名古屋の徳川美術館で
毎年 利休忌に合わせて 十日間だけ特別公開
今は 尾張徳川家のお雛様の公開
お雛様に合わせて 見に行こうかな
名古屋は学生時代からいつも通過するだけ
下りたことがありません
豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自からこの茶杓を削り、
最後の茶会に用い、古田織部に与えたといわれる茶杓。
古田織部はこの茶杓用に、長方形の窓をあけた筒をつくり、
その窓を通してこの茶杓を位牌代わりに拝んだと伝えられています。
古田織部が徳川から切腹を命じられ
その後織部の道具は すべて徳川に没収
それ以降 ず~~~~と 徳川家にあったというのが
財力の差
他の大名家なら
明治維新以降、家禄を失い没落し
家宝の売却などで凌がなければならない事態であったでしょうに
さすが 徳川 尾張藩がお金持ちだったのでしょうね。
千利休-古田織部-徳川家康-初代義直と伝来した。
(ここで 尾張に来ています)
これほど伝来のはっきりした移動の少ない茶杓は やはり 泪しかないかな。
400年以上 同じ場所にあるという
龍光院の天目も やはり 同じくらいの年月 門外不出でそこにあります
そういうお道具を 今は目にすることができる
そんな時代に感謝です
静嘉堂文庫の両樋も筒には 表・裏 両千家の書付の筒がついていますし
それが 流れて 今 そこにあると ・・・
古いお茶道具は歴史とロマンにあふれています
今の時代にちゃんとお茶道具として残っているのは
それなりのお茶人さんの手を経て今があるのでしょうし。
来年行けるかどうか 来年のことはわかりません
今年なら 行けそう 行くことにしました。
茶杓1本見に
飛行機手配しました
幸いなことに 出雲ー小牧 直行便が飛んでます
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