオートバイ歴などを語る。
義兄から譲り受け乗っていた「国産初の市販DOHCだったCB500にも乗っていたよ」
なんて話して聞かせると、彼らの目が輝く。
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今のアメリカンには実用的には無用と思える部品も多く見える。
こうして見ると、私のスティード600なんて随分シンプルだなー。
話をしているうちに、彼らは三人とも高校生だと言うことが分かる。
うーん、今の高校生は恵まれているなー。
私なんて、高校を卒業した昭和四十年代の初めに、コツコツと貯めたお小遣いで買ったのは、
当時では珍しかったドロップハンドルの自転車だったものねー。
そして、働き始めてしばらく、二十歳になってから自分の給料で買ったのが、ホンダのCB90の中古品。
それが、私のオートバイ遍歴の始まりだった。今の子供たちは恵まれているねー。
「オートバイって身体が剥き出しだから事故が怖いよね」と妻が言う。
「えー、親戚にもオートバイ事故で半身不随になった人がいます」と若者の一人。
私たちは口をそろえ「気をつけて走ってね」と言い、「ハイッ」と元気に答えて彼らは走り去った。
昨日は珍しく日本晴れ、秋のさわやかな一日となった。
妻は前日の若者たちとの交流で刺激されたらしく、
「ねー、昼休みを利用してちょっと出かけてこない?」と誘う。
てっきり、前日届いた新車の試乗かと思ったらなんと、オートバイのタンデムをせがまれたのです。
Aコープに出荷する野菜と、亡くなった同級生の実家に届けたいと言う、
熱々の「焼き芋」をリュックに詰めたり、抱きかかえたりの凄いスタイルで後ろに乗る妻。
荷物に押され、アメリカンの乗車スタイルもなんだか窮屈なものとなる。
でも、還暦はとっくに過ぎたのに、スベルべもまだまだ元気。
これで、こんなスタイルで走り始めると、結構スピードに乗っちゃうんですから。
思わぬ事で、秋晴れの空の下のツーリングとなり、満足の一時では有りました。
「可愛がってあげたら一生モンだぞ」
買って貰った・よりコツコツ貯めて手にいれた愛着がありますよね
お互い、安全運転を・・
若者とオートバイの話が出来 今でも現役とは
凄いですね もう4輪しか乗れません
当時、CB450を乗りまわしていました。
DOHCの2気筒でした。東名高速で、通行券を無くして、どこから入ったか証明するのに訪れた施設の券が役立ちました。
お店にあった当時サイレンスで欲しかったCB500も試乗させて貰いました。
昨年、手放した4錀ですが、又ちょっぴりゲレードアップした新車同様の中古車をゲットして
撮影の足として利用しています。
バイクに乗る夢は断たれましたが、未だに乗っている夢は見続けています。
でも、我が家の高床式住宅まで床上浸水とは信じられないような様子でした。
ともあれ、共通の趣味は年齢など関係無いことが良く分かりましたよ。
昔、言うよりも我が家ではかな。欲しいものは自分の力で手にするしか無かったですね。
山を登る体力は減退の一途ですけれど、下半身さえしっかりしていたら、
まだまだオートバイには乗れそうな気持がします。
陸上三段跳びの南部忠平さんは、八十歳を超えてもハーレーに乗っておられました。
ただ、いざ乗ると言う時には事前にトレーニングまでされたようです。
私もその年齢までオートバイに乗り続けたいものです。
私の父もオートバイには乗らなかったけれども、昭和初期に免許を取った、
筋金入りのプロドライバーでした。
その父は「乗らなくてもオートバイの心地よさは分かる」、
そんなことを言って、私のオートバイ遍歴には小言は有りませんでした。
先一昨日だったかな、水害で乗れなくなった代わりの新車が納入されました。
分相応かと思って新車ですけれども控えめな小型車です。
妻が、「天気が滅多にない青空だから」と切り出された時は、
てっきり、新車の試乗かと思ったのに、オートバイのタンデムをせがまれ驚きました(笑)。