こんばんは。
史上最悪の事故と言われた全日本GT選手権第2戦富士スピードウェイから25年もたちました。
この事故は雨の中視界不良の中レースが行われた。
ペースカーが急加速をしたせいで何台かのマシンがスタートと勘違いをしてしまう。
そのため混乱が起き、ナインテンポルシェとフェラーリF355がクラッシュ。
ポルシェは燃料タンクをフロントに詰んでる為それをフェラーリがぶつかり爆発して炎上。
太田選手は「正面衝突を避けるためにわざとスピンさせた」らしいです。
燃え盛るマシンをレスキュー隊は救助するのですがなんと!フェラーリではなくポルシェ優先なんですよ。
それで後から来たRE雨宮マツモトキヨシの山路選手が太田選手を救助する。
山路選手はあまりにもレスキューカーの到着が遅く蹴りを入れたようです
瀕死の状態の太田選手、粉砕骨折をした砂子選手共に富士の病院に搬送。
砂子選手は後のレースの欠場を余儀なくされたのですが太田選手は72時間の命と告げられたようです。
事故から3日後、東京の病院に運ばれ緊急手術を受ける。
おでこのしたから鼻の下まで完全に炭化して全身範囲40%に3度熱傷、更には肺にもダメージを受けており重度の肺炎と感染症に感染したようです。
事故から10日後に意識は回復するもリハビリと治療に苦しめられます。
まず、熱傷患者を風呂に入れ、腐った皮膚をガーゼで擦る熱傷浴がとてつもなく痛く彼によると「生傷を包丁でこそぎ落とす」感じらしいです。
更に耳の裏の皮膚をまぶたに移植して目が見えるようになった時、鏡で自分の姿を見た時には自殺を試みたようです。
最終的には柵があり自殺はできずにいた
しかし、鼻を再建した辺りから太田選手は変わります。
子供たちにあったり、ディズニーランドに行ったり、事故後のビデオを見て過去の自分に蹴りを付けたりと彼は事故以前より積極的な人物になりました。
そして、恐怖心を克服し2001年にサーキットに帰ってきます。
後遺症によりプロレーサーとしての道は閉ざされたもののモータージャーナリストとして活躍をしてます。
今回はここまで。